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古島史学の現在

ページID:0112434 更新日:2010年12月7日更新 印刷ページ表示

古島史学の現在

  • A5判 並製本
  • 販売価格 800円
  • 販売 飯田市歴史研究所

 

 著作集の復刊にあたり、旧「月報」をリプリントすると共に、新たに13名の方々に古島敏雄先生の人と学問に関わる随想をお寄せいただき、これらを第2部として旧「月報」と合冊し、『古島史学の現在』と題する小冊子を飯田市歴史研究所により編集・刊行することにした。

 小規模ながら地域史研究のメッカを志す飯田市歴史研究所にとって、古島敏雄先生の人と学問に対する厚い尊敬の念は、その設立にあたっての理念の核心に位置するものである。飯田・下伊那の地域史研究にとって、古島史学を汲めども尽きぬ論点・方法の最良の源泉として、本研究所では末長く位置づけてゆきたい。そして同時に古島史学の全容を復原・把握するためのセンター機能を果たせるように努めるつもりである。著作集の復刊を機会に、若い世代や飯田・下伊那の地域市民の方々が古島史学を深く学ばれ、私たちと共にこれを継承・発展されることを願ってやまない。

吉田伸之(研究部長・東京大学教授)

 

古島敏雄について

 

 古島敏雄さんのお名前をご存知の方は飯田・下伊那には大勢いらっしゃると思います。
 古島さんは明治45(1912)年に飯田町(現在の飯田市)主税町で生まれ、のち東京大学農学部、専修大学経済学部で農業技術史や経済史の研究を進めた学者です。生涯の間に膨大な量の著作を発表し、「古島史学」と呼ばれる体系を築き、戦後歴史学にはかりしれない影響を与えましたが、平成7(1995)年8月、不慮の火災によりお亡くなりになりました。下伊那に関する研究も多くなさっており、なかでも御自分の子供のころの記憶をたよりに書いた『子供たちの大正時代』(平凡社、1982年)は、地元の人々にとって親しみやすい地名などが多くみられ、お読みになった方も多いかと思います。ところがそれでは古島さんが戦後歴史学の発展の上でいかに大きな位置を占めたか、その点で伊那地方の歴史資料がどのような役割を果たしたかとなると、正確に説明できる方は、必ずしも多くはないのではないかと思います。

古島史学と伊那地方 

  一般に学者の世界はとかく専門的であるため、当然かもしれません。特に古島さんは「早わかり」的な物言いをするタイプの学者ではありませんでした。しかし私は、この地域に暮らす多くの方々がその学問の意義をご存知ないままでいるとしたら、非常にもったいないと考えています。というのも古島さんの研究対象は、過去の伊那地方において営まれた農業や商工業、運輸業などの日常的な経済活動―しかも地域のすべての人々の生活に関連したであろう経済活動―に目をつけ、その変化の過程を具体的に分析することによって、封建的な前近代から近現代社会にかけての日本史全体の普遍的な流れを解明する上で大きな学問的貢献を果たしたからです。みなさんが日常接する地域固有の事柄が、より大きな世界や歴史全体の中でどのような位置を占めるかを知る上で、古島さんの研究が大きな意味を持ってくるのです。

古島史学の問題関心

 古島さんが伊那地方の研究をもっとも重点的に行ったのは戦前であり、戦災で御自宅とともに膨大な資料やデータを失い、諸事情の変化もあって、そのまま研究を継続することが困難になってしまいました。戦後は、戦前の名著である『近世日本農業の構造』や『信州中馬の研究』など(ともに伊那地方を題材としています)に感化されて集まった若い研究者とともに、全国的に視野を広げて共同研究を行うようになり、また農地改革の影響もあって、地主制研究から近代の産業資本確立の研究に没頭していきました。伊那地方の研究については、多くの課題が積み残されることになったといえます。

 そもそも古島さんが研究を開始したきっかけは、下伊那の地域経済の根幹であった養蚕業が昭和初頭に衰退し、農村問題が深刻化したことに衝撃をうけたためです(古島著『社会を見る眼・歴史を見る眼』農文協、2000年)。そこで郷里の経済が発展から衰退へと向かう過程について、史料をもとに実証的にあとづけようとしていったのだと思います。古島さんの研究は戦後にかけて、農業史から交通史・商品流通史→地主制史→産業史へと展開しましたが、研究を開始した昭和十年代初頭、それらのすべてについてすでにあらかたの関心をもっていたことが、当時書かれた『社会経済史学』や『山邨』などの論文からうかがえ、驚かされます。伊那地方にそれだけの材料がそろっていたのです。

未来の地域にむけて

 古島さんは、偉大な郷土史家であった市村咸人さんに史料読解を教わり(政治史や文化史に力量を発揮した市村さんと社会経済史の古島さんとでは対象は異なりますが、実証的・科学的に史料を読む方法はよく引き継がれたと思います)、同じく偉大な郷土史家の平沢清人さんらとも親交を結んで研究を進めましたが、史料の利用条件は今とは比べ物にならないくらい悪いものでした。むしろこれらの方々の努力を基盤として、戦後の史料利用条件が整備されたのです。今その恩恵にあずかり、都市とすべての農村を包括した地域全体を対象として、古島さんが積み残した課題をもう一度見直し、新たな研究を開始することが可能となりつつありますし、そうすべきだといえるのです。

 戦後60年を経て、下伊那の都市と農村をめぐる状況はガラリと変わってしまいました。歴史研究は過去を対象としますが、問題関心は現代の社会状況に大きく規定されます。今我々は未来の地域にむけて、いかなる研究課題を設定すべきなのかという点から始める必要があります。しかし古島さんの歴史分析はとても優れており、時を越えた普遍性を持っているため、いずれにせよ常にそこに立ち帰る必要があるといえます。

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