日樹上人墓
日樹上人墓(にちじゅしょうにんはか) 1基
区 分:飯田市史跡(昭和43年11月19日 飯田市指定)
所在地:飯田市羽場権現1190-9 元山白山神社境内
所有者:個人
時 代:江戸時代(寛永20年(1643))
規模等:高さ186cm、幅61cm、 花崗岩製(※1)
概 要:
寛永20年(1643)の日樹上人13回忌に建立された五輪石塔です。江戸時代のものですが、形状が整った安土桃山時代の様式を残しており、仏教史上からみても価値が高く、当市を代表する五輪塔といえます。
解 説:
日樹上人
日樹上人は江戸時代の僧侶です。日蓮宗の大本山である池上本門寺(東京都大田区)に入ると、その復興に努めるなどしました。日樹上人は不受不施派(ふじゅふせは)を信奉していました。不受布施派とは、日蓮宗の教義である法華経を信仰しない者からの施しは受けず、説法等をしない宗派で、幕府の命令を拒んだため、キリスト教と同じく弾圧されました。
寛永7年(1630)、江戸城にて不受布施派と対立する受布施派との議論に敗れ、幕府の裁きに違反したとして、飯田へ流罪となりました。飯田在住の間、江戸池上に似たこの地を池上と呼び、草庵をかまえ、近隣の住民に教えを説いて、多くの信者を得たといわれています。翌年5月19日、飯田城主脇坂氏家臣 田中八郎左衛門宅にて、56歳で亡くなりました。13回忌の寛永20年(1643)、草庵跡に、僧日利らによってこの五輪塔が建立されました。
五輪塔とは
主に墓標や供養塔として使われるもので、下から方形(四角形)、円形、三角形、半月形、宝珠形の五つの輪(りん)を重ねて塔にしています。古代インドで宇宙を構成するという、地・水・火・風・空を表しているとされますが、この教義に従い日本で考案されたと考えられます。
現 状
神社の境内の南側に、およそ5m四方の周りに石垣と塀を廻らした、1.6m程度盛土した一画があります。盛土のほぼ中央に東に面して立てられている五輪塔が日樹上人の墓です。
五輪塔には、地水火風空を表す梵字(※2)が彫られることが一般的ですが、この五輪塔には日蓮宗で彫られる「妙・法・蓮・華・経」が上から順に彫られています。一番下の「地」を表す地輪(ちりん)には、先の「経」の他に次のように彫られています。
「法燈師日樹上人
寛永二十年癸未五月十九日
行圓院日利建立」
※1 花崗岩:マグマが地中深くでゆっくりと冷えて固まった岩石で、ご飯にごま塩をふりかけたような白色と黒色で、御影石とも呼ばれます
※2 梵字:古代インドで発祥した文字で、日本の仏教では、仏や菩薩などを一文字で表す際に多く使われています
見学・アクセス:
先人の墓で信仰の対象にもなっていますので、礼節をもって見学してください。
○中央自動車道飯田ICより車で8分
○JR飯田駅より徒歩28分
参考文献等:
「日樹上人墓」市村威人 1935 『史蹟名勝天然記念物調査報告書』第五輯