大名行列
大名行列(だいみょうぎょうれつ)
区 分:飯田市無形文化財(昭和43年11月19日 指定)
所在地:飯田市本町三丁目
時 代:明治時代
概 要:
大宮諏訪神社の祭礼として、申寅年の3月末に開催される式年大祭(お練り祭)で人気の高い出し物の一つです。
大名行列は、参勤交代(さんきんこうたい ※1)で江戸と領地を往復するときの行列です。本町三丁目の大名行列は、明治時代に仙台藩などから道具を入手し、所作は江戸時代に諸大名の行列を請け負っていた東京の志村一家、諏訪の長沢兄弟に教わったもので、江戸時代の大名行列の様子を伝えています。
※1 参勤交代:江戸時代、地方を治めていた藩主は、1年おきに江戸と地方を行き来し、徳川幕府に仕えなければなりませんでした。
見どころは、道中行列の所作と所望の所作とがあります。
道中行列の編成と道具(役柄)
大名行列旗
先頭を静かに歩きます。
化粧笠(けしょうがさ) 奴(やっこ ※2)1人 所望あり
笠を覆う袋に五色の紐がつけてあり、バランバランと音をたてて揺り動かされます。先頭で掛け声のオモテをとり、行列を先導します。
※2 奴:武家で働く者で雑務をこなしていた者をいい、農民や町人が雇われていたといいます。
先箱(さきばこ) 奴4人 所望あり
行政文書が入っている黒漆金紋長柄の箱で、二人づつ歩調を揃えて進み、2組で交代します。
台笠(だいがさ) 小姓(こしょう ※3)1人
殿様の陣笠(じんがさ ※2)で、黒布で包まれ、槍の上に乗せて静かに進みます。
※3 小姓:身分の高い人に仕えた少年をいいます。
※4 陣笠:戦地でかぶった笠です。
黒車熊(くろしゃぐま) 奴9人
車熊とは槍のことで、実用的で装飾のない長槍(4.2m)を、若い衆が3列で進みます。
天狗車熊(てんぐしゃぐま) 奴7人
長槍3人1組でで構成し、中央の一人は空手で槍の受け役で、3組一度に槍の受け渡しを行います。
お弓 小姓1人
箙(えびら ※5)に梅鉢紋(うめばちもん ※6)と朱色の弓2本と白羽の矢立5本の組み物を、陣笠、緋(ひ ※7)の陣羽織の小姓が抱いて行進します。
※5 箙:矢を入れて背負う道具です。
※6 梅鉢紋:江戸時代飯田藩主堀家の家紋です。
※7 緋:火のような明るく濃い赤色です。
鉄砲 小姓8人
赤い袋に納めた鉄砲を担いだ少年少女が、2列で行進します。
伊達道具(だてどうぐ) 奴2人
長道中が無事安全であるように、日(太陽)・月の形に作られた車熊です。仙台藩からの譲り受けといわれます。
白車熊(しろしゃぐま) 奴3人 所望あり
細身の槍(2.7m)です。3人2本で1組。
富士形(ふじがた) 奴3人 所望あり
長槍の中で一番豪華で重量があり、白雪を被った富士山のような槍の頭です。3人2本で1組。
大車熊(おおしゃぐま) 奴3人 所望あり
大型の槍で、3人で1本一組です。
蓬莱大鳥毛(ほうらいおおとりげ) 奴3人 所望あり
蓬莱山(ほうらいさん ※8)を形取り、白熊の毛で出来ている豪華なものです。3人で1本1組。
※8 蓬莱山:昔の中国の想像上の霊山で、仙人が住むとされます。
大薙刀(おおなぎなた) 奴1人
江戸時代前期の島田(静岡県)の名刀匠、源助宗(みなもとのすけむね)の作品です。
徒士(かちさむらい) 10人
駕籠(かご)の前後に、陣笠・羽織袴(はおりはかま ※9)・小刀を差して殿様の護衛にあたります。
※9 羽織袴:武家の礼服で、羽織とは、長着(一般的な着物)の上に着る丈の短い和服で、袴とは腰から下に着けるひだのある衣装です。
お駕籠 奴2人
行列の中心で、御用刀筒・矢筒(やづつ)・駕籠脇侍・お茶匠・腰元(こしもと ※10)が付き従います。駕籠の中に殿様は不在です。
