旧山本中学校杵原校舎管理教室棟
旧山本中学校杵原校舎管理教室棟(きゅうやまもとちゅうがっこうきねはらこうしゃかんりきょうしつとう) 1棟
区 分:登録有形文化財(平成17年12月26日 国登録)
所在地:飯田市竹佐377-1
所有者:飯田市
時 代:昭和24年(1949)
構 造:木造平屋建 切妻造(きりづまづくり ※1) 桟瓦葺(さんがわらぶき ※2)
規 模:桁行(けたゆき ※3)35間(けん ※4) 梁間(はりま ※3)5間余 建築面積609平方m
※1 切妻造:本を伏せたような三角形の屋根を切妻といいます。
※2 桟瓦:「~」形をした一般的な波形の瓦のことです。
※3 桁行・梁間:切妻造の場合、本の背表紙にあたる屋根の平らな方向(棟)が桁行、三角形にみえる方向が梁間です。長方形の建物では長い方向が桁行になる場合が一般的で、梁間は桁行に直交する方向です。
※4 間:建物の柱と柱の間のことを間といい、建物の規模を表す時に用いられます。1間は約1.82mです。
概 要
北側の教室棟と同規模で、建物東西端の渡り廊下で繋(つな)がっています。
南側の中央に、寄棟造(よせむねづくり ※5)の玄関ポーチが付けられています。
外壁を下見板張(したみいたばり ※6)とし、引違ガラス窓が連続する外観は当時の地方における学校校舎の姿をよく留めており、国土の歴史的景観の一部になっています。
※5 寄棟造:四方に傾斜している屋根で、三角形が2面、台形が2面の合計4面から成ります。
※6 下見板張:横方向の板を張って仕上げた建物の外壁をいい、上の板が下の板の手前に重なるようにしています。
ここに注目!
玄関内部の腰板(こしいた ※7)にベニヤ板が使われるなど、当時の社会情勢がよく反映されています。
追手町小学校校舎とともに、義務教育の学校としては長野県内で初めて登録されました。
※7 腰板:建物の壁の構造や仕上げが上部と下部で異なる場合、下部を腰といい、腰に張られた板を腰板といいます。
杵原中学校の歴史
戦後の国家再建のために教育制度改革が行われ、現在の6・3・3・4制の学校制度が設けられ、昭和23年に山本村村議会でも中学校建設が議決されました。
校舎の建築にあたっては、敷地の大半が無償提供され、村民はワラ・竹・縄を提供し、労働力も提供しました。また、神社林・区有林の木を売ったり、婦人会はウサギを飼育して資金をねん出し、生徒も資材を運搬するなど村人による手作りの学校です。
昭和24年8月に完成、使用が開始され、その後、体育館やプールが設けられました。
38年間、3,515名の卒業生を送り出しましたが、昭和60年(1985)、伊賀良中学校(現 旭ヶ丘中学校)と合併して、学校としての歴史に幕を閉じました。
現在は、杵原学校応援団などによる観光・交流資源として活用されています。