中郷流宮岩
中郷流宮岩(なかごうながれみやのいわ) 1個
区 分:飯田市天然記念物(平成30年12月14日指定)
所在地:飯田市上村413-3
所有者:個人
概 要:
現状は地表部分の高さ約3m、周囲約20mの岩の塊です。隣接する国道を建設する際に行った嵩上げにより2/3が埋没しているとみられ、本来の形状は鶏卵のような形であると考えられています。岩の表面は、石灰岩(※1 せっかいがん)層とチャート(※2)層がリズミカルに堆積した2色の縞模様で、強く褶曲しています。1層の厚さは5~15cm程度で、チャート層より石灰岩層がやや厚めの傾向があります。
流宮岩はどのようにできたのか
流宮岩の表面に見える石灰岩とチャートの層は、約2億1千万年前にフズリナ・有孔虫や放散虫(※3)の死骸が遠洋で堆積した地層です。流宮岩は、こうした地層が海洋プレート(※4)に載って移動し、日本列島の下に潜り込む際、列島の縁に削り取られたり、貼り付いたりして付加された地層の一部です(=付加体)。プレートの潜り込みによって地層は次々と付加されていき、少しずつ折り曲げられ、どんどん押されて強く折りたたまれ、圧縮されていきます(=褶曲)。
こうしてできた地層は、中央構造線(ちゅうおうこうぞうせん ※5)の東側の区域にみることができます。このプレート運動による強い圧縮を受けて赤石山脈の山麓が作られました。
中郷流宮岩の現在地は、中央構造線の西側の花こう岩系岩石が分布する一体に位置しています。しかし、先に述べた通り、流宮岩はチャートや石灰岩からなる岩であるため、本来は現在地に分布する岩石ではありません。
こうした状況から、流宮岩は秩父帯の岩石からなる御池山から上村川に向かって崩落した岩の塊であると考えられます。
褶曲した地層の見本 (出典:『南アルプスジオパーク・エコパーク 遠山郷の魅力』)
※1 石灰岩:炭酸カルシウムを主成分とする堆積岩の一種です。色は白色や灰色ですが、含まれる不純物によって黄色、暗褐色、暗灰色にもなります。熱帯、亜熱帯の浅海域でサンゴ礁や有孔虫、石灰藻など、石灰質の骨格や殻をもった生物の化石が降り積もって作られます。セメント、肥料などの原料や大理石として石材にも使われます。
※2 チャート:珪質の堆積岩の一種です。普通は乳白色ですが、含まれる不純物によって、灰、黒、赤、緑、茶色、青などいろいろな色になり、一般的に透明感があります。珪質の骨格や殻をもつ、放散虫や珪質海綿、珪藻の遺骸が堆積して作られます。陸から遠く離れた海洋底で形成されたと考えられています。
※3 フズリナ、有孔虫、放散虫:いずれも殻をもった水棲の単細胞生物です。出産数が多く広い範囲に生息し、進化が速いことから、地質年代の基準となる化石(=示準化石)であるといえます。
※4 海洋プレート:海洋底を覆う板状のプレートのことです。日本近海には、太平洋プレート、フィリピン海プレートがあります。
※5 中央構造線:九州から関東まで約1000km以上連続する日本最大の断層で、活動時期は約1億年前に遡るとされています。
「中郷流宮岩」の価値
(1)赤石山脈の成り立ちを身近に観察することができること
2億年以上前にはるか遠洋で堆積した地層が、プレート運動により日本列島付近の海溝まで移動し、列島の縁に付加され、さらにプレートの圧力で3,000m級の赤石山脈に成長しました。「中郷流宮岩」は、そんな赤石山脈の成長過程を、岩を構成する石灰岩やチャートの層、地層の褶曲から、身近に観察することのできる標本として重要です。
(2)赤石山脈を構成するもっとも古い地層の岩石であること
赤石山脈の秩父帯は、地層に入っている微化石の分析により、山脈全体の地質年代の中で最も古い約2億1千万年前の地層でできています。その地層がしらびそ高原一帯を覆い、南へ延びて中郷方面へ分布し、木沢・和田・八重河内へと細々ながら分布しています。したがって、御池山から崩落した中郷流宮岩は、赤石山脈全体の中で最も古い地層の岩の標本としても重要といえます。
(3)地域の災害記録の一つであり、防災教育の教材になること
中郷流宮岩は、時代は判明していませんが、地震や豪雨などの災害が原因で御池山から上村川に向かって崩落したと考えられています。また、流宮岩から南へ約700mの国道脇の「つべた沢」には、明治元年(1868)7月2日の大洪水によって崩落した巨岩を2個見ることができます。これらは遠山谷で発生した災害を伝える貴重な災害記録でもあり、防災教育上も貴重な自然災害遺産です。
以上の点から、「中郷流宮岩」は、約2億1千万年前に遠洋で堆積した地層が日本列島にまで運ばれ、赤石山脈を形成するという壮大なストーリーを身近で観察することができる標本として極めて重要であり、地域の地史や災害史を学ぶ上でも重要な位置づけにあります。
岩の名前の由来
時代は不詳ですが、岩の付近にあった祠が上村川の洪水で流されてしまったため「流宮岩」と呼ばれるようになり、祠が流れ着いた先は「すわの宮」(祠がすわった)と呼ばれる等になったとのことです。「すわの宮」は現在の流宮岩から1,000m以上も下流の上町周辺であったと伝えられています。
また、上村川の上流にあった祠が氾濫により流出し、この岩の元まで流れ着いたことから「流宮岩」と呼ぶようになった、との伝承もあります。
見学・注意事項
○許可なく岩の表面を削る・破壊するなどの行為はしないでください。
アクセス
○飯田市街地から車でおよそ50分
関連書籍案内
『南アルプスジオパーク・エコパーク 遠山郷の魅力』 南アルプスジオパーク研究会発行 坂本正夫著 2017年
『絵でわかるシリーズ 絵でわかる日本列島の誕生』 堤之恭 2014年