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飯田歴研賞受賞作品一覧

ページID:202209212 更新日:2023年12月15日更新 印刷ページ表示

飯田歴研賞受賞作品の紹介

 歴史研究所では、飯田・下伊那の地域史研究における優れた作品を発掘するため、「飯田歴研賞」として、毎年表彰しています。皆さんの推薦により候補となる作品を選出し、審査の結果受賞作品が決まります。自薦他薦は問いません。ぜひ作品を歴史研究所までお送りください。

飯田歴研賞

審査・表彰

 歴史研究所で審査を行い、毎年開催される地域史研究集会で表彰式を行っています。(2020~2022年度は表彰式のみ)

応募先・問い合わせ

 飯田市歴史研究所
 電話 : 0265‐53‐4670  Fax : 0265-21-1173
 E-mail : iihr[at]city.iida.nagano.jp [at]を@にしてください

 

2023年度の受賞作品

著作賞

玉木  寛輝 (たまき  ひろき)  「戦前期日本の「ファシスト」の在郷軍人への接近と乖離 ―北れい(れいの漢字は日へんに令)吉と長野県下伊那地域の在郷軍人を中心に―」(『近代日本研究』第39巻、2023年2月)

【講評】
 北一輝の実弟であり、昭和戦前期の政治家・思想家であった北れい吉(以下、北と略称)は、イタリアファシズムに傾倒した結果、長野県下伊那地域の在郷軍人会をはじめとして地域の在郷軍人会を、既成政党に代わる政治改革の担い手として注目していった。
 本論文は、これまで注目されてこなかった北と在郷軍人会との関係について、ジョージ・モッセ『英霊』が導いた「政治の軍事化」(在郷軍人を含むパラミリタリーグルーブによって、暴力が政治の形態を規定するような状態)概念に示唆を受けつつ、北が発行していた雑誌『祖国』中の北の論考、さらに中原謹司関係文書、森本州平日記などの地域の一次史料を分析することで具体的に実証した結果、本論文が研究史上に与える意義はまことに大きなものであるといえる。
 北は、統制された組織を持ち、国民の中核分子として働きうる在郷軍人が、農山漁村に遍在していることが、第一次世界大戦後のイタリアファシズムの歴史に鑑みても重要だと考えていた。そこに北が在郷軍人会に接近していった原因があった。しかし同時に北は、日本において、経済に占める官業の割合が圧倒的に高い状態へ強い危機感を持っており、また官業が経済を圧倒している状況では、その経営の実態が国であろうと私企業であろうと、腐敗は免れがたいと確信していた人物であり、産業を国権に集中させてはならないとの考えを強く抱いていた。
 本論文の著者は、この北の論理構造を『祖国』掲載の北論文や、地域の一次史料から丁寧に抽出し、北の国家社会主義観や社会政策観が、経済恐慌の深刻さへの危機感から国家社会主義への共感を隠さなくなっていた、地域の在郷軍人指導層との乖離をもたらす構造的な原因となっていた、との論旨は極めて説得的である。よって、飯田歴研賞にふさわしいと評価できる。

奨励賞

高森町飯田線開通百周年記念事業実行委員会 『山吹駅 市田駅 開業100年記念誌 飯田線 駅えき街まち 百年』(2023年3月)

【講評】
 本書は、開通100年を迎える飯田線にある駅のうち、高森町とゆかりのふかい駅を中心に、地域住民が主体となって編さんした記念誌である。伊那電気鉄道から国鉄、JRへと変遷する通史が概説された後、とくに山吹駅と市田駅周辺の地域社会の様子が、戦前と戦後のそれぞれにわけて叙述されている。その2駅だけでなく、高森町内にある他の駅(下平、下市田)も含めて、駅およびその周辺が簡潔にフォローされている。本書を作成する実行委員会が2022年に発足し、年度内に迅速に刊行できたのは、本書で利用されている町史や地域史研究論文などの蓄積が豊富に存在したからだろう。その点で、地域文化の産物でもある。実行委員会は、本書の作成のほかにも、フォトコンテストをはじめ多彩な活動に取り組んでおり、その力量には敬服するほかない。内容面でとりわけ目を引くのは、掲載されている多数の写真である。駅と列車だけではなく、地域社会の様子がリアルに伝わる写真の数々をみているだけで楽しい。駅前を埋め尽くしている阿島傘の写真(32頁)などは、地域産業の歴史を知る資料としても興味深い。本書では聞き取りも多数活用されており、集められた語りはぜひ地域で保存し、これからも聞き直せるようにしていただきたい。また、完成した本書を用いることで、さらに活発な地域での語りが生まれそうである点に今後の可能性を感じて、奨励賞としたい。

2022年度の受賞作品

著作賞

竜丘公民館 竜丘児童自由画保存顕彰委員会・飯田市立竜丘小学校・飯田市美術博物館
『木下紫水物語 全国から注目された竜丘小学校の自由画教育の指導者』(2022年3月)

講評

 大正デモクラシー期には、自由教育運動の重要な環として、山本鼎らによる児童自由画の教育運動が展開した。同時期に竜丘小学校で行なわれた自由画教育の実践は、日本の芸術教育運動の中で重要な位置を占めるが、全国的に見ればこれまで十分に注目されてきたとはいえない。今後いっそう研究され顕彰されるべき重要な教育実践であるといえよう。
 本書は、竜丘小学校の教師として児童自由画教育運動に取り組んだ木下紫水(本名茂男)の生涯と、彼の指導の下に描かれた自由画の作品の数々を紹介し、子どもたちや関係者に広く知ってもらうために作られたものである。本書の刊行によって、木下紫水の教育実践と竜丘小学校に保存されている児童画の作品群は今後広く世に知られることになるであろう。本書が、木下紫水研究と竜丘で展開した大正期自由教育の歴史の研究があらたに始まる火付け役になることが期待される。
 木下紫水の指導の下に描かれた子どもたちの300点余りの作品は、100年以上にわたり竜丘の人びとによって大切に保存されてきた。全国的に見ても希有のことである。竜丘小学校開校150周年記念事業の一環としてこの本を作製した竜丘公民館竜丘児童自由画保存顕彰委員会の方々、飯田市立竜丘小学校、飯田市美術博物館の関係者の方々に敬意を表する。全国の芸術教育運動の関係者や、大正自由教育の研究をしている人たちに広く読んでもらいたい本である。

本島 和人 (もとじま かずと) 『満洲移民・青少年義勇軍の研究 ―長野県下の国策遂行―』(吉川弘文館、2021年9月)

 講評

 本書の意義は次の点にある。
 第一に、飯田下伊那における満洲移民の送出「全国一」という言説(記録・記憶、問題意識あるいは学術的評価)そのものを検討の俎上にのせ、この地域の人びと、またひろく満洲移民の歴史を知ろうとする人びとが素朴にいだく疑問=「なぜ、長野県、それも下伊那は送出全国一となったのか」という問題に真摯に答えようとしたことである。これは、地域における歴史研究として、学術的な問題関心のみならず、人びとの知的関心に基づくものであり、こうした課題設定は、優れた学問的態度であるといえよう。
 第二に、同時に本書の内容も、学術的に優れた成果・叙述である。移民送出方式の多様さ(自由移民、分村・分郷移民、青少年義勇軍)とそれに対応した送出主体の多様性の分析、地域住民―地方行政・教育機関―国家の政策(「国策」)の相互関連的検討と末端での国策受容・推進の論理の析出、聞き取りなど多元的な方法の活用、などが印象的である。本書で示される歴史像は、なぜ「送出全国一となったか」という「問い」に対応しつつ、「模範」を求める価値意識、新しい「生活」への憧れの「動員」、「バスに乗り遅れるな」という焦慮とその裏返しの立身出世主義や保身、といったさまざまな人間の営みの力学の合成として描出されている。
 これまでの研究成果に対峙しつつ、個性的な歴史像を提出した本書の価値は高いと考える。

