ことの神送り
ことの神送り(ことのかみおくり)
2月8日に行われる、疫病神を集落の外に送り出す行事といわれています。
区 分:飯田市民俗文化財(平成10年11月27日 指定 ※上村指定)
所在地:飯田市上村上町
概 要:
2月8日(※1)に集落に降りかかる災厄を集落の外へ送り出す行事で、色紙の幣束(へいそく)や竹の竿につけた旗などを集落境まで運び、置いてきます。風邪の神送りなどともいわれています。
※1 かつては2月8日と12月8日に行われていましたが、現在は2月8日に近い日曜日に行われています。
準 備
午前10時、自治会の年番が「ヤド」に集まり、次のものを準備します。ヤドは、今日の上町では清水家(しみずや)となっています。
オタカラ(幣束)
大きな幣束が2本用意され、帯に「正八幡宮」と「津島神社 居守殿 弥五郎殿」と書かれています。
コノサ(小幣)
オワキに突き立てる幣束を7本、最後に大岩の元で突き立てる幣束を5本用意します。
旗
「津島神社」「無病息災 村内安全」などと墨書きしたものです。
ヤナギ
枝を残した竹に、枝に白と赤の小幣などを飾り付けたものです。
オワキ
竹の棒の先にワラを束ねたものを取り付け、先のコノサを7本差したもので、神が降臨する際の目印となるものです。
コタカラ(小幣)
五色の色紙の幣束で、元々は各家庭で用意しましたが、現在は自治会が一括して準備しています。
神 事
準備が整うと、清水家の床の間で禰宜(ねぎ ※2)によりお祓いなどの神事が行われます。
※2 禰宜:神社で神様に仕える神職の一つで、祭祀の知識や経験が豊富な者が務めます。遠山谷では集落の神社ごとに禰宜が存在し、「禰宜様」と敬われています。
御神酒開き(おみきびらき)
神事が終わると、清水家の台所で女性たちが用意した豆腐汁をまず食べます。豆腐汁は、しょう油のおすましに豆腐とネギを入れただけのもので、この行事には必ず食べるものとされています。そして御神酒をいただきながら昼食をとり、これを御神酒開きと呼んでいます。
事の神送り
午後1時、禰宜や大人たちが幣束・ヤナギ・オワキを持ち、コタカラを持った子どもたちがこれに続き、上村橋のたもとに向かい歩きます。
この時、子どもが叩く鉦(かね)と太鼓(たいこ)に合わせて、「トート(コート)の神を送れよー」と唄いながら歩きます。
上村橋のたもとに集まり、川下に向かって「事の神送り歌」を唄います。唄い終わると再び鉦と太鼓ではやしながら、上町の正八幡宮の北側にある大岩へ向かいます。
途中、秋葉神社・金毘羅神社碑の前でも上村橋のたもとと同じように、事の神送り歌を唄います。
正八幡宮北側の大岩につくと、事の神送り歌を唄い、唄い終わると幣束を岩の元へ突き立て、旗・おわき・竹を岩へ立て掛けて納めます。
そして、禰宜が首から外した湯襷(ゆだすき ※3)を手に持ってかざし、その下を参加者がくぐり抜けて帰ります。この時、後を振り返らずに帰ります。
かつては、2月8日は中郷区の境まで、12月8日は南信濃地区の境まで送ったといわれています。2月は上町から中郷・程野へと川上へ、12月は程野から中郷・上町へと川下へ送られていました。
遠山谷の他の集落でも行われていた行事ですが、戦後に多くの地区で中止され、現在は2月に上町で行われているだけです。
同様の行事は、伊那山脈を隔てた飯田市千代地区、上久堅地区を中心に行われており、「伊那谷のコト八日行事」として、国の無形民俗文化財に選択されています。
※3 湯襷:禰宜が首に掛けている数珠に似た形状の真綿の紐をいいます。
歴 史:
遠山谷の神送りがいつから始まったかは定かでありませんが、千代地区では400年前から始まったと伝えられています。下伊那郡天龍村で戦国時代に同種の行事が行われていた記録(『熊谷家伝記』)があります。
交通アクセス
中央自動車道飯田ICより車で60分
書籍等案内
『遠山谷北部の民俗』 飯田市美術博物館 2009
動画:【本編】信州上村の伝統芸能 中郷獅子舞 御祝い棒 事の神送り 正調絵島 下栗の掛け踊り(外部リンク)(一般社団法人 地域創造)