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風越山白山社奥社境内地

印刷用ページを表示する 掲載日:2019年3月12日更新
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風越山白山社奥社境内地(かざこしやまはくさんしゃおくしゃけいだいち) 1区画

区 分:飯田市史跡(平成15年12月25日 市指定)

所在地:飯田市上飯田 白山社奥社境内地(※1) 

※1 奥社神社境内地、一の鳥居から山頂までの参道及び両側1m、主な石造物周辺3m以内

所有者:白山社・丸山享保会生産森林組合

時 代:江戸時代以降

概 要:

 飯田市街地の北西に聳(そび)える風越山(かざこしやま 1531m)は、東側からは三角形にみえる秀峰であり、古来から霊山として崇(あが)められてきました。山頂付近に鎮座(ちんざ)する白山社奥社は神仏習合(※2)の社で、本殿は室町時代永正6年(1509)に建立されています。

奥社は信仰の中心的な領域であり、一の鳥居から奥之院までは信仰を物語る多くの石造物が点在してます。その年代はいずれも江戸時代中期以降のものですが、山岳信仰・庶民信仰・白山信仰の隆盛や神仏習合を物語る貴重な場所です。

※2 神仏習合:神道と仏教が融合した状態で、神社で読経があったり仏像が安置されるなどしました。神は仏の仮の姿で、人々を救うために神の姿で人々の前に現れるとする本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)が唱えられたりしました。

主な石造物

駐馬巖(ちゅうまがん)

景

一の鳥居の裏にあります。

高さ3mを超す岩の上部に「駐馬巖」と大きく横書きれ、その下に「舊(旧)所謂行者越也安政五年戊午正春吉」、右側には「南無妙法蓮華経」と彫られています。

明和8年(1771)9月、飯田城主堀親長(ながちか)が参拝のため供をつれて馬で乗りあげたが、ここから先は岩場で進むことができず馬を駐(と)めたことから駐馬巖と名付けたといわれます。その後、安政5年(1858)に堀親義(ちかのり)によって書かれました。南無妙法蓮華経の題目は、ここが日蓮宗経蔵時(飯田市上郷)の寺領で、滑落事故が多かったことから供養のために彫られました。

元々の参道は駐馬巖の下を通りましたが崩落していまい、滑落や落石の危険が高いため現在は迂回(うかい)しています。

役小角(えんのおづぬ)

正面

駐馬巖より少し上がったところにあります。

高さ1.3m前後の丸彫りの像で、台座に「明和九年(1772)壬辰九月吉日造立」と刻まれています。

役小角とは、奈良県出身の飛鳥時代から奈良時代にかけての呪術者で、修験道(しゅげんどう ※3)の祖といわれ超人的な伝説が多くあります。周辺は岩場が険しく、かつては様々な修行が行われたとみられます。役小角はこの難所を高下駄(たかげた)で越えたといわれています。

※3 修験道:日本古来の山岳信仰と仏教が結びつき、山の中で修行を積んで超人的な力を得たり、悟りを開くとする信仰です。実際には仏教の要素が多く含まれています。

石 段

解説

駐馬巖のすぐ上から役小角像にかけての自然石5ヶ所に、延べ42段の階段が彫られています。

この石段は、一般参拝者が危険なく通過できるようにと、安政年間(1854‐1860)に飯田城主堀氏が石工に命じて造ったといわれます。石を鑿(ノミ)で斫った(はつった)跡が残ります。

名号石(みょうごうせき ※4

随身門

役小角像から15m程度登り右に折れる場所から登山道を左に外れ、しばらく斜面沿いにトラバースした場所にあります。崩落があり、笹が茂る未整備のルートとなりますので、見学には特に注意が必要です。

高さ5m余り、幅8m余りの自然石に「南無阿彌陀佛」と名号が彫られています。この名号は一文字の中に米が一斗(と ※5)入るということから、六斗石ともいわれています。

可圓和尚は、元禄6年(1693)に飯田市座光寺の湯沢家に生まれ、伝馬町西教寺で仏教を学び、全国を行脚修行の末名僧となり、78歳の時にこの名号を刻ませたといわれています。

全文

「南無阿彌陀佛 説法一万座供養自享保元丙申年至明和六己丑載日課念佛十萬人供羪授與戒菩薩一万人供養 光明名號攝化十生 導師可圓」

※4 名号:仏や菩薩の称号をいいます。

※5 :穀物や酒などを測る単位で、一升の10倍、約18Lです。

金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん) 

金毘羅

六斗石からさらに進んだ山の中腹の、高さ約2.5mの巨石に金毘羅大権現の名号が彫られています。

金毘羅大権現とは、四国の琴平(ことひら)山の神様で、権現とは、神が仏の姿で人々の前に姿を表すことをいいます。山岳信仰で多く祀られている神仏で、文化3年(1806)のものです。 

弘法大師磨崖像(こうぼうだいしまがいぞう ※7)

扉絵

金毘羅大権現の名号と並んでいます。

弘法大師とは真言宗の開祖空海のことで、真言宗は山岳信仰と結びつきが強い仏教でした。

像は細かくも立体感があり、昭和7年の彫刻で、日夏耿之介(ひなつこうのすけ)の句碑に次いで新しい年代です。

※7 磨崖仏:断崖や巨石などに彫りこまれた仏像で、動かすことができません。

参道丁石(さんどうちょうせき)

