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白隠石

ページID:0077978 印刷用ページを表示する 掲載日:2021年8月23日更新

白隠石(はくいんせき) 1基

区 分:飯田市史跡 (昭和47年11月2日 飯田市指定)

所在地:飯田市竹佐317-4(竹佐344-16より移転)

所有者:竹佐区

時 代:江戸時代 宝暦7年(1757)

規模等:高さ1.9m、幅1.3m、花崗岩(※1)自然石

概 要:

はくいんせき

花崗岩の大きな自然石に「南無観世音 白隠書」と彫られています。江戸時代、臨済宗中興の祖と称された、白隠慧鶴(はくいんえかく)の書によるものです。白隠禅師は、貞享2年(1686)、駿河国原宿(沼津市原)に生まれました。15歳で出家し、その後全国を行脚して修行・布教活動を行いました。江戸時代、同じ禅宗の中でも曹洞宗や黄檗(おうばく)宗に比べて衰退していた臨済宗を復興させたことから、中興の祖として崇められています。

宝暦7年(1757)、73歳の白隠禅師は上川路の開善寺に滞在していました。当時、この地方に疫病が流行していました。白隠禅師の滞在を聞いた竹佐村の源佐衛門と平佐衛門は金二分(※2)を進上し、疫病退散を祈り白隠禅師に来村と揮毫(きごう ※3)を依頼しました。

尻詰まりの五文字と斜めに書いた名前から、用意された石に即座に書いたことが窺われ、駕籠に乗ったまま揮毫したとも伝わります。豪放生気・溌剌慈悲(※4)の白隠禅師の人柄を表しているといわれます。

村人は白隠講(はくいんこう)をつくり、家内安全・無病息災・子孫繁栄を祈願し、春・秋に祭を続けています。

元々は道路の北側にありましたが、平成16年、三遠南信自動車建設工事により現在地に移転しました。

※1 花崗岩:マグマが地中深くでゆっくりと冷えて固まった岩石で、ご飯にごま塩をふりかけたような白色と黒色で、御影石とも呼ばれます。

※2 分(ぶ):金一分は江戸時代の金貨の一種で、小判1枚の四分の一の価値です。生活様式が現在と全く異なるため、現在の貨幣価値への換算は難しいですが、18世紀頃の1分は、12,500~165,000円に相当するようです。

※3 揮毫:筆で文字や絵を書くことをいいます。

※4 豪放生気(ごうほうせいき)・溌剌慈悲(はつらつじひ):豪放とは細かいことに拘らない様子、生気とはいきいきして活気に満ちた様子をいい、溌剌とはいきいきとして元気がいい様、慈悲とは他の命に対して楽を与え、苦を取り除くこと、相手に対する憐み・慈しみのことです。

見学・アクセス:

三遠南信自動車 飯田山本ICより車で1分

駐車は墓地利用者及び通行の妨げにご注意下さい。

現在も信仰の対象となっています。礼節をもってご見学下さい。

参考文献:

『わがムラの石造文化財』第2集 南信州文化財の会(編)2020