論文賞

清水 迪夫 (しみず みちお) 「歌誌『夕樺』と下伊那青年運動」(1)~(6)(『伊那』1096~1116号)

講評

 本論文は「郷土の文化遺産、歴史資料を救い、調査・保存し、その歴史を学んでいく」ことの重要性を知悉する清水氏による下伊那青年運動をめぐる研究成果である。
 本論文では、大正デモクラシーの下で発行された短歌雑誌『夕樺』に集まった青年たちの文化・芸術運動が社会主義の運動へと展開していく過程が、史料に基づいて実証的に検証されている。これまで、両者の間には強いつながりがあることが指摘されてきたが、その実態は十分明らかにされていなかった。本稿によってその具体的な事実が明らかになった。
 白樺派の叙情的、人道主義的な発想のもとに結集した『夕樺』(1921年発刊)に集まった青年たちの中から、やがて歌への情熱を社会改革に向け、早稲田大学文化会の流れを汲むマルクス主義の研究団体として下伊那文化会を立ち上げ、自由青年連盟(LYL)を組織していくことになる青年たちが登場する。本稿は、この歴史過程を、『夕樺』からLYLに連なる羽生三七らをはじめとする9人の青年たちの自己形成史を軸として調査研究し、下伊那の青年運動の性格と特徴をさらに明らかにした。

奨励賞

座光寺 歴史に学び地域をたずねる会 『古老が語った我が歩み 語り継ぎたい「昭和・平成の記憶」』(2021年8月)

講評

 本書は、2010年に発足した「座光寺 歴史に学び地域をたずねる会」が、設立の直後から長期にわたり持続的に進めてきた、座光寺の「古老」の方々からの聞き取りを中心に編集した記録集である。語り手は48名にも及び、これらを会で編集し活字に起こしたものである。内容は、アジア太平洋戦争期における体験―軍隊経験・満洲移民・小学校教育・女性―を軸にするが、戦後から現代にかけての地域の産業―農業・養蚕・石工・瓦屋・饅頭―、また天竜川との関わりなどにも及び、実に多様である。語り手の方々が、同じ地域市民である聞き手を前に、率直に、また力を込めて語られているのが印象的である。地域の歴史を刻んできた、失われゆく過去の記憶と経験を、可能な限り語り手に身を寄せて編集しており、地域の方々自身が作成したかけがえのない記録集として、貴重な成果となっている。

2021年度の受賞作品

著作賞

丹保の今昔を語る会 丹保の歴史と民俗 次世代に語り継ぐはなし』 (私家版、2020年8月)

丹保の今昔を語る会『丹保の歴史と民俗 次世代に語り継ぐはなし』 

講評

 リニア中央新幹線の建設により、大きな変貌を強いられつつある上郷飯沼の東南端・丹保(たんぼ)地区(旧飯沼村丹保耕地)で、地域の方々が数年をかけて独自に編さんした地域史の力作である。地域における時代の流れ、暮らしのようすなどを、調査や研究、聞き取りなどを経て詳細に叙述している。次の世代に語り継ぐことを目的に、その内容は網羅的であると同時にとてもわかりやすい。弥生や古墳時代の遺跡から地域の歴史を繙き、天竜川との関わり、地区内の小河川や井水、農業のあり様、信仰や多様な文化・行事、また地域を構成する諸団体の歩みなど、多数の図版や写真、わかりやすい表などを用いて、ヴィジュアルに描く。そして叙述のここかしこには、地区の多くの方々からの聞き取りが活かされている。中でも小字名・屋号の詳細な調査・記録は圧巻である。地区を彩る自然、長い歴史の過程で刻まれたさまざまな痕跡や、地域の大切な歴史遺産を一つ一つ丁寧に辿ることで、丹保耕地を基盤とする地域のかけがえのない総合的な歴史叙述を達成した特筆すべき成果となっている。

齊藤 俊江 (さいとう としえ) 長野県飯田下伊那の満洲移民関係資料目録』 (不二出版、2020年6月)

斎藤さん『長野県飯田下伊那の満洲移民関係資料目録』  

講評

 本書は、以下の理由により、著作賞に値すると評価できる。
 1、本書は、単なる資料目録ではなく、聞き取り記録や映像などをふくむ広範囲な「資料」を網羅しており、記録の概念を再検討しつつ、満洲移民(義勇軍をふくむ)を研究するための素材にふさわしい「資料目録」のありかたを提起した。その意味では、充実した解説もふくめ、ひとつの「著作」というに値する方法(構成)をもっている。
 2、こうした「資料目録」の作成は、飯田市歴史研究所の活動の根本をささえる作業であり、おおむねそれは基礎的な作業であって、そのこと自体が注目されることはあまりない。しかし、1に述べたように、目録作成(つまり何を当該テーマの記録とするかという選択も含めて)はひとつの思想と方法をもつ学問的成果と評価すべきであろう。こうしたいわば地味な仕事をも積極的に評価する必要がある。

奨励賞

壬生 雅穂 (みぶ まさほ)  『ミチューリン会機関紙に見る農業技術運動の展開と変容』 (玄武書房、2020年9月)

 壬生さん『ミチューリン会機関紙に見る農業技術運動の展開と変容』

講評

 1930年代にソ連のスターリン体制のもとで発展した農業技術・ミチューリン農法は、日本では1950年代に、下伊那ミチューリン会を中心とした運動によって全国に普及した。本書は、このミチューリン運動について、長野県下伊那地域を中心としつつも、全国的な視野を持ちながら機関紙(誌)を網羅的に収集、分析した優れた成果である。
 さらに具体的な成果として、以下の3点が指摘できる。
1、ミチューリン会機関誌によって、1950年代のミチューリン運動の隆衰の全過程を提示したこと。
2、機関誌の言説から、ミチューリン運動の主体であった、社会主義者の菊池謙一と農民、さらに科学者の意識と関係性を、転換期にあった社会主義運動を中心とした内外の政治情勢をふまえて考察したこと。
3、ミチューリン運動の多様性を、環境問題や女性史、サークル活動などの今日的視点から考察したこと。

伊藤 修 (いとう おさむ)   『陸軍第十五師団歩兵第十七旅団機動演習』 『信濃』第72巻第6号2020年6月)

伊藤さん『陸軍第十五師団歩兵第十七旅団機動演習』

講評

 この論文は、1915(大正4)年10月の伊那谷における陸軍第十五師団歩兵第十七旅団の機動演習について、南信・信濃毎日などの新聞記事史料や飯島村役場史料を素材とし、その実態を地域社会との関係に焦点を当てながら検討したものである。そこでは、この機動演習の概要をみた後、村役場レベルでの事前協議や準備、兵士の受け入れに伴う待遇や経費、宿営地の設定や宿舎の依頼、歓迎準備、兵士の食事などの給養体制、請負業者の機能、馬の飼料、荷物の運送など、主に準備過程を中心に、郡役所を中心として、村・在郷軍人会などの地域団体の対応体制を丁寧に明らかにした。軍と地域社会との関係を、郡・村・在郷軍人会などの媒介機能に注目して検討した点で、重要な成果を上げたと評価できる。

2020年度の受賞作品

著作賞

 片桐 秀人 (かたぎり ひでと)  自分史 この道を行けば(私家版、2019年9月)

