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白山社奥社幣・拝殿、随身門

ページID:0035301 印刷用ページを表示する 掲載日:2024年1月17日更新

白山社奥社幣・拝殿、随身門(はくさんしゃおくしゃへいはいでん、ずいじんもん) 2棟

区 分:飯田市有形文化財(平成15年12月25日 市指定)

所在地:飯田市上飯田 白山社奥社境内地

所有者:白山社

景

 幣殿・拝殿(へいでん ※1・はいでん ※2)

時 代:江戸時代 享保16年(1731)

構 造:

 幣殿:両下造(りょうさげづくり ※3)、こけら葺(※4)

 拝殿:入母屋造(いりもやづくり ※5)、銅板葺

規 模:

 幣殿:桁行(けたゆき ※6)8尺(2.421m)、梁間(はりま ※6)2間(けん ※7)半(4.687m)

 拝殿:桁行1間半(3.102m)、梁間3間(5.469m)

※1 幣殿:神社で本殿と拝殿の間にあり、幣物(へいもつ)を捧(ささ)げる場所をいいます。

※2 拝殿:本殿の前にあり、参拝や祭典を行なう場所です。白山社奥社では通常入ることができません。

※3 両下造:切妻造(本を伏せたような三角形の屋根)の、妻(三角形の部分)がない、両側に屋根を下しただけの造りで、幣殿や寺院の回廊(かいろう)にみられます。白山社奥社幣殿は、棟が拝殿と連続しており妻がありません。

※4 こけら葺:2~3mmの薄い木の板を重ねた屋根です。水に強いサワラ・ヒノキなどが用いられています。白山社奥社では、本殿の屋根と幣殿の屋根が一体となっています。

※5 入母屋造:切妻造の妻側(三角形の部分)の下部に屋根を足した構造をいいます。妻側は、上部は三角形の壁となっており、下部は台形の屋根となります。

※6 桁行・梁間:本を伏せたような三角形の屋根の場合、背表紙にあたる屋根の平な尾根(棟 むね)と同じ方向が桁行、三角形にみえる方向が梁間です。

※7 :柱と柱の間のことを間といい、建物の規模を表す時に用いられます。1間は通常約1.82mです。なお1尺は約30.3cm、6尺で1間です。

概 要

正面

幣殿・拝殿は重要文化財の本殿と接続し、一体化しています。本殿を正面から拝むことができませんが、本殿を風雪から守ることとなりました。

側面から見て、本殿より一段低い場所が幣殿、さらに一段低く階段に面している建物が拝殿です。拝殿は妻側の中央を引き分け(※8)の格子戸としていますが、通常は入ることができません。

幣殿拝殿ともに、天井と床を除き内外を主に弁柄塗(べんがらぬり ※9)で仕上げています。

※8 引き分け戸:2枚の戸を同じ溝にはめて、左右に引き分ける戸をいいます。

※9 弁柄:酸化第二鉄を主要な発色成分とする赤色顔料です。

解説

幣殿と拝殿の境に虹梁(こうりょう ※10)を架け、中央に蟇股(かえるまた ※11)を置き、蟇股内部に十一面観音(※12)を表す梵字(ぼんじ ※15)「キャ」を彫っています。

棟札(むなふだ ※16)の内容から、飯田市北方の宮下半助尉氏が大工棟梁で享保16年に建てられたことがわかります。

※10 虹梁:虹形に上に反った梁をいいます。

※11 蟇股:梁(はり)などの上に置かれる建築部材で、カエルが股を広げたような形をしています。

※12 十一面観音:仏教の信仰対象の一尊で、白山社の祭神である菊理姫命(ククリヒメノミコ ※13)の本地仏(ほんじぶつ ※14)とされています。

※13 ククリヒメノミコト:加賀(石川県)の白山神社の祭神で、白山比※(口へんに羊)神(しらやまひめのかみ)のことです。

※14 本地仏:仏が人を救うために、神の姿となって人の前に現れるとする考え方(本字垂迹説 ほんじすいじゃくせつ)では、ククリヒメノミコトは十一面観音の仮の姿といわれ、正体となる仏を本地仏といいます。

※15 梵字:古代インドで発祥した文字で、日本の仏教では仏や菩薩などを一文字で表す際に多く用いられます。

※16 棟札:建築・修築の際に、記念・記録として、棟や梁などの高所につけられた札です。日付や施主、大工などが書かれています。

随身門(ずいじんもん ※17)

