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伊那谷のコト八日行事

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年2月29日更新

伊那谷のコト八日行事(いなだにのことようかぎょうじ)

2月8日を中心に行われる、疫病神を集落の外に送り出す行事といわれています。

区 分:記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財(平成23年3月9日 国選択)

所在地:長野県(飯田市千代・上久堅・龍江・上村・立石 他)

概 要:

かみおくり

飯田市の天竜川左岸(「竜東」と俗称されます)を中心に、2月8日あるいは9日に「事の神送り」あるいは「風の神送り」などと呼ばれる行事が行われ、その前日もしくは数日前に「事念仏(ことねんぶつ)」「大将荒神(たいしょうこうじん)」などと呼ばれる行事が行われています。

この二つの行事は、多くの集落では二つを一体として行っており、年の初めに集落に降りかかる災厄を集落の外へ送り出そうとする行事です。

事念仏・大将荒神では、集落内の各家の他、神社、祠、堂などをまわり、鉦(かね)と太鼓を叩きながら念仏などを唱え、お布施・お駄賃を貰います。

事の神送りは、笹竹などを集落境まで運び、次の集落がこれを引き継ぎ、各地の笹竹を集めながら次の集落まで運び、これを繰り返すことに特徴があります。竜東では、神之峰(かんのみね ※1)を中心に、東側ルートと西側ルートがあり、最後は下伊那郡喬木村富田地区の境(北の原)まで送りますが、この流れに乗らず独自に北の原まで送る北の原周辺の集落や、全く単独のルートで行う集落もあります。

かつては子どもだけで行う行事で、男子だけ、あるいは一家に一人だけ、などといった決まりもありましたが、現在は多くの集落で女子や大人も加わっています(※2)

※1 神之峰:中世の山城で、段丘の多い伊那谷でひときわ目立つ独立した山です。戦国時代には地域の豪族知久氏が住んだ山城でしたが、天文23年(1554)に武田信玄に攻められて落城しました。飯田市史跡。

※2 上久堅地区の越久保では、送迎以外は練習・準備・片付けを含めて子どもだけで実施しています。しきたりが多く、寒中での小学生の集団行動では問題も起こりますが、子どもだけで話合い、年長者(頭取)が判断して問題を解決しています。

事念仏・大将荒神

ことねんぶつ

事念仏

上久堅地区原平

2月7日(現在は第一土曜)の夕方4時頃から事念仏が行われます。子どもたちが集落内の神社や各家などをまわり、鉦と太鼓を叩き、念仏を唱えます。年長者は「頭取り」を務め、他に「太鼓ショイ」「新兵」といった役が就きます。唱える念仏は次の通りです。

「今晩(今日)事を申します」

「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」

「南無阿弥陀仏」(9回)

「弥陀願以功徳 明道誠一切道発 菩提心清浄安楽」

電灯が灯る時から、「今日」を「今晩」と言い換えます。途中、祠や神社、権現山(ごんげんやま ※3)や神之峰も拝んで唱えます。各家から集めた「オフセ」は、参加者が均等に分けます。「新兵」が鉦と太鼓を神社へ返しに行きますが、道中で叩いてはいけない、叩いたらやり直さなくてはいけない、といわれています。

この他に、事念仏を始める前には必ず顔を洗い、歯を清め、食べ物は一切口にしない、念仏を唱えるときには必ず帽子をとる、懐中電灯の明かりを消す、などの決まりがあります。

※3 権現山:上久堅地区越久保の東方にある標高1091mの里山です。頂上に白山社がまつられており、同じく山頂に白山社がまつられている飯田の風越山(権現山)に対して女白山ともいわれるそうです。

上久堅地区越久保

2月7日(現在は第一土曜)に集落内の約60戸をまわり、次を唱えます。

「今晩(今日)事を申します」

「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」

「南無阿弥陀仏(なんまいだー)」(2回)

途中、集落の最上部で秋葉街道(※4)の三十三番観音(※5)を拝みます。

33かんのん

上流に向かって一から三十三まで数えますが、四・七・九がつくとヨン・ナナ・キュウと発音します。一人でも間違えるとやり直したり、罰ゲームを与えるなどします。

越久保の事念仏は午後3時頃から始まり、約60戸まわり終えると夜の10時頃となります。

※4 秋葉街道:長野県と静岡県を結ぶ街道で、現在の国道152号とおよそ重なりますが、いくつもの脇街道がありました。飯田からは、松尾の八幡から下久堅知久平、上久堅を通り、小川路峠で伊那山脈を越えて遠山谷につながっており、現在の国道256号とだいたい重なります。

※5 三十三観音:観音は仏教で人々を救う修行者で、異なる姿の33体の観音が三十三観音として信仰を集めました。旅の難所であった峠にはふもとから峠まで33体の石仏が置かれ、旅人の安全を見守るとともに、道しるべとされました。秋葉街道でも小川路峠に三十三観音が置かれています。