片桐氏本

講評

 歴研の「自分史ゼミ」から生みだされた大変優れた作品である。心をゆさぶられた。
全4部構成をとっていて、そのどれもが、一人の人間の生きた記録、障がい福祉の実際の記録、地域社会の歴史の極めて重要な記録となっている。これほどの記録をまとめられたことに、心から敬意を表したい。
全体を通して、障害を持って生まれてきた子と共に家族が一つになって生活と人生を切り拓いてきた記録である。最後に記されている「障がい者福祉に生きる目的があって八十路を迎えられたことは幸せだったとおもっている。障がいの子を持って幸せであったと胸をはって言いたい」という文章に心をうたれる。
このような自分史をかかれた片桐秀人氏に敬意を表したいと思うし、またこのような作品を生みだした飯田市歴史研究所の「自分史ゼミ」にも拍手を送りたいと思う。

小島 庸平(こじま ようへい)
『大恐慌期における日本農村社会の再編成-労働・金融・土地とセイフティネット』  (ナカニシヤ出版、2020年2月)

小島氏本 

講評

 本書の意義は以下の点にある。

  1. 地域史料を広く収集し、説得性をもった歴史叙述として構成した。
  2. 従来、「社会・経済的危機」と把握されてきた昭和恐慌以降の日本社会史に対し、生存のための社会的諸装置・諸関係の様相を論じ、「危機」に向かい合う人びとの行動を内在的に叙述した。
  3. それゆえ、「貧困」「窮乏」といった(ことば)の社会的機能も視野に入り、同時に人びとの経験史に即して(ことば)の内実が豊富化されている。政策過程の分析に比重があるが、人々の社会認識を通じて問題を深める素材を提供したことは重要である。
  4. 金融・土木事業・就労機会と移民の問題など、従来、別々に検討されてきたテーマを、地域を設定することにより相互連関的に把握した。

 こうした優れた方法的な視点をとることによって、「危機」のもとでの人々の行動を内在的に理解し、これを通じて大恐慌期の「社会(再)編成」・国家のありかた、についての新しい歴史像を描くことができている。本書は基本的には経済史として読み込まれる仕事であるが、広く地域社会史としても読むことができる。

論文賞

前澤 健 (まえざわ たけし)
『元禄期信濃国飯島代官所の「榑木成」改革』(『信濃』第71巻第5号(通巻第832号)、2019年5月)
『一七世紀における榑木役の変質』 (『飯田市歴史研究所年報』第17号、2019年9月

 前澤氏論文

講評

 多くの山村を抱える下伊那において、榑木をめぐる貢納体制は広域的な分業体制のあり方を強く規定していると考えられ、その解明は重要な課題である。しかしこの体制は、本途か小物成か、現物納か代金納か米納かなど、複雑な問題を抱えており、事実の確定は困難である。この難問に長年取り組んできたのが前澤氏である。今回受賞対象となった2本の論文において、氏は広範囲にわたる史料を地道に渉猟し、とくに年貢割付状の書式についてていねいな考察を行うことによって、三浦宏氏が提起した地域類型論を発展させつつ、延宝期から享保期にかけての貢租制度と運用の変化について見通しを得た。また、従来蓄積の浅かった榑木米に注目し、榑木の搬出における川長村の役割を論じながら、17世紀を通じた榑木役の変質過程について論じた。これらの業績は、今後下伊那の近世史研究を進めるうえでいずれも参照されるべきものであり、確実な貢献をしたということができる。

奨励賞

 坂本 広徳(さかもと ひろのり) 
「下区区有文書の伝来から考える近世清内路の村運営」    (『飯田市歴史研究所年報』第17号、2019年9月)

  坂本氏論文

講評

 この論文は、阿智村清内路に豊富に残された歴史資料の中で、その中心に位置する下区区有文書について、文書群としての形成と継承の過程を解明しようと試みたものである。まず初期の世襲名主・新蔵家の名主文書を核とし、18世紀前半における名主の交代、18世紀中期からの年番制への移行、18世紀半ば上清内路からも名主を取りたて、などの変容の中で、段階的に文書が増加し引き継がれてゆく過程を、安永年間、嘉永期、明治初期などの節目を見ながら復元的に考察する。そして、区有文書に含まれる下区部落文書の検討から、村と上・下二つの部落との相互関係を検討し、清内路固有の村運営の特質に迫る。また、村を構成する中老や若者組の位置、清内路に残される他の旧名主家文書との関連などを課題として抽出する。こうして本論文は、文書群の階層構造とその継承・伝来過程を精緻に追うことで、村運営の歴史を見る上での重要な論点を呈示した点に意義がある。

2019年度の受賞作品

著作賞

大日方 悦男 『満洲分村移民を拒否した村長―佐々木忠綱の生き方と信念』 (信濃毎日新聞社、2018年)

 本書は、優れた人物評伝である。本書によって、満洲分村移民を拒否した村長として知られていた佐々木信綱の生涯が明らかにされた。多くの史資料にあたり、関係者の話を丁寧に聞き取り、調査を重ねて、一人の人物の厳しい時代の状況下での信念と行動のあり様が、社会的背景や家族・友人関係まで含めて丹念に著述されている。著述は平明でわかりやすく、青少年にも十分理解できるように配慮されている。大下条村で代々庄屋を務めた農家に生を享け、進学の夢かなわず就農者として人生を歩み始め、向学心に燃えて伊那自由大学の受講生となった青年期。地域の人たちに信頼されて村長に選出され、なにより村人の暮らしといのちを第一に考えて、満洲移民の国策から村を守り、さらに、地域に中等教育機関を実現しようとして尽力し、地域医療の向上にも尽くした成人期。そして戦後、満洲からの帰国者のために西富士原野の開拓事業(現在の朝霧高原)に貢献した人生。本書には村人の暮らしといのちを守り続け、卓越したリーダーとなった佐々木忠綱の生き方と思想が、生涯にわたって、じつに見事に描き出されている。一読して、佐々木信綱の生き方とそれを支えた人々の存在に心を打たれ、また、この評伝に取り組んだ著者の佐々木忠綱に向けるまなざしにも、同時に心を打たれた。

中平区誌編纂委員会 『中平区誌』 (中平区誌刊行委員会、2019年)

 本書は、飯田市鼎中平区が自身の手で、88年に及ぶ区の歴史を振り返り、現状を含めて包括的に編纂・叙述した力作であ。十数年をかけた区の取り組みによって編纂されたもので、中平の位置と自然から説き起こし、古墳時代以来、近世を経て1931年の中平区成立から現代に至る歴史の歩み、また現状について、多面的に豊富な資料や写真を用いてオリジナルに叙述する。特に、中平という纏まりの歴史的な経緯、区域と共にある松川との関わり、道路や鉄道・上下水道などのインフラ整備と維持、多様な産業と変遷、アジア・太平洋戦争期の地域の様子、地域を構成してきた学校や自治会を初めとする諸団体や施設、また固有の文化などを、区の自治の歩みとともに丁寧に描き、高いレベルの区誌となっている。地域市民が、生活や仕事の単位・枠組みとしての区の歴史を編纂するという営みにおいて、一つの到達点を示したものと評価でき、歴研賞に相応しいものと判断させていただいた。

細谷 亨 『日本帝国の膨張・崩壊と満蒙開拓団』 (有志舎、2019年)

 本書の価値は、飯田・下伊那郡における「満州移民」(本書では「満蒙開拓団」)の開拓団送出前後・戦後「引揚」をふくんだ一事例の分析(川路村)にとどまるものではない。地域の個性をていねいに論じながら、政策への対応・地域サブリーダーの役割など既存の論点の再検討を行い、さらに山形・新潟、あるいは長野県内においては富士見村など多様な送出過程を整理するなかで飯田・下伊那地域の個性を明らかにする論点を提示したことにある。
 「帝国」内の人の移動にとどまらす、論点としては提起されてはいたがなかなか実際の作品として叙述されることのなかった異民族支配と満州移民の関係を取り上げたことも重要である(満州での生活史の重層性)。
 教育階梯をたどる社会的上昇(青少年義勇軍論)や、「近代的家族」への願望(「大陸の花嫁」論)などにまで議論を広げることが可能であれば、筆者のいう「日本帝国」の移民―「人の移動」の経験史はよりさまざまな場所での議論を誘発するであろう。多様な経験のなかに共通性と差違性を読み込み、議論のアリーナを作っていくことが「語り継ぐ」方法の一つであろうからである。

