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遠山郷の二度芋の味噌田楽

ページID:0087019 印刷用ページを表示する 掲載日:2021年11月25日更新

遠山郷の二度芋の味噌田楽(とおやまごうのにどいものみそでんがく)

区 分:長野県選択無形民俗文化財(平成14年3月15日 県選択)

所在地:飯田市上村・南信濃

概 要:

二度芋はジャガイモの郷土種で、澱粉価が高く甘味があり、肉質が緻密で煮崩れしません。小粒で、これを一度茹でて串刺しにして、エゴマの味噌などを塗り囲炉裏などで焼いた味噌田楽にした郷土料理です。夏に収穫して直ぐ植えると、秋にもう一度収穫できることから二度芋と呼ばれています。

現在、上村・南信濃には「白いも」と「赤いも」の2系統の郷土種が栽培されています。今日最も郷土種の栽培が盛んなのは、上村の下栗集落ですが、秋にはソバが栽培されており、年1回の収穫がほとんどです。

にどいも

解 説:

レシピ 

材料(2人分)
  • 下栗いも12個(30~50g程度のサイズ)
  • エゴマ味噌(エゴマ15g 味噌50g 砂糖50g 酒小さじ2)
手順
  1. 下栗いもは洗って皮付きのまま鍋に入れ、箸が刺さるくらいまでゆで、水気を切る
  2. エゴマはフライパンで軽く3粒ほどはぜるまで炒る
  3. すり鉢でエゴマをよく摺り、味噌・砂糖・酒を加え、よく練る
  4. 竹串にゆでたいもを3個づつ串刺しにし、炭火などで焼く。エゴマ味噌を塗り、もう一度さっと焼いて完成

にどいも

遠山谷の郷土種のジャガイモ

白いも

江戸時代、山梨県で栽培が始まったジャガイモが西へ伝播し、江戸時代後期に井川(静岡市葵区 大井川上流部)から赤石山脈(南アルプス)を越えて、遠山谷に持ち込まれたと考えられています。そのため静岡県や長野県では「甲州いも」と呼ばれていました。

昭和18年(1943)の下栗の民俗調査では、「秋いも」「昔いも」という品種が栽培されているとのことです。おそらくは下栗でも甲州いもと呼ばれていたとみられますが、新しい品種が導入されると昔から作っていた甲州いもを「昔いも」と呼び変えたと考えられます。現在の下栗では「白いも」と呼ばれています。

南信濃八重河内と和田地区にも「くだりさわ」という在来種が栽培されています。これは上村下栗から譲り受けた種芋をルーツとしており、下栗の白いもと同じ系統の在来種です。

(旧)赤いも(二度芋)

名前の由来となった「二度芋」は、昭和23年以前に栽培されていた「赤いも」をいい、現在の「赤いも」とは異なるものです。休眠期間が短く、秋の栽培ができました。明治22~23年(1889~90)頃には上伊那で栽培されていた記録があるそうです。この「二度芋」は「アーリーローズ」という品種の別名と考えられています。アーリーローズは明治6年(1873)頃に北米から北海道に輸入され、昭和4年(1929)に長野県が県下各地に配布したとの記録があります。

赤いも(現在)

現在下栗で栽培されている赤いもは、調査の結果「金時薯」と呼ばれる品種と近縁であり、昭和の初期にドイツから北海道に輸入されたものの可能性が高いとのことです。これが昭和23年(1948)に下栗に導入されて広がり、当時栽培されていた「赤いも(二度芋)」は次第に栽培されなくなりました。この現在の「赤いも」は、休眠期間(イモを収穫してから芽が出てくるまでの期間)が長く、二毛作には向いていないとのことですが、貯蔵性が優れており、翌年の6月頃まで使えるそうです。

下栗いも

現在、ジャガイモの郷土種の栽培が盛んなのは、上村地区の下栗です。下栗は南アルプスの麓、標高1000m前後にある斜度約10~40度にもなる傾斜地の集落で、降水量が多く、耕土を流失させない独自の農業技術が伝わっています。下栗の住民グループでは、在来の白いもと赤いもを「下栗いも」と命名して品種保存活動や来歴・料理の研究を行っており、平成19年には長野県から「信州の伝統野菜」に認定されています。

しもぐりいも

ジャガイモの旅 ~アンデスから下栗へ~

ジャガイモの原産地は南米大陸のアンデス山脈で、紀元前から食用として利用されてきたと考えられています。15世紀末から16世紀にヨーロッパへ持ち込まれ、諸説ありますが、日本へは1598年、或いは1603年にオランダ人により長崎へ持ち込まれたと考えられています。ジャガタラ(インドネシア首都ジャカルタ)を経由してきたことが名前の由来といわれます。しかし、食べ物として日本全国に広がるのは後のことです。

一方、これとは別ルートで18世紀末、ロシア人の影響で北海道・東北地方にジャガイモが導入され、飢饉対策として栽培されました。

中部地方には18世紀末に導入されます。天明の大飢饉(1782~88年)で疲弊した領民救済のため、甲州(山梨県)の代官 中井清太夫は九州からジャガイモを取り寄せ、栽培を奨励し、領民を飢饉から救ったとされています。これが周辺にも広がり「甲州いも」と呼ばれました。

長野県においても明治時代前半までは甲州いもが作られており、やがて明治時代以降に欧米から新たに日本に導入された品種も広がっていきます。明治22~23年頃に「二度いも」というおそらく北米経由の品種が入ってきてきました。下栗、遠山谷でも同じ状況であったと考えられます。さらに、昭和23年、昭和初期にドイツから輸入されたであろう金時薯の近似種が下栗に導入され、「赤いも」として普及しました。一方で甲州いもも呼び名を変えながら、伝統野菜・郷土食として現在まで遠山谷で栽培され続けています。

参考文献等:

『下栗いも 歴史と現在』 下栗里の会 2016

『地域を照らす伝統作物』 大井美知男・市川健夫 2011

遠山郷観光協会HP(外部リンク)

下栗の里HP(外部リンク)