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青崩峠

ページID:0056387 印刷用ページを表示する 掲載日:2024年1月17日更新

青崩峠(あおくずれとうげ) 1区域

区 分:飯田市史跡(平成11年12月22日 指定 ※1

 (※1 南信濃村指定。静岡県側は静岡県史跡)

所在地:飯田市南信濃八重河内

所有者:林野庁

時 代:-

概 要:

峠

秋葉街道上にある標高1082mの峠で、長野県と静岡県の境にあります(※2)

秋葉街道は、火伏せ(ひぶせ 防火)の神として信仰を集めた、秋葉神社(静岡県浜松市天竜区)へ参拝するための信仰の道、遠州の海産物が山国信州へもたらされた塩の道としても知られています。

青色の岩盤が崩れていることが名前の由来で、一帯は中央構造線(ちゅうおうこうぞうせん ※3)沿いの破砕帯(はさいたい ※4)でもろくなっています。

※2 現在、車道は整備されていません。青崩峠の東側に兵越(ひょうごし)峠という県道の迂回路があります。

※3 中央構造線:西日本を縦断して関東から九州へ抜ける大断層です。長野県では赤石山脈と伊那山脈の間にあります。

※4 破砕帯:断層周辺は大きな力が加わるため、岩盤が割れて隙間の多い状態になっています。

秋葉街道

秋葉神社へ通ずる街道は多くあり、各地で秋葉街道と呼ばれているようです。

信州からは諏訪を起点として伊那市高遠、大鹿村をへて、中央構造線に沿った谷底を南下するルートが知られており、現在の国道152号とおよそ重なります。

飯田からは、八幡の町を起点とし、上久堅地区の小川路峠で伊那山脈を越えて、上村地区の上町宿で諏訪からの街道と合流しています。現在の国道256号(※5)とおよそ重なります。

秋葉街道を通じて、塩などの物資だけでなく、霜月神楽(※6)や秋葉信仰など、多くの文化面での交流がありました。信州からは秋葉神社への参拝でにぎわい、遠州の人たちは諏訪大社や善光寺への参拝に利用し、信州街道とも呼んでいました。

※5 国道256号:飯田市上久堅地区から上村地区の間は、山道で車両が通行できない区間があるので注意が必要です。

※6 霜月神楽:旧暦の11月(霜月 現在の12月から1月頃に相当)に行われる、神に舞やお湯などを捧げる神事です。遠山の霜月祭をはじめ、三遠南信の山間の集落に広く伝わっています。

enkei 南信濃八重河内此田からの遠景(鞍部が青崩峠、右手が熊伏山方面)

秋葉街道の歴史

秋葉街道がいつから成立したかは不明ですが、原始時代より往来があったことでしょう。

文治2年(1186)に「江儀遠山庄(えぎとおやまのしょう)」が登場し、建仁3年(1203)には遠山庄が鎌倉の鶴岡八幡宮の神領となっています。南北朝時代には、南朝方の宗良親王(むねよししんのう・むねながしんのう ※7)が現在の大鹿村鹿塩を本拠地としており、中央構造線沿いに活動していました。また、遠山谷には室町時代の鰐口(わにぐち ※8)が多く残されていますが、遠州地方から持ち込まれたものも少なくありません。

元亀3年(1572)、徳川家康の領地へ侵攻する武田信玄の軍隊が通過したといわれており(※9)、元和元年(1615)には徳川幕府の命令で、豊臣方の落人を探すため、青崩峠の北麓に「梁木島番所(はりのきじまばんしょ)」(飯田市有形文化財)が設置されました。

このように、平安時代末期から鎌倉時代にはすでに知られたルートであり、戦国時代後半から江戸時代初めにかけては、軍用道路として整備が進められたとみられます。

秋葉信仰は、江戸時代貞享2年(1685)に秋葉祭が行われると盛んになりました。間もなく信州でも広がり、元禄年間(1688~1704)に秋葉神社が勧請(かんじょう)されまました。「秋葉みち」とはこの頃より呼ばれるようになったと考えられ、市内には宝暦10年(1760)の道標に秋葉道として記されています。

秋葉街道は中馬(ちゅうま ※10)裁許から漏れてしまったため、三州街道(※11)や遠州街道(※12)に比べれば交易は多くありませんでしたが、幕末の記録によると、遠山谷からは酒樽・椀・下駄などの木製品が出ていき、遠州からは、米・反物(木綿)・茶・塩などがもたらされていました。

現在、秋葉街道とおよそ重なる形で、国道152号と三遠南信自動車道の整備が進められており、ますます信州・遠州・三河の交流が盛んになっています。

※7 宗良親王:鎌倉幕府を倒して新しい政権を立てたものの、足利尊氏が離反したために吉野(奈良県)で政権(南朝)を立てた、後醍醐天皇の皇子です。「良」は、かつて「なが」と読まれていましたが、近年は「よし」とも読まれます。

※8 鰐口:神社などの社殿の前に吊るされており、紐(ひも)でたたいて音を出す銅製や鉄製の鉦(かね)です。

※9 青崩峠の迂回路となっている兵越峠は「兵」が越えたからともいわれていますが、背負うの方言「ひよう」が由来という説もあります。

※10 中馬:江戸時代に飯田を中心に発達した陸上運送の方法で、馬で荷物を運びました。

※11 三州街道:愛知県豊田市足助町と飯田及び塩尻を結ぶ街道で、現在の国道153号とほぼ重なります。

※12 遠州街道:静岡県浜松市と飯田を結ぶ街道で、現在の国道151号とほぼ重なります。

 

信州 信州側の眺望

遠州 遠州側の眺望

峠付近からは、中央構造線に沿って河川が浸食した遠信国境の景観をみることができます。

交通・アクセス・注意事項

○中央自動車道飯田ICより、車で約2時間

○車で峠までは行けられません。ハイキングになりますが、現在、道路工事の都合により、長野県側から行くことができません。静岡県側からの遊歩道をご利用ください。

○静岡県側からは、20分程度のハイキングになります。

○最新交通状況を遠山郷観光協会のウェブサイト(外部リンク)等でご確認ください。

○落石によるパンクやガス欠にご注意ください。

書籍案内 ~もっと知りたい方へ~

遠山郷観光協会(外部リンク)

『秋葉街道』 飯田市教育委員会 2014

『歴史の道調査報告書13 -秋葉街道-』 長野県教育委員会 1984

飯田市立図書館(外部リンク)でご覧いただけます。


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