※10 腰元:身分の高い人の雑用をこなす女性です。
お鷹匠(おたかじょう) 1人
狩衣(かりぎぬ ※11)装、陣笠・陣羽織着用で、鷹と鞭(ムチ)を持っています。
※11 狩衣:武家の礼服の一種です。
草履組(ぞうりぐみ) 奴3人 所望あり
草履の投げ技を軽妙に行います。
傘組(かさくみ) 奴3人 所望あり
傘を使って軽技を披露します。
お茶瓶 1人
金蒔絵(きんまきえ)の絵を天秤に担ぎ、茶匠に付き添い、いつでもお茶を点(た)てられるように茶道具を用意しています。
合羽駕籠(かっぱかご) 1人
道中一行の雨具を黒漆塗りの箱で担ぎます。
天覧旗(てんらんき) 奴1人
天覧とは天皇陛下が見られることをいい、大正8年(1919)の東京公演に合わせて作られました。紫地に「賜天覧」の三文字を染めた旗で、後尾をゆっくり歩きます。
掛け声
行列の進行には以下の掛け声があり、大名の威厳(いげん)と奴の心意気を表しています。
先頭の化粧傘の発声の後に、後続が続いて発声します。先頭から後続までを6回12声を2回繰り返して一立といいます。
エーハリワサトナー(威張業途也)
エーコレワサトナー(威是業途也)
エーヨヤサトナー(威良業途也)
所望(しょもう)
町内会所や商家の希望に応じて玄関先などで演じるのが所望であり、各種道具を使用して荘厳・軽快な所作を披露します。
往時の大名行列では小休止がたびたびあり、時折殿様の所望により奴が軽業を披露して、長旅の疲れを癒したといいます。
お練り祭と大名行列の由来
お練り祭
大宮諏訪神社の式年大祭として、7年(数え年)に一度、申年と寅年に行われています。長野県内の諏訪神社では、7年に一度御柱祭を行うことで知られていますが、大宮諏訪神社では御柱は立てられておらず、お練り祭が行われています。
江戸時代の飯田藩主脇坂安元は大宮諏訪神社の再興に力を尽くし、慶安5年(1652)には三月朔日祭礼が行われました。しかし、堀氏が飯田藩を去るとお練り祭も中断してしまいました。
正徳5年(1715)、未満水(ひつじまんすい)と呼ばれる大洪水が伊那谷を襲いました。大宮諏訪神社に集まって祈った町民は、城下町の無事を感謝して、飯田藩主堀氏にお練り祭の復活を願い出ました。享保4年(1719)に復興が叶い、享保19年(1734)には御柱祭と合わせて7年に一度の祭と定められました。
現在は、大名行列をはじめ、郡下の獅子舞などの郷土芸能が出演する一大行事になっています。
大名行列
本町三丁目の大名行列は、明治5年(1872)のお練り祭参加が初回です。それ以前は屋台でしたが、慶応2年(1866)の火災で焼失してしまいました。明治維新(1868)の後は、本町出身の維新の志士薄井龍之(東京警ら隊長・京都裁判長等)の斡旋(あっせん)で、小浜藩(福井県小浜市他)、仙台藩(宮城県他)、姫路藩(兵庫県南西部)の参勤交代に使用した、百万石の大名の道具に匹敵する格式の高い道具を入手しました。
行列の仕方、所作は、明治維新まで諸大名の行列の請負をしていた東京の志村一家、諏訪の長沢兄弟3人が師範として来飯し、今宮町で1ヶ月間稽古して修得したものです。
お練り祭で、大名行列と並んで人気のある出し物が東野大獅子(ひがしのおおじし)です。伊那谷の獅子舞は屋台獅子(やたいじし)といい、大勢の人で幌をかぶった屋台を動かす勇壮な獅子舞として知られています。
見学・交通アクセス
○次回お練りまつりは、2022年(寅年)3月下旬に開催されます。
○アクセス・駐車場等は、下のウェブサイト等でご確認下さい。
○お練りまつりの他に、不定期に上演を行っています。詳しくは、本町三丁目大名行列保存会のFacebook等にてご確認下さい。