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味の文化財(野沢菜漬)

ページID:0067530 印刷用ページを表示する 掲載日:2024年1月17日更新

味の文化財(野沢菜漬)(あじのぶんかざい のざわなづけ) 

区 分:長野県選択無形民俗文化財(昭和58年7月13日選択)

所在地:県内一円

のざわな

概 要:

野沢菜は信州を代表する漬物で、県内一円で生産し、冬の郷土食として親しまれています。

三束一升(さんそくいっしょう)といい、3束12貫(45kg)の野沢菜に対して1升の塩を振りかけて重石を乗せるのが伝統的な漬け方といわれますが、現在は多くの調味料を入れています。

県選択の文化財としては、野沢温泉原産の野沢菜を指しており、江戸時代の宝暦年間(1751~1763)に、摂津国(現在の大阪府中北部と兵庫県南東部)原産の天王寺蕪を下高井郡野沢温泉村の住職が持ち帰り栽培したところ、誕生したといわれています。

源助蕪菜(げんすけかぶな)

げんすけ

飯田下伊那では、本場の野沢菜とは異なる伝統野菜が野沢菜として栽培されています(※1)。源助蕪菜・源助菜・源助、蕪菜・菜っ葉(なっぱ)、飯田蕪菜(※2)などとも呼ばれていますが、野沢菜とも呼ばれています。

源助蕪菜の丈は約2尺(約60cm)で、3尺(約90cm)になる野沢温泉村原産の野沢菜に比べて生産性が劣る一方、柔らかく甘いといわれており、葉に赤紫色を帯びています。

源助蕪菜は、明治時代末期に愛知県西春日郡の井上源助採種場の品種改良によって作られました。伊那市の伝統野菜「羽広菜」と滋賀県の伝統野菜「日野菜」を交配して作られましたが、諏訪地方の伝統野菜「諏訪紅蕪」が素材の一つに使われたともいいます。

行商を通じて南信地方へ少しづつ定着していったとみられますが、大正時代末から昭和初期に井上源助採種場に勤務し、その後飯田駅前で種苗店を開いた近藤氏の売り込みによって、飯田下伊那に普及しました。

戦前までは、諏訪紅蕪、羽広菜(※3)、野沢菜が伊那谷では多く栽培されていたといいます。昭和30~40年代には源助蕪菜が主流となり、その後、再び野沢菜が増えたといいますが、現在でも源助蕪菜にこだわる家庭や、両方栽培する家庭もあります。近年の伝統野菜の見直しで、再び注目されています。

※1 野沢温泉村由来の野沢菜も栽培・食されています。

※2 飯田蕪菜:源助蕪菜の別称ですが、厳密には源助蕪菜を長年異なる条件で栽培し、近藤種苗店から権利を譲り受けたトマツ本店が手がけたものをいいます。

※3 羽広菜:伊那市周辺の伝統野菜です。

漬 物
げんすけ

源助蕪菜は霜にあたった方が柔らかくなるといい、11月末から12月にかけて収穫されます。

食に適さない部分を切り落とした後、数日日干しをして水洗いし、約1ヶ月の間、漬けます。

つけもの

干し柿の生産が盛んな飯田下伊那では、熟した柿や干し柿、柿の皮を甘味料として加える家庭も多くあります。その他、酢・鷹の爪(唐辛子)・砂糖・しょう油・味噌・昆布・梅酒など、家庭によって調味料はさまざまです。

長漬けと切漬け
きりつけ

切漬け(源助蕪菜)

蕪菜をそのまま束にして漬けるのを長漬け(写真1枚目)、小さい蕪菜や端切れを漬けるものを切漬けといいます。切漬けは長漬けよりも早く手軽に作り食べられます。

~参考文献・ウェブサイト~

 『地域を照らす伝統作物 信州の伝統野菜・穀物と山の幸』 大井美知男・市川健夫 2011

 『飯田の風土料理読本』 飯田市生活改善グループ連絡協議会

  • ※ 郷土料理のレシピ本です。

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