大将荒神

千代地区野池集落では、2月7日(現在は8日前の土曜日)に大将荒神が行われます。午後1時頃、鉦一つ、太鼓二つ、大きな数珠を持って、野池神社に集まります。

じゅず

数珠の長さは8m余りあり、現在大数珠が1個、中数珠が1個、小数珠が261個ありますが、かつては中数珠が4個あり春夏秋冬を、小数珠が365個あり1年を表しており、紐が切れるたびに数珠の数が減っていったといいます。

大数珠には「施主 村中 天保四癸巳年七月吉日」(1833年)などと彫られています。

たいしょうこうじん

練習が終わるとすぐ近くの集会所へ移動します。大人も加わり庭や屋内で数珠を持って輪になり、「サンシ」の合図で「大将荒神」を唱え、数珠が三周するくらい繰り返します。大きな数珠玉がくると額に当てては拝み、終わる際にも額に数珠玉をつけます。

続いて次の組合の集会所へ歩いて移動します。かつては約100軒全戸をまわったので、午後12時を過ぎまでかかったといいますが、現在は集会所6ヶ所をまわるだけなので、午後3時頃には終わります。

事の神送り・風の神送り

神之峰東ルート

千代地区芋平は、神之峯の東側を回るルートの出発集落です。2月8日(現在は第二土曜日)の朝から集会所で、道具が準備されます。

みこし

神輿(みこし)は竹にワラの台座を乗せ、ヒノキの葉で胴を作り、幣束(へいそく)で飾ります。

人形

神輿の中には、オトコガミ・オンナガミと呼ばれる人形が納められます。

幟旗は中折り紙二枚と赤紙を貼りつないだもので、「千早振る 二月八日は吉日ぞ 事の神を送りこそする」と墨書きされたものを2本作ります。

この他に幣束が作られます。

ささだけ
ぼんのくぼ

笹竹は集落毎各家で作られ、当日朝に採ってくる家、小正月飾りの竹を利用する家があります。各家では、「風邪の神厄神これへ乗れ」などといいながら笹竹で家中を祓います。

笹竹には短冊とおひねりがつけられており、短冊には、「馬」「午」「申」「風の神」「コトの神送り」などと墨書きされたり、猿と馬の図版が刷られています。おひねりには、家族の「ボンノクボ」と呼ばれる後頭部の毛や爪と、洗米などが包まれています。

笹竹は、出発点である芋平では集会所に集められます。芋平より先の集落では、各家の前から笹竹を持って参加したり、各家からの笹竹が道まで出されており、参加者が集めて次の集落へ送るため、だんだん多くなっていきます。

おはぎ

各家では「コトノカミボタモチ」「コトウボタモチ」を神棚や仏壇に供えます。

火きり

準備が整うと、庭の台の上に神輿をおいて、皆が集まり、鉦と太鼓に合わせて「大将荒神」と拝み、出発します。

順序は次のとおりです。

幣束(区長)-鉦・太鼓-笹竹-旗-神輿-旗-幣束-笹竹(村人)

ふりかえり

10分ほど歩き、次の集落(蛇沼)の境で旗・神輿・笹竹などをおき、3回拝んで振り返らずに帰ります。

同日の午後、蛇沼の集落の村人が集まり、これらを次の集落境まで送ります。

この時、鉦と太鼓とともに「事の神を送れよ ○○(集落境の地名)まで送れよ」などはやしながら運びます。

神之峰東側では、小野子の集落まで同日中に送り、堂平からは次の日に行い、神之峰西側では、大屋敷まで送り、尾科からは次の日に行います。

くぐり

神輿は芋平では神聖な扱いですが、送り先では最後に「風邪をひかない」といわれ、神輿の下をくぐって引き返します。

神之峰西ルート

神之峰の西ルートは野池の集落を起点とし、途中、荻坪と合流して大屋敷に引き継ぎます。

かつては神輿が担がれていたとの伝承がありが、現在はありません。

しんぼく

大屋敷の集落からは、大屋敷の事念仏で用いられた「しんぼく(心木・神木)」が笹竹に加えられます。

村境へ

99

神之峰の東西の集落から送られた笹竹などは、最後に喬木村境の北の原で捨てられます(※6)。途中、中宮と原平と二つの集落がありますが、両集落では前の集落の笹竹を引き継がず、それぞれで独自北の原まで送っている付属したルートとなっています。