随身門

時 代:江戸時代 安永4年(1775)

構 造:三間一戸(さんげんいっこ ※18)、切妻造、鉄板葺

規 模:桁行5.452m、梁間2.377m

概 要:

殿から一段低い境内の石段正面に建っており、本殿等と同じく、弁柄塗としています。

安永4年には、拝殿棟札には中塚惣右衛門の、本殿墨書には上飯田村の松沢治三郎、松尾町の内蔵首八の名があり、随身門もかれら大工によって建てられたとみられています。

※17 随身門:守護神を左右に安置(あんち)した門をいいます。

※18 三間一戸:門の規模を表すもので、間口が三間で中央間を戸口としたものをいいます。


扉絵

市内の類例や棟札などから安永4年の建築と考えられ、虹梁の装飾や内側を向いた木鼻(きばな ※19)に時代的特徴をよく示しています。

※19 木鼻:貫などが柱から出て余った部分に、彫刻を施したものです。

ここに注目!

3

飯田市のシンボルである風越山(1535m)の山頂付近(約1490m)にあります。

見学・注意事項

外観のみの見学となります。

標高差約800m、登り2.5時間前後の登山となります。登山に適した服装・装備と行動が必要です。

 

アクセス

○駐車場あり(平成記念こどもの森公園駐車場 他)

○信南交通 市民バス大休線「砂払」または「西中入口」 徒歩15分(表参道入口まで)

○JR飯田線「飯田駅」 徒歩30分(押洞登山道入り口まで)

白山社の歴史

祭神は、菊理姫命・伊弉諾命(いざなぎのみこと ※20)・大己貴命(おおなむちのみこと ※21)の三柱(みはしら ※22)です。

社伝によれば、養老2年(718)に加賀白山の開山者泰澄(たいちょう)が開いたとされますが、詳しいことは不明です。しかし、平安時代から「風越」の峯が和歌に詠まれていることから、古来より風越山が霊峰として崇(あが)められ、そこに社が建てられたと考えられます。

山頂付近にこれだけ立派な建築を建てられるのは、当時の権力者と考えられます。現在の本殿が建てられた永正6年(1509)は戦国時代で、飯田郷を治めていたのは坂西氏でしたので、坂西氏によって建立されたと考えられています。

その後坂西氏は滅びますが、天正20年(1592)以降、歴代の飯田城主により敬われ修理されたことが棟札より明らかです。特に江戸時代200年間にわたって飯田藩主であった堀家の信仰は厚く、享保16年(1731)に幣殿と拝殿を、安永4年(1775)に随身門を、安政年間(1854~1860)には参道を整備するなど、多くの事業を手がけました。

かつての日本は神道と仏教があまり分けられていませんでした。滝ノ沢にある里宮はかつては白山寺といって仁王門などがあり、風越山には五輪塔や不動堂などがあったことが、絵図からわかります。

明治時代になると、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく ※23)によって、白山寺はは白山社里宮となり、風越山からも仏教色は排除されました。

昭和9年1月30日に奥社本殿が国宝指定を受け、昭和25年の文化財保護法制定により重要文化財となりました。

※20 イザナギ:日本神話に登場する男神で、イザナミとともに日本の国造りを行なったとされます。

※21 オオナムチ:出雲大社(島根県)の祭神で、因幡の白兎などで知られる大国主(オオクニヌシ)神のことです。

※22 :日本の神の一般的な数え方です。

※23 廃仏毀釈:国家神道をすすめる維新政府は、明治初年(1868)に神仏分離令を出しました。神仏分離令そのものは仏教施設の破壊を指示するものではありませんが、各地で仏教施設の破壊が行われました。

書籍等案内 ~白山社及び風越山をもっと知りたい方へ~

『平成16・17年度 白山社奥社保存修理工事報告書』 白山社奥社保存修理委員会・飯田市教育委員会

『かざこし山 ―風越山の自然と文化―』 伊那谷自然友の会・飯田市美術博物館

『風越山イラストマップ』 風越山を愛する会(外部リンク)(事務局:飯田市丸山公民館内)

いずれの図書も、飯田市立図書館(外部リンク)でもご覧いただけます。


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