信州伊奈郡之絵図
信州伊奈郡之絵図(しんしゅういなぐんのえず) 1舗
区 分:飯田市有形文化財(平成20年3月25日 市指定)
所在地:飯田市美術博物館
所有者:飯田市
時 代:江戸時代 正保年間(1644~1647)
規模等:縦174.0cm、横409.0cm 紙本著色(しほんちゃくしょく ※1)
※1 紙本著色:紙に着色している絵画をいいます。
概 要
正保元年(1644)、江戸幕府は諸国に国や郡の絵図と郷村帳の提出を命じました。飯田城主脇坂安元(わきさかやすもと ※2)が作成した、伊奈郡(※3)絵図の副本とみられます。
各領主別に色分けされた所領分布や村名、街道と一里塚(いちりづか ※4)、番所、峠、河川、橋、渡船、榑木山(くれきやま ※5)と樹種などが詳細に記されており、江戸時代初期の様子を知ることができます。
上下伊那郡の様子を描いた最古で最も詳細な絵図として、大変貴重です。
信濃国では、飯山・松代・松本・上田・飯田の五大名が分担して作成し、「正保四年信濃国絵図」を幕府へ提出しました。
※2 脇坂安元:文武に優れた名君として名高く、元和3年(1617)に伊予国(いよのくに 愛媛県)から飯田へ移り城主となりました。70歳で没し、長久寺(飯田市諏訪町)に葬られました。
※3 伊奈郡:現在の上伊那・下伊那郡のことですが、中世には「伊奈」も多く用いられました。
※4 一里塚:主な街道の脇に、1里(約3.9km)ごとに設置された土盛りです。
※5 榑木:サワラやヒノキなどの板材で、壁や屋根に用いられました。伊那谷の豊かな森林資源は江戸城や江戸城下の建設を支え、くれ木が年貢となっている場所も多くありました。
下伊那部分です。中央の紺色が天竜川で、中洲がある場所が現在の川路・龍江地区です。
赤線が主な街道で、街道の両脇にある黒い丸が一里塚、村名は所領ごとに色分けされています。
見 学
非公開ですが、飯田市美術博物館のウェブサイト上(外部リンク)で公開しています。
展示については飯田市美術博物館(外部リンク)(0265-22-8118)へお問い合わせください。