下茶屋の道標
下茶屋の道標(しもちゃやのどうひょう) 1基
遠州街道(えんしゅうかいどう ※1)と伊久間街道(いくまかいどう ※3)の分岐(ぶんき)に建てられた道標です。
区 分:飯田市史跡(昭和60年6月2日 指定)
所在地:飯田市鼎994番6
所有者:飯田市
時 代:江戸時代 宝暦10年(1760)
概 要:
花崗岩(かこうがん ※4)製の四角柱で、幅は25cm×21cm、地上の高さは63cmあります。
以下の文字が刻まれていますが、一部変体仮名(へんたいがな ※5)が用いられていますので、現代仮名を( )内に記しています。
正面
「右 八王多与あきは (右 やわたよりあきは)
左 いくまみち」
右側面
「宝暦十辰年二月廿四日」
左側面
「宮田講中 当村新井六左衛門 茶屋町講中」
※1 遠州街道:長野県から遠州(静岡県西部)へ通ずる街道です。現在の国道151号がおよそ重なり、松尾地区八幡町から秋葉街道(※2)が分かれています。
※2 秋葉街道:長野県から秋葉神社(静岡県浜松市天竜区)へ通ずる街道です。いくつも脇街道があり、飯田からは、八幡の町を起点に上村上町まで通じており、現在の国道256号とおよそ重なります。秋葉神社は防火の神社として名高く、秋葉街道は秋葉詣でと海産物流通の道として栄えました。
※3 伊久間街道:飯田から現在の喬木村伊久間方面へ続く道です。
※4 花崗岩:御影石(みかげいし)ともいわれ、ご飯にゴマ塩を振りかけたような白と黒の硬い石です。地中深くで、マグマがゆっくりと冷えて固まってできます。
※5 変体仮名:平仮名はもともと漢字を簡単にして崩したもので、「あ」は「安」を簡単にしたものです。現在は一つの発音に一文字しかありませんが、明治33年(1900)以前は、多くの文字がありました。たとえば、「あ」は「あ=安」の他に、「阿」「悪」「愛」を簡単にした文字も使われていました。異体字とも呼ばれます。
飯田方面からの写真です。電柱の手前に道標があります。
右手が八幡町方面、左手が喬木村伊久間方面への道です。
道標は特定の所有者が明確でない場合が多く、工事や時代の変化の中で消えていくものが多い中、鼎下茶屋の個人によって、当時の位置で大切に残されてきたものです。
交通・アクセス
○JR飯田線「鼎」 徒歩5分 「飯田」徒歩25分
○信南交通 市民バス市民循環線「下山東」 徒歩5分
○付近に駐車場はございませんのでご注意ください