奨励賞

速渡 賀大 「飯田藩領における借屋人の生活形態―上飯田村・山村を中心に」    (『飯田市歴史研究所年報』第16号、2019年)

 この論文は、上飯田村の「出来分」(箕瀬・愛宕坂・箕瀬羽場)に関する18世紀末の「借屋改帳」や、近世後期にかけての「送り切手」などを丁寧に分析し、その多様な生業=職分や「家」の在り方、また移動の実態を検討しながら、飯田城下の周縁としての町場における民衆の存在形態の特質を考察したものである。ここでは借屋人の性格を階層一般として捉えるのではなく、かれらの生業や「家」の継承の具体相を丹念に辿り、いくつかの新たな論点を提起することに成功している。特に、借屋人の「家」が、高齢者の戸主の下に養子として入ることで相続される事実を明らかにした点、またそうした「家」の具体的事例を提供したことは重要な成果である。ここで示された論点の展開、あるいは飯田城下との関係でこの対象域をどう把握するかなど、課題を多く残すものの、歴研賞(奨励賞)として十分な内容を有す論文であると評価させていただいた。

2018年度の受賞作品

著作部門

豊丘史学会 『豊丘風土記 第24輯―豊丘から満蒙開拓・第二次世界大戦を考える―』 (豊丘史学会、2017年)

 本作は、以下の諸点において注目される作品である。
第一に豊丘史学会の活動自体のユニークさが重要である。豊丘史学会はリニア建設の問題を受けた企画など、つねに地域の未来と歴史を関連させて研究活動を行っている。
第二に、その歴史的課題設定のセンスの高さである。本書は、指摘にあるように「明治150年」問題が意識されているが、近代の「初発」ではなく―少なくとも同時に「帰結」を問題にしようとする歴史意識を打ち出している。
第三に、証言と記録(戦争関連死者数や遺影なども含む)など細部へのこだわりである。
 今後、どこまで地域の歴史像を豊富化する記録が整理・確認されるかは課題であるとはいえ、いわゆる証言・手記を多く収録した本書の価値は大きい。

公益社団法人 南信州地域資料センター 『「伊那青年」とその時代』  (南信州新聞社出版局、2017年)

 本書は『伊那青年』復刻プロジェクトにかかわっている皆さんによって編まれた、『伊那青年』の研究案内書ともいうべき作品。13本のモノグラフィーからなる。
本書の各論文には、『伊那青年』に参集した下伊那地方の青年たちの人物像、この雑誌の時代的文化的背景が様々な角度から浮き彫りにされており、日清戦争後の時代にこの地に生きた青年たちの近代的な自我の確立のための努力と彼らの向かっていた方向が、克明に捉えられている。
本書は全体として、『伊那青年』の歴史的な意義を明らかにしているばかりでなく、雑誌周辺の一人一人の青年たちの実像を生き生きと描き出すのに成功している。
おそらく、復刻される『伊那青年』は、青年の歴史研究の貴重な史料として各界から注目されることになると思われるが、それに先立ち刊行された本書は、今後の『伊那青年』の研究上、貴重な基礎文献となるであろう。

論文部門

上條宏之 「愛国正理社総理坂田哲太郎昌言についての再考」  (『伊那』第65巻第5号、2017年)

 著者は、飯田ゆかりの民権家・坂田哲太郎の思想と行動について、かねてから研究に取り組んできた。
その著者のもとに坂田の遺族からもたらされた新資料が、著者を動かし、再度、自説の検討に向けさせるさまは、読む者を引き込む力がある。
本論の成果としては、故郷熊本での最初期の坂田の履歴(幼少期、西南戦争前後の履歴)が確定されたことがまずは挙げられる。
第二の成果として、坂田のキリスト教入信の経緯が、津田仙の塾に入ったとの新記述を受けて修正された点がある。
第三に、『東京政談』記者となったとの新資料の記述を受けて、1880年中に坂田の元に発刊された7号分の雑誌の目次・内容を確認したことが挙げられる。
近年、松沢裕作『自由民権運動』(岩波書店、2016年)による新たな分析視角として、民権家の「出自語り」と戊辰戦争参戦経験との関係がクローズアップされたが、その関連でいえば、著者が坂田の西南戦争経験を詳述したことは、時宜にかなう論点となろう。

奨励賞

佐古新一・佐古香代子 『古文書が語る帯川村史』   (飯田共同印刷株式会社、2018年)

 阿南町帯川に残された数種の豊富な史料群の調査を基礎に、古文書をていねいに解読し、近世から近代初にかけての旧帯川の歴史をまとめた労作。
この時期、わずか高10石・百姓8軒という規模の小さな山里であるが、ここには公儀の帯川関所が置かれ、また山との深いかかわりの中で歩んできた歴史を、多くの翻刻史料や、貴重なデータと共に描く。山里社会のようすを丹念に辿る貴重な成果である。

 早苗寿雄 「戦国期武田氏による下伊那地域の領主支配について」  (『信濃』第69巻第11号、2017年)

 本稿は、「武田氏はどのようにして国人領主たちを『武田領国』の支配構造に取り込んだのだろうか」という問題意識の下に、「武田氏侵攻時の下伊那地域の国人領主の動向と、武田信玄・勝頼による下伊那地域の先方衆に対する政治支配の諸相と諸氏の動向」を考察しようとしたものである。
先方衆は武田家重臣の寄騎として、占領地の城番主を勤めたが城領支配はしなかったこと、有力先方衆が周辺地域の治安維持と先方衆領の知行安堵を行っていたこと、土豪が武田氏直轄領と先方衆領の両方の代官を勤めていたこと、武田勝頼は先方衆に対し強い警戒心を持っていたことなどが指摘されている。
一次史料を博捜して歴史事実を明らかにしようとする態度には好感が持てる。また、土豪が複数の郷の代官を勤めている事例を抽出した点も興味深い。

2017年度の受賞作品

著作部門

相沢 莉依 『幸―幸運幸福に恵まれた平凡な人生』(私家版)

 相沢莉依『幸』はおそらく通常の「自分史」とは異なる。本書の意義は、そこにあると思う。何が異なるかといえば、第1に、彼女はいわば「2つの自分史」を持っている。中国に生まれた彼女の前半生、日本にやってきてからの後半生。読者には、その2つの「自分」のはざまで彼女が何を考えてきたのか、を読み解いていくことが大切になるだろう。もちろん日中現代史の貴重な記録であることはいうをまたない。第2に、母語で書かれていないということである。彼女にとって「日本語」はのちに習得したものだ。本書の1つ1つのことばや文章には、おそらく感情のひだにまでおよぶ「いいよどみ」や、なんべん書いても、話しても想いをくまなく表現できない「もどかしさ」が張り付いているのだろう。1人の人間にとって「自分史」を書くということの意義と困難、そして、では「あなたはどう読むか?」を問いかける触発力をもった作品であると判断し、著作賞を贈りたいと思う。

