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菱田春草書簡 菱田家宛

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年8月5日更新

菱田春草書簡 菱田家宛(ひしだしゅんそうしょかん ひしだけあて) 69通

 明治時代、日本画の発展に力を尽くした飯田出身の画家、菱田春草が生家にあてた書簡(手紙)です。

区 分:飯田市有形文化財(平成23年7月20日 指定)

所在地:飯田市美術博物館

所有者:公益社団法人 下伊那教育会

年 代:明治27年~45年(1894~1912)

品質および形状:巻子(かんす ※1)17巻、葉書19葉、封筒8枚

※1 巻子:いわゆる巻物のことをいいます。

概 要:

菱田春草が父鉛治(えんじ)、兄為吉(ためきち)など家族宛てに送った書簡69通で、春草研究に取り組んだ下伊那教育会に対し、菱田家から寄贈されたものです。

春草の書簡は家族に限らず、同僚の作家や支援者宛てのものもいくつか存在します。家族宛ての書簡は身辺状況や心情などが記される内容が多くあります。

また、この書簡群は、春草が東京美術学校(※2)に在席していた明治27年(1984)から、春草没後の明治45年(1912)までをカバーしており、春草の生涯と画歴を知るうえで重要な資料となっています。

 

春草の没後100年にあたる平成23年、彼の業績を称え(たたえ)、春草作品7点に加え、本件が文化財に指定されました。書簡の一つを紹介します。

※2 東京美術学校:現在の東京藝術大学となった学校のひとつです。

60番  明治44年8月29日付  生前の春草が兄為吉に宛てた最後の書簡

書簡
書簡

所蔵:下伊那教育会  ※画像の無断転用を禁じます

千代夫人が代筆したものです。春草は明治41年(1908)春に眼病が発症し、これは腎臓病によるものと診断されました。半年におよぶ療養の末、病状は一時的に回復し、明治42年(1909)に『落葉』、明治43年に『黒き猫』(いずれも重要文化財に指定)を制作しています。しかし、明治44年(1911)の春には再び病状が悪化し、8月の時点ではほぼ失明に近い状態となってしまいました。

この書簡には、病状が悪化しているものの、

「体の方さへ忍堪して静養すれば従て眼の方も多少みゆる様に成るとの医師の話故 決して御心配下さるまじく候」

という春草の言葉が記されています。

しかし、文末には千代夫人の言葉で、

「添え書きながら一寸申上候 千代申上候 実は此五六日以来御病気面白からず目下は重態に陥らん傾きあり いつ脳溢血或いは心臓衰弱等の異変あるや計り難くと医師の注意もあり候故 一寸御知らせ申上置候 御両親様へもお知らせ被下度候 然し気は確かに御座候」

と春草が危機的状況にあることを知らせています。

そして、これから一ヶ月と経たないうちに、春草は満36歳の生涯を閉じてしまいます。