隣接する喬木村富田地区にも類似した行事があり、かつては九十九谷(くじゅうくたに ※7)まで送られて捨てられていたという伝承が上久堅地区などに残っています。

※6 現在は衛生上の理由から、後に焼却されているといいます。

※7 九十九谷:喬木村に合併する前の富田村と小川村の境で、百谷あり鬼がいたとの伝説がある険しい地形です。

単独ルート

上久堅地区の越久保の神送りは、次の集落へリレーせず集落内で完結します。

事念仏を含め、準備・練習・片付けまで、頭取と呼ばれる中学1年生と小学生だけで行っており、越久保の特徴となっています。

こいくぼ

「南無阿弥陀仏」と書かれた大旗(おおばた)小旗(こばた)が伴い、太鼓を背負って集落内を練り歩きます。

太鼓と鉦に合わせて次の唄を歌いながら歩きます。

「送り神を送れよ 何神を送れよ カゼの神を送れよ どこまで送れよ ホウネン坂(法現坂(ほうげんざか))まで送れよ」

笹竹

笹竹は、枝葉のついた竹に「南無阿弥陀仏」と書かれた短冊が吊るされた「笹竹」と、同じく竹に色紙で作られた紙垂(シデ)を挟んだ「幣束」と、2種類あります。事念仏の際に渡されるか、家の前の辻に立てられているのを神送りの際に回収します。

頭たたき

途中3ヵ所の休憩で「頭叩き」「首切り」という遊びを行います。大旗と小旗で道に陣地をつくり、2班に分かれて相手の頭を先に触って勝敗を競う遊びです。

ほげんざか

最後は法現坂(ほうげんざか)と呼ばれる尾根で、旗や幣束、太鼓のバチなどを投げ捨てて、事念仏と神送りの唄を7回唱え、振り返らずに走って帰ります。

日程・ルート:

※ 平成29年現在の日程です。最新の日程は各地区自治振興センターへお問い合わせください。

○千代自治振興センター  電話:0265-59-2003

○上久堅自治振興センター 電話:0265-29-7001

○龍江自治振興センター  電話:0265-27-3004

地区名等集落名(よみ)事念仏・大将荒神神送り
名称実施日時ルート実施日時
現在変更前現在変更前
飯田市千代芋平(いもだいら)大将荒神中断7日第2土曜 11時8日
飯田市上久堅蛇沼(へびぬま)お念仏8日 神送り後 第2土曜 13時8日
平栗(ひらぐり)   第2土曜 14時8日
落倉(おとしぐら)   第2土曜 15時8日
小野子(おのご)   第2土曜 16時8日
堂平(どうだいら)   第2土曜翌日 14時9日
風張(かざはり)
上平(うえだいら)
事念仏第1土曜 16時6日第2土曜翌日 16時9日
飯田市千代野池(のいけ)大将荒神8日前土曜 13時 西8日 8時 
田力(たぢから)   西8日 15時 
荻坪(おぎつぼ)   西8日 16時 
飯田市龍江大屋敷(おおやしき)事念仏7日 18時 西8日 15時30分 
尾科(おしな)事念仏7日 13時 西9日 8時30分 
飯田市上久堅大鹿(おおじか)   西中断8日
下平(しもだいら)事念仏第1土曜 16時6日西第2日曜 午後9日
中宮(なかみや)事念仏第1土曜 17時6日付属第2日曜 午後9日
原平(はらだいら)事念仏第1土曜 15時7日付属第2日曜 午後9日
越久保(こいくぼ)事念仏第1土曜 15時7日単独第1土曜翌日8日
(もり)   単独中断8日

下伊那郡

喬木村

富田(とみだ)事念仏9日  10日 
大和地(おおわち)    旧暦2月8日 
氏乗(うじのり)    3月8日 
飯田市三穂伊豆木(いずき)事念仏毎年協議8日   
立石(たていし)事念仏毎年協議8日   
飯田市上村上町(かみまち)    8日に近い日曜8日
ルート

国土地理院発行の2万5千分の1地形図(上久堅・時又)

上記の他、かつて飯田市内では遠山谷一帯で行われていましたが、現在実施されているのは上村上町の「事の神送り」(飯田市民俗文化財)だけです。

また、伊那谷では他に上伊那郡箕輪町・伊那市・駒ケ根市などでコト八日行事が行われています。

歴史:

神送りは、野池では400年前から始まったと伝えられていますが、定かでありません。しかし、笹竹をリレーするなど結びつきの強い集落が江戸時代の行政単位を越えており、戦国時代の豪族知久氏の領内に治まっていること、下伊那郡天龍村で戦国時代に同種の行事が行われていた記録(『熊谷家伝記』)があることなどから、神送りの起源は戦国時代までさかのぼると考える研究者もいます。

事念仏は、行事の分布が江戸時代中頃以降の行政区分と重なること、天明2年(1782)からとの伝承が喬木村富田地区、天保4年(1833)との伝承が千代地区野池にあることから、江戸時代中頃以降に広まった可能性が指摘されています。

交通アクセス

中央自動車道飯田ICより車で40分(千代地区芋平まで)

書籍案内

『伊那谷のコト八日行事 平成二六年度・変容の危機にある無形の民俗文化財の記録作成の推進事業』 文化庁 2015

『上久堅の民俗』 飯田市美術博物館 2006