奨励賞

瀬戸口 龍一
「今村力三郎および蜂谷家と信濃国下伊那郡上飯田村について」『専修大学史紀要』第9号および『専修大学史資料集』第8巻「「反骨」の弁護士 今村力三郎」

  大学アーカイブズ活用に関する問題提起としても興味深い論述が展開されている。また、飯田市にゆかりのある人物・団体の史料が地域を離れて存在している場合も多い。他地域に存在する史資料の保存活用について、「公共団体」であるのと「民間団体」であるのとの差はあれ、飯田市歴史研究所および飯田地域の人びとにとっても、史資料の保存活用に貴重な提言となるだろう。また史料集の刊行は今村力三郎研究にとっては礎石を築いた重要な成果であると評価できる。ただし、作品は今村力三郎の評伝というわけでもなく、研究はスタート地点に立ったもの、というべきであろう。出郷者の人生経験と地域社会との関係、人の移動=出郷をうながす地域社会のありよう、など、興味ある論点を考えうる素材も提供されている。その意味で今後への期待もふくめて「奨励賞」とした。

上郷公民館ふるさと学習教材編集委員会 『久遠の文化うち立てん』

 本書は上郷公民館が中心となり、子どもたちが学べる「ふるさと教材」として制作されたものである。上郷の大半を占める野底山をめぐる話題から入り、ついで上郷の太古からの歴史を辿り、井水や産業(養蚕・染物など)、また交通のあゆみをみる。さらに三六水害などの災害をふりかえり、黒田人形や学校の歴史など、豊かな文化の様子をとりあげ、未来へのメッセージを添える。多くの市民が執筆に参加して作り上げた共同の労作で、豊富な図版や写真とともに読みやすく地域教材として有意義な本になっている。

2016年度の受賞作品

著作部門

原安治『還らざる夏 二つの村の戦争と戦後 信州阿智村・平塚』(幻戯書房、2015年12月)

 自らの戦争体験とその意味を反芻しつつ(平塚)、成長後に出逢った信州の村(会地村、のち阿智村)と父の経験した「戦場」(セブ島)の三ヶ所を、往復しつつ思考と記録が叙述される。それは、自らの記憶であったり、取材の過程で手にした「史料」(常会記録)であったりと素材は多様であるが、それらを対照させつつ、静かに叙述していくことに本書の魅力があるのだろう。時たま挿入される出来事の位置づけもハッとさせられるものがある(「村人は「私心」も「我利」も捨てひたすら特攻隊の勇士に続こうとした」「軍隊はいざというとき市民を盾にしてでも、軍隊それ自身を守る組織」など)。戦後史の貴重な証言を含みつつ、ジャーナリストによる歴史叙述として、その「他者」との出逢い(「拓北農兵隊」の人びとや熊谷元一など―自己の戦争経験の対自化)の記録であることが優れている。戦後NHKドキュメンタリー番組制作の記録としても貴重。「お前は何故この番組を作りたいのか」という問いかけは、惰性にかたむきつつある歴史研究にも重要な問題提起となる。

特別賞

三輪泰史「菊池謙一・幸子夫妻の戦時下往復書簡」(大阪教育大学歴史学研究室『歴史研究』53)

 近年、戦時下抵抗の再検討・再評価の機運が高まりつつある。それは、これまでのいわば「組織」と、「抵抗の効果」を基準とした運動論的視点に加え、「抵抗」をささえた人間関係や家族のあり方を積極的に位置づけるものである。こうした観点は、ファシズムや社会主義下といった抑圧的体制下における「人びとの親密圏」のありようを具体的に分析する世界的な研究動向ともふれあう。こうした点からみると、近年、戦時下抵抗を「書簡集」というかたちでまとめる仕事が現れている(牧原憲夫編『増補 山代巴獄中手記書簡集』而立書房2013年、『浪江虔・八重子 往復書簡』ポット出版2014年など)。その中で、菊池謙一・幸子夫妻の往復書簡をていねいに翻刻した本史料集の意義は、今後の研究の基礎を構築するものとして特別賞に値しよう。

2015年度の受賞作品

著作部門

坂口正彦『近現代日本の村と政策』(日本経済評論社、2014年10月)

 本書は、下伊那における農山村コミュニティに対象を絞り、1910~1960年代を時期として、国家による政策の執行過程を追いながら、末端の農村との葛藤・相克の様相を解明しようとするものである。すなわち、明治末期から大正期の地方改良運動、昭和恐慌期の経済更正運動、昭和戦前期の食糧増産と満州分村運動、また戦後の改革から高度経済成長期を段階的にていねいに辿る。そして特に、下久堅村、清内路村を中心に、地帯構造の精緻な分析を積み上げ、村々間の比較類型把握を試みている。本書で特筆されるのは、長年に及ぶ多大な労力を忍耐強く投下して得られた、研究のオリジナリティであり、これが担保する実証の確かさにある。本書によって、飯田・下伊那における1910~1960年代の地帯構造分析にとっての貴重な基盤が構築された。こうした成果に鑑みて、本書を、2015年度の歴研賞にふさわしい業績として高く評価するものである。

奨励賞

満州移民を考える会『下伊那から満洲を考える』1 (2014年7月)

 満州移民を考える会編・『下伊那から満州を考える1』(同会2014)は、周知のように「満蒙開拓を語りつぐ会」をまさに「引き継いで」調査研究を行っている団体の作品である。本作品の特徴は(また『下伊那のなかの満州』とは異なる特徴は)、聞き取りと調査研究を組み合わせたことであり、その意味で「記録」性と「歴史叙述」の双方を深めようとした点にこれまでにない特徴がある。逆にいえば、その点が、本書の「過渡期」性にもつながるのであり、前半の聞き書き部分と調査研究部分との有機的連関が今後の重要なテーマとなってくる。さらに「下伊那のなかの満洲」ではなく、「から満州を考える」というタイトル変更は、下伊那郡(国内)と満州地域との相互関係を積極的に問題化する方法意識を持っているものであり(L.ヤング『総動員帝国』)、今後の議論のふかまりが期待される。

小島稔「「恒川官衙遺跡」の国史跡指定に寄せて」(『伊那』1032号、2014年5月)
今村作衛「恒川清水に思うこと」 (『伊那』1032号、2014年5月)

 このたび恒川清水地区が「恒川官衙遺跡」として国史跡に指定された。これは長く調査にあたってきた飯田市教育委員会をはじめ長野県教育委員会、文化庁等の支援によるものである。しかし、最も重要なことは地域住民による様々な形での支援があったことであり、単に学ぶことから学術面を含む積極的支援に至っている。今回の対象論文は、こうした「恒川官衙遺跡」の指定がいかに地域住民の支えによる成果であるかがよく理解できる論文である。伊那のみならず、広く全国の文化活動を行っている人々に勇気を与えるとともに今後の指針ともなる論である。

 2014年度の受賞作品

著書部門

飯田中学校工場再現文集刊行合同幹事会 編『中学校が軍需工場になった 長野県飯田中学校生徒たちの昭和20年(1945)春夏』(飯田中学校工場再現文集出版基金、2013年5月)

 本書は、県立飯田中学校が「豊川海軍工廠光学部航海工場」の疎開先となり、学校工場となって、中学生たちが学徒動員で24時間3交代制の労働に従事した、約6ヶ月に関する記録である。当時の2、3年生を中心に、189人、230編におよぶ膨大な回顧録を集めており、学ぶ機会を奪われ働き続けた当時の中学生たちの日常や心情が描き出されている。   
さらに、それら多くの人々の記憶をつなぎあわせ、新聞記事や関連史料を駆使して綿密な検証が行われている。学校工場の経緯とともに、工場内部の様子を詳細に再現した図面など、知られてこなかった多くの事実が掘り起こされており、読み応えがある。一地域における戦時期の体験記であるにとどまらず、実証的な面からも高く評価できる。

奨励賞

学校法人 高松学園 認定子ども園 慈光幼稚園『慈光幼稚園百年史 おさなごとともに歩んだ百年』(2013年11月)

