ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
お知らせ
指定文化財等の紹介
文化財関連施設
埋蔵文化財(遺跡)の手続き等
指定文化財の管理・手続き等
リンク集1 (飯田市教育委員会等)
リンク集2 (文化財の紹介・見学・研究等)

座光寺の石川除

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年9月27日更新

 座光寺の石川除(ざこうじのいしかわよけ) 1区域

川除とは堤防など洪水を防ぐ施設のことをいいます。石川除とは、石で造った川除のことで、割石積(わりいしづみ)の本格的な堤防をいいます。

※ 石川・除ではなく、石・川除です。

区 分:長野県史跡(平成30年9月27日 県指定)

所在地:飯田市座光寺6710-2 他

所有者:飯田市・個人

時 代:江戸時代(1828~1831)

概 要:

天竜川とその支流、南大島川が合流する地点にある、延長215.5m、高さ3.1mの割石二段積の堤防です。堤防の他、水を管理する水門、監視する水見台、流れの勢いを治める中羽根(なかはね)といわれる施設があります。

江戸時代後期の文政11年(1828)に着工し、天保2年(1831)に竣工しました。洪水の度に改修され、明治元年(1868)の大改修で現在の姿になりました。

河原地区に開発された新田を天竜川の氾濫から護るとともに、水利の役割も果たし、天竜川と共に歩んだ座光寺地域の歴史をよく伝えています。江戸時代の堤防が当時の状態を維持して残っていることは少なく、全国的にも大変貴重な遺構です。また築造に関わる資料もよく残されており、座光寺地域の治水・利水の歴史を詳しくたどることができます。   

堤防

teibou 

約160mにおよぶ指定地のうち、南側部分に良好に保存された石積み堤防が観察できます。江戸時代後期に二段積みの堤防が築かれ、1868(明治元)年にもう一段玉石により嵩上げされており、築堤技術の変遷をみることができます。

北側の堤防は埋没していますが、堤体は良好な状態で残っています。

中羽根(刎)(なかはね)

hane 

水流を緩めるために流路に向けて張り出した施設です。写真では中央部の巨石積みで土が乾いている箇所が該当します。二段積みの堤体から、河川側に張り出している様子が観察できます。写真手前の茶色・黒色の土の部分は、川除本来の姿ではなく、後に埋め垂れられた箇所です。

中水門(なかずいもん)

水門 現在は埋め戻されている

指定地の中央部分には、中水門があります。平成24年の発掘調査により、水門の遺構が良好な状態で残っていることが確認できました。石積みの堤防に間口2.9m、高さ1.7mの水門が設置され、、堤防外へ水が引き出せる構造になっています。これだけの規模を持った水門を堤防に築くことは珍しく、治水だけでなく、利水にも配慮されていたことが分かります。

九尺水門

9

9尺は約2.7mで、水門の間口は9尺を測ります。堤防の北端にあり、現在は道路の下になっています。石川除に付随する2基の大きな水門は、天竜川水系の近世堤防では他に知られていません。

水見台(みずみだい)

mizumidai

市道を挟んだ向かい側の盛り土による丘が水見台です。明治元年(1868)に設置されました。現在は道路部分が嵩上げされているため実感することはできませんが、築かれた当時の馬踏(ばふみ:通路)から約2.8mの比高差がありました。川の状況を監視するための高台で、半鐘が設けられており(※)、増水時の異変などを瞬時に伝えることができました。

※ 現在は安全上の理由から撤去されています。

水防略史

下伊那では天正元年(1573)から昭和35年(1960)までの388年間に、大きな洪水が51回、中小規模の洪水が131回記録されており、およそ2年に1度、洪水が起きていた計算になります。

特に、江戸時代の正徳5年(1715)の未満水(ひつじまんすい)は、下伊那に大きな被害をもたらしました。

下市田村(高森町)では、宝暦2年(1752)に惣兵衛堤防(そうべえていぼう)を完成させました。ところが、惣兵衛堤防に跳ね返された水流が、対岸の伴野村(豊丘村)を襲いました。そこで、文化6年(1809)に伴野村でも堤防をさせました。

すると、やはり伴野堤防に跳ね返された水流が、今度は座光寺村を襲うようになりました。そこで、座光寺村では文政3年(1820)までに、長さ350間(630m)にわたり、聖牛などによる護岸を行いました。

さらに頑丈な石積み堤防を考えた村では、文政10年(1827)に資金集めを開始し、翌年から4年間で完成しました。この時、九尺水門、中水門も築かれました。慶応3年(1867)から明治元年(1868)にかけて改修され、中羽根、水見台が設けられました。以降、各堤防の間を堤防で結ぶなどして、下伊那の堤防は順次強化されていきました。明治24年(1891)に、南大島川に新しく堤防が築かれて河道が変わり、現在に至っています。

地域内には石川除に関する史料や絵図などが残されており、当初設計、工事経過、資金調達、修繕経過等が明らかにされています。

なお、惣兵衛堤防・伴野堤防は、昭和36年の三六災害(昭和36年梅雨前線豪雨)により、壊滅的な被害を受けており、その姿をほぼ失っています。

書籍案内 

『飯田市史跡 座光寺の石川除 確認調査報告書』 飯田市教育委員会 2015

『座光寺村史』 座光寺村史編集委員会 1993

飯田市立図書館(外部リンク)でご覧いただけます。

交通・アクセス

○JR飯田線「元善光寺」 徒歩13分

○信南交通 広域バス阿島線「中河原」 徒歩10分