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此田神楽

ページID:0047952 印刷用ページを表示する 掲載日:2024年1月19日更新

此田神楽(このたかぐら)

区 分:飯田市民俗文化財(平成11年12月22日 指定 ※南信濃村指定

所在地:飯田市南信濃八重河内

概 要:

あくまばらい

八重河内の此田地区に伝わる雌獅子一頭による獅子神楽で、笛と太鼓の囃子(はやし)に合わせて舞います。

戦後間もなく途絶えてしまいましたが、平成4年に八重河内地区在住者の若者によって復活しました。

現在は正月2日に無病息災・家内安全を願い、尾之島正八幡神社と地区内の各戸・商店の玄関先で上演しています。

起 源

18世紀の初め、現在の愛知県新城から来た若者が教えたのが始まりとする伝承が知られています。

一方、明治の頃に大屋敷佐太郎という人物によって、水窪(静岡県浜松市)から伝わったとする伝承もあります。水窪の佐太郎が愛知県小坂井村(豊川市)に伝わる神楽を習得し、水窪へ、続いて養子に入った此田へ伝えたとしてます。

かつての此田神楽

此田神楽は縁起がよいとされ、尾之島正八幡神社の霜月祭や、新築祝い、婚礼の祝賀、出産祝いなどで演じられていました。演目は神楽獅子のほかに、段物と呼ばれる獅子狂言(※1)・獅子芝居があり、「八百屋お七」「阿波の鳴門」などの演目があったといわれています。

※1 獅子狂言:浄瑠璃(じょうるいり ※2)の物語を狂言(※3)風に脚色し、獅子舞としたものです。

※2 浄瑠璃:三味線の音に合わせてセリフやナレーションが行われる劇場音楽ですが、ここでは人形浄瑠璃や歌舞伎浄瑠璃で行われる演目をいいます。

※3 狂言:古典的な喜劇をいいます。

中断と復興

第二次世界大戦中の昭和17年に一時途絶え、戦後に復活しましたが、戦後の大変な時期であり昭和26年の遠山中学校落成式への参加を最後に再び中断しました。昭和48年、「遠山の霜月祭」が重要無形民俗文化財に指定されると、郷土芸能に対する関心が高まりました。平成3年に、神楽の全容を覚えているのがただ一人となってしまったとき、此田の集落だけでなく、八重河内地区全体で有志を集め、此田獅子神楽保存会を結成しました。初披露は平成4年の和田諏訪神社の御柱で、以来各地のイベントや正月に上演しています。

現在の演目

悪魔払い

正月2日に門付け(かどつけ ※4)で舞うものです。

獅子頭を一人が被り、右手にオノサ(御幣)、左手に鈴を持ち、幌を体に巻き付けて舞います。「此田神楽は」の掛け声の後に、オノサと鈴を振りながら前方に四足で出ては下がることを3回繰り返し、次に後方に向きを変えて同様に前進と後退を3回繰り返して終わります。

正月の悪魔払いは特に「初舞い」とも呼ばれており、平成5年から始めたもので、正月の風物詩となっています。

午前9時頃、八重河内の尾之島正八幡神社の境内で神社に向かって悪魔払いを一舞いしてから、尾之島集落、和田の通りや集落の各家や商店を回り歩きます。現在は、神楽の湯を最後に終了しています。

※4 門付け:人家の門口などで芸能や読経などを行い、謝礼をもらうことをいいます。

練り込み

神社の祭では鳥居からお宮まで練るとき、他では最初に上演場所へ入るときの舞い方です。

獅子頭を被る一人の後ろに、おかめ面を付けた人(尻持ち)が幌に開けられた穴か頭をだして幌を持って従います。

幌舞い(衣舞い ころまい

練り込みで舞台に到着すると、獅子は両手を広げて幌を掲げるようにして左右に振りながら舞い、途中で右手に幌を巻き付けるように回転させながら舞います。尻持ちは幌の穴から頭を出して、幌を広げます。

おのさ舞い

幌を被って右手に鈴、左手にオノサを持ち、後ろに尾のように巻いた幌を首にかけた一人が従います。

交通アクセス

中央自動車道飯田ICより車で80分

関連サイト・書籍案内

此田神楽(遠山郷観光協会)

『遠山谷南部の民俗』 飯田市美術博物館 2008

飯田市立図書館(外部リンク)でご覧いただけます。


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