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信濃国飯田城絵図

ページID:0086796 印刷用ページを表示する 掲載日:2022年9月20日更新

信濃国飯田城絵図(しなののくにいいだじょうえず) 1鋪(ほ ※1)

区 分:長野県宝(令和4年9月20日 県指定 第286号) 

所在地:飯田市仲ノ町303番地1

所有者:公益社団法人下伊那教育会

時 代:江戸時代初期

規模等:縦253.0cm、横301.0cm 紙本著色(しほんちゃくしょく ※2)

  • ※1 鋪:地図など、折りたたんでいる図面等の数を表す単位で、舗の旧字です。
  • 2 紙本著色:紙に着色している絵画をいいます。

概 要:

脇坂氏藩主時代(1617~1672)の飯田城と城下町を描いた最古の絵図で、城郭・武家屋敷・町屋などの様子が丁寧に描かれています。3色の貼り紙(付箋)があり、貼り紙には脇坂氏と堀氏の時代の家臣の氏名等も詳細に記されていることから、藩主交代の際に使用されたと考えられます。慶安元年(1648)に新た伝馬町北側の伊那街道沿いに設置された桜町が描かれており、それから藩主交代の寛文12年(1672)までの間に制作されたと考えられます。江戸時代初期の飯田城と城下町の様子を知ることができ、また全国的にみても藩主交代の引継ぎ資料は稀で、大変貴重な資料です。

絵図 ※画像の無断転用を禁じます。

解 説:

飯田城が山伏丸・本丸・二ノ丸・出丸・桜丸三ノ丸の6つの郭(くるわ)からなり、城下町は碁盤(ごばん)の目に整備されて、惣構え(そうがまえ ※3)が取り囲んでいる様子がわかります。

  • ※3 惣構え:城全体、特に城下町も含めて堀や土塁、石垣などで囲んだ城や、囲む施設をいいます。

本丸 部分(本丸周辺) ※画像の無断転用を禁じます。

江戸時代初期の本丸御殿の様子が描かれています。

三の丸 部分(三ノ丸・出丸・桜丸・追手門周辺) ※画像の無断転用を禁じます。

藩主の交代で脇坂氏から堀氏へ絵図が引き継がれたため、武家屋敷には3色の貼り紙がされ、茶色の貼り紙には脇坂氏時代の住居の坪数・間口・奥行・持高(もちだか ※4)など、青色の貼り紙には脇坂氏時代の家臣名、白色の貼り紙には堀氏時代の家臣名が記されています。

  • ※4 持高:江戸時代の土地の生産高を表すものです。

えず 部分(知久町・松尾町・荒町他) ※画像の無断転用を禁じます。

北 部分(仲ノ町・伝馬町・馬場町・桜町周辺) ※画像の無断転用を禁じます。

上の写真は現在の橋南地区、下の写真は現在の橋北地区です。

緑色が土塁(土居)、黄色が堀で、惣構えによって城下町・武家屋敷を取り囲んでいること、武家屋敷・寺院が外側に、内側に町屋が配置されていることが分かります。城下を通過する街道の出入り口は桝形(ますがた ※5)となっており、惣構えの外側に慶安元年(1648)に新たに設置された桜町が描かれています(写真左下)。

  • ※5 桝のように四角い空間を設けて、前後左右を城門や石垣などで取り囲んだ出入り口(虎口 こぐち)をいいます。

飯田城の歴史:

飯田城は、室町時代に当地の豪族坂西(ばんざい)氏が築城したのが始まりといわれ、武田氏や徳川氏、豊臣氏ら戦国大名によって伊那谷支配の拠点として整備されました。現在の飯田城の形は、豊臣家臣の毛利秀頼・京極高知らによる整備といわれています。

くわしくは、飯田城の歴史飯田城ガイド(外部リンク)をご覧ください

見 学:

飯田市美術博物館のウェブサイト上(外部リンク)で電子公開しています。

展示については、飯田市美術博物館(外部リンク)(電話:0265-22-8118)へお問い合わせ下さい。

 書籍等案内 ~もっと知りたい方へ~

『飯田城ガイドブック -飯田城と城下町を探ろう-』 飯田市美術博物館 2005

『信州飯田領主 堀侯 -日本を動かした郷土の外様大名-』 飯田市美術博物館 2010

飯田市立図書館(外部リンク)でご覧いただけます