 本書は、飯田市内善勝寺内に設置された、慈光幼稚園の百年の歴史をまとめたものです。保育、幼児教育を担当した側からの史料、教育を受けた側からの資料が豊富で、飯田市の幼児教育において先駆的な役割を果たした幼稚園の百年の歴史が生き生きと語られている。また教育活動を記録した写真も多数掲載されていて、時代と共に変遷した幼児教育の様子がよくわかる。戦後の大火による史料の焼失にも関わらず、歴史を受け継ぐために大いなる努力を傾注された本書は、飯田市の幼児教育の発展の歴史を知るうえでも、地域の歴史を知る上でも、貴重な記録になっていると評価できる。

上山区史編纂委員会 編『上山区史』(上山区史刊行委員会、2014年1月)

 本書は、鼎上山区の地区住民たちによって「地区住民が共同して地域づくりを進めていくためにも、地域の歴史・文化を知り、それを残す」ことを目的に編纂された地域史である。内容は、原始・古代から現在にいたる上山地域の歴史を、きわめて多様な側面から、一つ一つ丁寧に叙述している。近現代編は力作であり、地域の現状とその歴史を知る上で、重要な事柄、事実について百科事典のような叙述となっている。豊富な写真は、この百年ほどの間に農村が経験してきた変貌をよく示している。養蚕業からりんご栽培へ転換してゆく上山地区の歴史を、近代日本の歴史の中に位置づけを試みた点でも優れており、地域史のモデルになりうる一冊である。

2013年度の受賞作品

奨励賞

下條歌舞伎保存会 編『下條歌舞伎保存会設立40周年記念誌』(下條村、2012年3月)

 本書は下條歌舞伎保存会が、その設立までの歴史と40年にわたる同会の取り組みについてまとめたものです。それまで各地で行われてきた地芝居が、高度経済成長の下で衰退を余儀なくされる中、下條村全体で地芝居の保存と継承を目指すため、下條歌舞伎保存会が設立された。
 前半で下條歌舞伎の歴史について、江戸時代から戦後までの動向を多くの史料を用いて明らかにしている。特に戦後の取り組みについては、当事者の方々から多くの聞き取りを行い、豊富な写真や当時の新聞記事を添えるなど、興味深いものとなっている。そして後半では保存会設立から現在にいたるまでの状況について述べられており、巻末には詳細な上演年表や舞台に関連する道具類の写真が掲載されている。こうした内容を持つ本書は、飯田・下伊那の芸能文化を知り、その意義を考える上で重要な成果であるといえる。

堀親郎「飯田藩主堀氏分知堀家の系譜考」(『伊那』 1008号、2012年5月)

 これまで、飯田藩主堀家については宗家に関する研究は行われてきたが、分知堀家についてはその系譜さえも不明で大きな課題を残してきた。この論文は特に19世紀以後の分知堀家の系譜について、古文書に加え、現存する掛け軸や墓石などを読み解くことによって、解明を試みたものである。
 この論文では分知堀家7代目は堀親郷(ちかさと)であり、彼が飯田藩最後の藩主堀親広の実父であること、親郷の娘である喜世(きよ)(飯田藩主親広の妹)が父の亡きあと、分知堀家の相続に大きな役割を果たしたことが指摘されている。こうした成果によって、幕末の飯田藩に関する研究の進展が期待される。また、文献だけに頼らず、地域に残されたさまざまな種類の史料を幅広く検討したという方法も、高く評価することができる。

2012年度の受賞作品

奨励賞

飯田女性史研究会『私の女学生の頃―女学校・高等学校時代』(2012年2月)

 本書は、飯田女性史研究会の4年間の活動の成果として編まれた、昭和生まれの女性たち15人の女学校・高校時代を中心とする自分史と昭和史のオムニバスである。本作品は「女学生の学校生活」を戦時から現代にいたるあゆみを、聞き書きと自分史によって記録化したもので、戦時から戦後へ女学生の学校生活の移り変わりに関する、貴重な証言となっている。飯田女性史研究のひとつの成果でもあり、興味深い作品である。

上中関区自治会『絆―上中関の歴史と文化』(2012年2月)

 本書は住民主体の活力ある地域作りをめざしてこられた阿智村上中関区自治会が、地域にとって、過去・現在・未来の架け橋となるものを作成しようと、上中関の歴史と文化を包括的に取り上げて、編集・刊行したものである。豊富な図版・写真と併せて、制作にあたられた方々の、地区の現在と未来にむけた、温かく、また強いメッセージを読み取ることができ、読み応えのある優れた作品となっている。

塩澤元広「近世村落の成立過程についての一考察―伊那郡伊久間村を中心として-」(『信濃』 第63巻 3・4号、2011年)

 本論文は、「近世村落成立の指標として小農自立をすえる、いわゆる小農自立論は、近世史研究の通説といえる」とした上で、「小農自立のプロセスが十分検討されていない」という先行研究の指摘をうけて、伊久間村の免割帳の分析を行い、具体的な家の小農自立過程を実証したものである。また、小農自立過程が小農相互間にいかなる社会関係を形成させたかという問題を明らかにするために、五人組の検討を行なっている。17世紀の伊久間村吉沢家文書を丁寧に分析した実証研究として、その努力と研究姿勢が高く評価できるとともに、今後の研究の飛躍が期待できるものである。

宮下金善・澄子『書き残された和合史 -宮下家古文書を解く-』(南信州新聞社出版局、2012年3月)

 本書は宮下家に残された古文書を読み解くことによって、宮下家と伊那郡和合村(現・阿南町和合)の歴史を、中世から近現代にわたり描いた著作である。古文書調査によって全貌が明らかになった宮下家文書を、保管されてきたご夫妻により読み解くと同時に、ご自身が住んでこられたお宅や、お宅に残された民具なども研究対象として、多角的で総合的な方法にもとづいて書かれている。変貌する地域の歴史を深く掘り下げて考える実践的な営みとして、高く評価されるものである。

2011年度の受賞作品

論文部門

瀬川大「明治30年代前半における農村青年会の歴史的位置」(『信濃』第62巻第11号、2010年)

 本論文は下伊那青年会を研究対象とし、明治30年代前半に展開した下伊那青年会の運動が、中等教育を受けた者たちを中核とする自己形成運動であったために、それ以前の運動とも、それ以後の青年会運動とも大きく異なる性格を有していたこと、またこの運動が、明治以降新たに日本に成立した「修養」概念を自己形成上の理念として取り込んでいたことを明らかにした論文である。地域の青年の自己形成、学習運動と、日本社会における論(自己形成論)の展開過程を結びつけ、青年会運動を導いた理念や内容、方法をこれまでにない視座から明らかにしようとしており、この研究成果は、地域青年の自己形成運動史研究の分野に新しい知見をもたらすと同時に、学会レベルでも本格的研究が始まりつつある「修養」研究の分野にも大いに貢献することになると思われる。

青木健「農地改革期の耕作権移動」(『歴史と経済』第209号、2010年10月)

 本研究は農地改革木における土地貸借関係の変化と耕作権移動の実態を旧伊賀良村大瀬木地区を対象に分析したものである。長野県下伊那郡は、県内で最も多く満州開拓移民、青少年義勇兵を輩出した地域であった。開拓民の半数を失いながらの帰還が戦後の村にいかなる意味を持ったのかを、伊賀良村役場の農地委員会関係史料を中心として用い、経済史的に明らかにした。分析視角そのものの画期性とともに、時間と手間のかかった重厚な研究として、高く評価できる。

奨励賞

今井積『山の村に生きて』(おさひめ書房、2010年)

