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竹田人形座[関連資料/竹田氏事歴]

ページID:0000645 印刷用ページを表示する 掲載日:2013年11月6日更新

竹田氏事歴

早稲田大学名誉教授 文学博士 河竹登志夫 (平成10年8月) 

 日本の人形劇史に不朽の名をとどめる竹田氏の系譜は、17世紀にからくり芝居を創案した竹田近江に始まる。続く初代竹田出雲は大阪に竹本座を創立、今日の文楽の礎を築いた。二代目出雲は浄瑠璃作者としてもすぐれ「仮名手本忠臣蔵」をはじめとする名作の主作者となり、人形劇黄金時代を生む。以後、竹田氏は明治まで八代をかぞえた。

 昭和30年(1955)、糸繰りの名手・結城孫太郎が河竹繁俊と徳川無声の推挙により竹田三之助と改名、竹田人形座を東京に復興する。

 信州伊那谷喬木村の出でその芸養子になった竹田扇之助は、伝承と創造の場として<竹田練場>を建設し、同志に人形師・竹田喜之助を得て映像界にも活躍した。海外公演を通じて日本の人形劇を世界の中に位置づけ、ウニマ(国際人形劇連盟)や国際大会にも重きをなし、今世紀最高の人形劇人7名の中に選ばれて入る。また、フランスのシャルルビル・メジェール市と飯田市との人形劇友好都市締結にも尽力、多くの成果により数々の栄誉を受けた。

 平成2年(1990)、扇之助は故郷なるこの地に移って竹田練場を再建、内外で収集したコレクションと共にこれを飯田市に寄贈した。竹田扇之助記念国際糸操り人形館は、その壮挙と竹田氏代々の功績を記念し、人形劇による国際的貢献の中核たるべく、飯田市によって建てられたものである。