丁石

風越山の麓にある遥拝所(ようはいじょ ※8)から奥社まで50丁(約5.5km)であることを示しています。

随身門の脇と、奥社拝殿の脇と2ヶ所にあります。

※8 遥拝所:白山町2丁目の旧大平街道にあり、ここから奥社への参拝が始まりました。奥社まで行けられない人はここから奥社を拝みました。

日夏耿之介句碑(ひなつこうのすけくひ)

くひ

山頂から南西に尾根を少し降りた場所にあります。

日夏耿之介は飯田市名誉市民第1号にも選ばれた詩人・文学者・翻訳家です。

高さ3.5m前後の自然石に、

「秋風や狗賓の山に骨を埋む 日夏耿之介

三十四年古希の記念に同級生らの勧めで建之 昭和三四年八月」

と記されています。

日夏が晩年飯田に帰り、その心境をよんだものです。狗賓(ぐひん)とは天狗のことで、風越山に住むといわれていました。風越山が信仰の山でしたので、修行者が天狗にたとえられたものでしょう。

他にも、手水鉢(ちょうずばち)、地蔵菩薩像、経典供養塔など多くの石造物があります。

ふうえつざん?かざこしやま?権現山?

山の名前は「ふうえつざん」ではなく、「かざこしやま」と呼ぶのが本来の呼称です。

もう一つ、権現山(ごんげんやま)との呼び方もあります。

これは白山権現を祀っているからですが、特に山麓の地元の方が愛着を持って権現山といいます。

「かざこしやま」あるいは「権現山」が本来の呼称といえます。

見学・注意事項

白山社奥社までは標高差約800m、登り2.5時間前後の登山となります。

登山に適した服装・装備と行動が必要です。

アクセス

○駐車場あり(平成記念こどもの森公園駐車場 他)

○信南交通 市民バス大休線「砂払」または「西中入口」 徒歩15分(表参道入口まで)

○JR飯田線「飯田駅」 徒歩30分(押洞登山道入り口まで)

書籍等案内 ~白山社及び風越山をもっと知りたい方へ~

『平成16・17年度 白山社奥社保存修理工事報告書』 白山社奥社保存修理委員会・飯田市教育委員会

『かざこし山 ―風越山の自然と文化―』 伊那谷自然友の会・飯田市美術博物館

『風越山イラストマップ』 風越山を愛する会(外部リンク)(事務局:飯田市丸山公民館内)

いずれの図書も、飯田市立図書館(外部リンク)でもご覧いただけます。

歴 史

白山社の祭神は、菊理姫命(くくりひめのみこと ※9)・伊弉諾命(いざなぎのみこと ※10)・大己貴命(おおなむちのみこと ※11)の三柱(みはしら ※12)です。

社伝によれば、養老2年(718)に加賀白山の開山者泰澄(たいちょう)が開いたとされますが、詳しいことは不明です。しかし、平安時代から「風越」の峯が和歌に詠まれていることから、古来より風越山が霊峰として崇(あが)められ、そこに社が建てられたと考えられます。

山頂付近にこれだけ立派な建築を建てられるのは、当時の権力者と考えられます。現在の本殿が建てられた永正6年(1509)は戦国時代で、飯田郷を治めていたのは坂西氏でしたので、坂西氏によって建立されたと考えられています。

その後坂西氏は滅びますが、天正20年(1592)以降、歴代の飯田城主により敬われ修理されたことが棟札より明らかです。特に江戸時代200年間にわたって飯田藩主であった堀家の信仰は厚く、享保16年(1731)に幣殿と拝殿を、安永4年(1775)に随身門を、安政年間(1854~1860)には参道を整備するなど、多くの事業を手がけました。

山頂付近には多くの巨石が積み重なっており、その隙間は風穴と呼ばれ、夏でも冷気が流れています。養蚕が盛んになると、カイコの卵を管理するために風穴が利用され、石室が造られたりもしました。

滝ノ沢にある里宮はかつては白山寺といって仁王門などがあり、風越山には五輪塔や不動堂などがあったことが、絵図からわかります。かつての日本は神道と仏教があまり分けられていませんでしたが、明治時代に廃仏毀釈(はいぶつきしゃく ※13)によって、白山寺はは白山社里宮となり、風越山からも仏教色は排除されました。

※9 ククリヒメノミコト:加賀(石川県)の白山神社の祭神で、白山比※(口ヘンに羊)神(しらやまひめのかみ)のことです。日本神話にほとんど登場しない謎の多い神です。

※10 イザナギ:日本神話に登場する男神で、イザナミとともに日本の国造りを行なったとされます。

※11 オオナムチ:出雲大社(島根県)の祭神で、因幡の白兎などで知られる大国主(オオクニヌシ)神のことです。

※12 :日本の神の一般的な数え方です。

※13 廃仏毀釈:国家神道をすすめる維新政府は、明治初年(1868)に神仏分離令を出しました。神仏分離令そのものは仏教施設の破壊を指示するものではありませんが、各地で仏教施設の破壊が行われました。