 本作品は、下伊那郡大鹿村生まれの著者が80年以上に及ぶ山の村の出来事、思い出を綴ったものである。戦時中の村内小学校教師を数年勤めてから、結婚、子育てのあと、ふたたび保育所の所長として社会活動に復帰してから、現在にいたる山村の体験をまとめている。本作品は随筆、歌集であるが、戦時中から戦後60年におよぶ大鹿村の風土と民族を語る貴重な歴史証言である。

手づくり花火の里清内路刊行会『炎は躍る』(宮下和男 文・北島新平 スケッチ、2010年)

 上清内路の伝統的な花火の一つ一つについて、わかりやすく解説し、お話風にまとめている。簡単な花火伝来や製法についての説明、清内路の産業・食などの説明が、祭りと関連させながら書かれていて、清内路の人々の大切にしているものが総合的にまとめられている。子どもから大人まで、語り継いでいけるものになっており、地元の大切にしてきたものをまとめ、後代へも伝えていこうとする気持ちが読み取れる。

2010年度の受賞作品

 著書部門

氏乗史編集委員会 『氏乗史』(2010年3月)

 本書は、天竜川左岸、小川川上流の現・喬木村氏乗(旧小川村氏乗)を巡る単位地域史である。地名の由来や地質などから始まり、木地師や石神仏、林野と竜東索道など、地域の特性が多面的に叙述され、また矢筈砂防ダムや三遠南信道のトンネルなどにより、最近の変貌の様子がたどられる。古文書の翻刻、豊富な図柄、古写真などを用い、読みごたえのある内容となっている。そして、近世後期以来の小川村からの分村問題や、地域の核であった氏乗学校の足跡が記されるなど優れた成果となっている。

論文部門

吉田知峻「19世紀清内路村における建設行為の構造」(『清内路 歴史と文化1』東京大学大学院人文社会系研究科・文学部日本史学研究室、2010年3月に所収)

 本研究は、清内路村における建設活動を村落構造との関連から解き明かした力作である。清内路村に残された文化・文政期における村の舞台や幕末期の諏訪神社の普請記録の丁寧な分析を通して、その建設活動における中老の役割の重要性、膨大な森林資源を背景にした清内路特有の建設行為、コモンズとしての共有施設と村落の関係などが明らかになった。村落共同体と建築を巡る魅力的かつ普遍的なテーマが本研究を通して浮上したと評価できる。

奨励賞

高橋勉『高橋勉自伝 教えられ 支えられ』(南信州新聞社、2010年2月)

 本書は、飯田市下久堅南原に生まれた高橋勉氏の自伝であり、少年期における村の生活(昭和戦前期)、軍隊生活(戦時期)、青年運動(戦後改革期)、農協運動(戦後改革期~現在)、社会福祉施設の運営(現在)について書かれている。本書の特色は、多くの人物の歴史が刻まれていることにある。例えば、高橋氏の中学進学に当たって、学資を全面的に援助した有力者の姿、凍霜害防止のため、懸命に村を巡回する農業技術員・農協職員の姿などである。こうした叙述は、高橋氏が他者との「協同」を重視しているからこそ生まれたものである。本書は、高橋氏という地域リーダーの思想と行動や、昭和戦前期から現在に至る農村の姿を知り得る貴重な記録となっている。

豊丘史学会『豊丘風土記』(第二十輯・記念号、 2009年8月)

 本作品は、豊丘村の住民が史学会を組織して,地域の歴史と記憶をたどり続けて,20号にも及ぶ息の長い雑誌を刊行してきた活動の成果である。幕末平田国学の影響を受けた尊皇攘夷派の女性歌人松尾多勢子の調査のために、豊丘村を訪ねてきたアメリカ女性史研究者の話や、多勢子を含めて平田国学の影響を受けた多数の郷土の歌人の詳細な位置図など興味深い。また、国土防衛隊という本土決戦の話や河野村開拓団の生き証人である久保田諫氏の逃避行その後など、戦争の思い出も多く載せられている。また、ひょう害などの天災の記録も貴重で、これまでも本雑誌では天明の飢饉、昭和恐慌、三六災害など、天変地異は住民に忘れてはならない記憶として語り継がれている。それぞれの文章には村民の地域に対する愛情があふれており,この雑誌のタイトルとして「豊丘風土記」と銘打った意味がよく分かる。地域の固有の歴史と文化を語り伝える活動として大変貴重なものである。

2009年度の受賞作品

 特別賞

田中雅孝『両大戦間期の組合製糸』(御茶の水書房、2009年)

 蚕糸業が最盛期を極めた第一次世界大戦から、衰退に至る1930年代の時期まで、養蚕農民を組合員とする組合製糸は全国的に発展し、その中でも下伊那郡は大きな発展を示した。この組合製糸とそれを支えた養蚕を主とする下伊那の農村・農業は、幾人かの研究者の関心を惹き、多くの同時代的研究と歴史的分析の対象となってきた。それらの大部分が個人的テーマ、研究に終わっているのに対し、本書は、下伊那郡の組合製糸とそれを支えた養蚕業、農村の包括的な分析を試みているところが大きく異なっている。この時期の蚕糸業、組合製糸、農村に関する優れた研究である。

論文部門

壬生雅穂「下伊那地方におけるミチューリン農法の受容と衰退」(飯田市歴史研究所『年報6』、2008年所収)

 本論文は、1950年代前半のソ連のスターリン時代の特異な一学説を基礎としたミチューリン農法の普及運動が、なぜ下伊那地方で全国先端の流行を見せたのかを、中心人物となった共産党員菊地謙一の動きを中心に追った興味深いものである。
 最も注目すべき論点は、ミチューリン運動を平和的に社会改革を行おうとした「平和路線」を意味していると評価した点である。「環境と農業」を考える点でも現代的な視点を持っている。

奨励賞

平田正宏『忍と力『破戒』のモデル 大江磯吉の生涯』(南信州新聞社出版局、2009年)

 本書は、島崎藤村作『破戒』の主人公丑松のモデルとなった大江磯吉に関して言及されてきた著述や史資料を集大成し、新たに下殿岡村の矢沢尚氏所蔵文書から大江磯吉の手紙を翻刻するなど、新史料を加えて整理した著書である。礒吉の足跡を経路や交通手段などから丹念に明らかにするなど、磯吉の地元ならではの研究成果が見受けられる。
 地域社会の差別意識の解明と克服のための歴史研究の書である。

市澤英利『東山道の峠の祭祀 神坂峠遺跡』(新泉社、2008年)

 本書は、古代信濃の玄関であった神坂峠で実施された祭祀や、峠を支えた麓の村の変遷などを通して、峠そのものの歴史を復元した意欲的な書物である。特に神坂峠の変遷や遺構・遺物等考古資料の解説・分析に止まらず、読者が峠を身近に感じるような工夫が随所に見られる。                                                                                                                                                                                                                                                                              郷土愛と科学の目という矛盾しがちな二つの立場が調和している。

私たちのふるさと座光寺編集委員会『私たちのふるさと座光寺』(飯田写真印刷、2009年)

 座光寺地区の方々を中心に構成された編集委員会の編集による、地域の歴史と現状を記すものである。座光寺の自然・歴史や現状に関する基礎的な事項を分かりやすい文体で、丁寧に解説する優れた成果となっている。
 教育現場でもテキストとなろうし、市民が地域社会の歴史と現状に関する基礎的な事項を知る上で、構成が工夫されている。

2008年度の受賞作品

論文部門

橋部進「それからの羽生三七 ―敗戦までの思想的変遷―」(『飯田市歴史研究所年報6号』、2007年)

 旧鼎村出身の政治家羽生三七について、新史料を用いてその足跡を丹念に追い、思想と活動の変化を分析した本論文は、戦中期の飯田・下伊那の政治構造を明らかにする広がりを持っている。また、地域の人物を昭和政治史に位置づける分析視角も評価される。

著書部門

満洲泰阜分村―七〇年の歴史と記憶 編纂委員会 編『満洲泰阜分村―七〇年の歴史と記憶』(不二出版、2007年)

 満州移民体験者と泰阜村の住民、研究者との協働により生まれた本書は、聞き書き・座談会・論考のアンサンブルから満州移民の歴史と現在を叙述。戦後60年を過ぎて、初めて泰阜村の「大八浪開拓団」が歴史として対象化された記念碑的著作である。

奨励賞

竜丘公民館民俗資料保存委員会 編『続々々丘の語部たち―心ゆたかに今を生きて』(竜丘公民館、2007年)

 昭和56年の第1巻刊行以来、延べ300人もの人々が、竜丘地域の歴史・生活・文化について生活者としての目線で語る4巻目である。竜丘をかけがえのない生活地域と捉え、これほどの規模で地域の歴史総体を当事者の言葉で後世に伝えようとしていることは特筆すべきである。

久保田安正 編『伊豆木小笠原家の御用日記』(南信州新聞社出版局、2007年)

 交代寄合小笠原家の「御用日記」から享保9年(1724年)分を翻刻。丁寧な用語解説など、古文書学習にも有益に編集され、また、江戸時代中ごろの旗本家の生活を知るうえできわめて貴重な史料集である。編者と地元の三穂史学会の方々の活動の成果として大変評価される。

2007年度の受賞作品

著書部門

伊藤幸子『山なみを越えて』(東銀座出版、2006年)

 東京から竜丘村に学童疎開した子どもたちと家族との間で取り交わされた書簡集を翻刻し、戦時下を生きる家族、子ども、地域社会の姿を伝えた点が高く評価された。

論文部門

坂口正彦「養蚕農協の設立と解体―長野県下伊那地方を事例に―」(『社会経済史学』72巻5号、2007年)

 戦後改革期の専門農協を代表する養蚕農協を取り上げ、その設立過程や内部構造、養蚕農協を巡る諸関係を総合農協との対抗関係において解明した点が高く評価された。

奨励賞

飯伊婦人文庫『みんなとだから読めた!』(飯伊婦人文庫発行、2007年)

 地域において昭和30年代から現代に至るまで活動する70もの読書会の姿を明らかにし、読書会に関係した多くの人々の貴重な証言をまとめ上げた業績が高く評価された。

柿野沢区道路委員会『柿野沢における道普請の歩み』(柿野沢区発行、2007年)

 下久堅柿野沢区において、区の住民が戦後に幼稚や資金・労力を提供し、共同で「道づくり」を行ってきた様相について、自ら調べ上げた取り組みと成果が高く評価された。

2006年度の受賞作品

著書部門

熊谷秋穂 『大陸流転―ふたつの戦争』 (信濃毎日新聞社、2005年)

 満洲の子供時代から逃避行、その後の中国での長い生活を経て昭和28年に引き上げるまでの体験が綴られ、日本と中国の現代史における貴重な歴史叙述として高く評価された。

長野県現代史研究会 『戦争と民衆の現代史』(現代史料出版、2005年)

 満洲移民、菊池謙一の思想、女子青年団、労働組合運動、女性の生活記録など、民衆の視点から飯田・下伊那の現代史を分析した多くの論文が載せられ、その先駆性が評価された。

奨励賞

座光寺古文書研究会

 座光寺地区に残された支所文書を中心とする歴史資料について、 調査と整理作業を行いながら、地域内外に広く公開するための方法を積極的に提言している活動が評価された。

一橋大学森武麿ゼミナール 「村報にみる戦時下の農村―「三穂村報」を 事例として」 (『へるめす』57号、2006年)

 農村経済更生助成村に指定されていた三穂村(現飯田市)について、第2次世界大戦期の状況を多角的に解明しており、多くの新事実を明らかにした点が評価された。

2005年度の受賞作品

著書部門

関島桃子『篁の内の昔がたり』(私家版、2005年)

近代化の激流や戦争に翻弄されながら、深い愛情と怜悧な観察眼をもって誠実に生きた、類い稀な自分史叙述の達成として高く評価された。

信州智里東国民学校昭和21年度卒同級会『一年生のとき戦争が始まった―われら国民学校奮戦記―』(農文協、2005年)絵・写真:熊谷元一

 国民学校の生徒だった頃の思い出を綴った自分史の記録集である。子どもたちの目がとらえた戦時下の初等教育の実態と被教育体験を伝える貴重な記録として、高く評価された。

論文部門

田中雅孝「両大戦間期における長野県製糸女工労働市場」上・中・下(『伊那』2004年5月・7月・9月号)

 戦間期長野県下各郡の製糸工場における女工の労働状態を詳細に分析した本論文は、長野県内の女子労働市場の郡別の比較を行った先駆的研究である点が評価された。

2004年度の受賞作品

著書部門

都筑方治『馬宿―近世街道のローマンチズム―』(南信州新聞社、2003年)

 近世の飯田・下伊那地域において、中馬による交通・運輸が果した役割は極めて大きく、古島敏雄『信州中馬の研究』をはじめ、中馬に関する研究は多くなされて きた。しかし一方で馬や馬士が泊まる馬宿については、単なる宿泊施設としてだけでなく、運輸、物流のあり方自体を規定する重要な要素であったにも関わらず、研究蓄積は不十分だったといえる。本書は馬宿について初めて本格的な研究を行った貴重な業績である。著者は馬宿に関する1次史料を博捜して実証的に 分析するとともに、聞き取りを行い、さらに現在まで残されている馬宿の建築を分析するなど、多角的な手法を組み合わせることによって、馬宿の存在意義を地域の中に位置付けることに成功したといえる。特に建造物の詳細な構造分析を通じて、馬宿の機能を具体的に追究した手法は、独創性があり極めて重要である。 以上のように本書は、今後の地域史研究のあるべき方向性を示す、貴重な成果ということができる。

論文部門

田原昇「近世伊那谷における榑木成村支配の様相―千村平右衛門預所を事例として―」(『徳川林政史研究所研究紀要』38、2004年3月)

 本論文は伊那谷における預所支配の成立と、その経営、預所役所の職制・運営、千村平右衛門家の身分の特質などについて、実証的に解明しようと試みたものであ る。また、榑木成村支配の具体的な状況を検討し、幕府の山林支配の特質を見ようとする。特に預所支配成立の経緯や、飯田に設けられた千村氏預所役所の代官・市岡氏の業績を検討した点は重要な成果である。以上から本論文は飯田・下伊那における預所支配の基礎研究として、大きな貢献となっているということができる。

山口通之「長野県の南信三地域(諏訪、上・下伊那)の戦後の工場立地とその展開からみた空間構造―三地域の製造業の立地関連と海外進出を中心に―」(『信濃』第55巻 第11号・12号、2003年)

 本論文は、下伊那だけではなく、諏訪・上伊那・下伊那の3地域の産業の海外、および3地域内での移転を比較した研究である。大筋では、工場誘致とその後の海外直接投資により、地域の雇用が不安定になりながらも、それに対抗するいくつかの試みが起きていることを地域の実例をもとに記している。また、下伊那の例として、地域から撤退する三協精機とその跡地に進出する多摩川精機の企業理念の差を述べている点、先発の諏訪地域を後発の上伊那がキャッチアップしようすることを例に、南信3地域内で、後発国が先発国をキャッチアッ プしようとすることに似た現象が起こっていることを明らかにした点は興味深い。以上から本論文は、現在の南信3地域の製造業の現状を把握する上で優れた研究ということができる。