旧飯田測候所庁舎
旧飯田測候所庁舎(きゅういいだそっこうじょちょうしゃ) 1棟
区 分:登録有形文化財(平成24年8月13日 国登録)
所在地:飯田市馬場町3丁目411-1
所有者:飯田市
時 代:大正11年(1922)
構 造:木造平屋建 寄棟造(よせむねづくり ※1) 桟瓦葺(さんがわらぶき ※2)
規 模:建築面積252平米 正面間口10間(けん ※3)半 奥行6間余
※1 寄棟造:四方に傾斜している屋根で、2面の三角形と2面の台形の4面の平面で構成されます。
※2 桟瓦葺:「~」形をした一般的な波形の瓦のことです。
※3 間:建物の柱と柱の間のことをいい、1間は約1.82mです。
概 要
棟(むね ※4)の中央部に塔屋(とうや ※5)をのせ、正面に切妻破風(きりづまはふ ※6・7)と車寄せ(くるまよせ ※8)の切妻屋根を重ね、車寄せの屋根には照り起り(てりむくり ※9)をつけています。
車寄せの持ち送り(※10)、切妻破風の表現、軒の持ち送りなどには、セセッション様式(※11)が用いられています。
※4 棟:屋根面が交差して角になった部分をいい、屋根の頂で水平になった部分を大棟といいます。他にも棟の種類はありますが、単に棟というと、一般的には大棟のことをいう場合がほとんどです。
※5 塔屋:建物の屋上から突き出した部分をいいます。
※6 切妻:本を伏せたような三角形の屋根を切妻といいます。
※7 破風:切妻屋根の屋根のない部分、三角形にみえる部分をいいます。
※8 車寄せ:車の乗り降りのためにつけられた、玄関前の屋根付き部分をいいます。
※9 照り起り:屋根の中央がくぼんで反った「照り屋根」と、中央が膨らんだ「起り屋根」を組み合わせた形で、上部が膨らみ下部が反っています。
※10 持ち送り:梁(はり)や庇(ひさし)など、柱や壁から出たものを支える補強材のことで、通常装飾が施されます。
※11 セセッション様式:直線と平面を多く用いるのが特徴で、19世紀にウィーンで誕生した建築様式です。
ここに注目!
向かって右側の事務室の上に観測用の測風塔(そくふうとう)が建てられており、これが他の庁舎と異なる測候所のシンボルでした。
この測風塔は、昭和35年に鉄筋コンクリート造の事務室上に新築され、木造の測風塔は撤去され、現在の外観となっています。
県内に残る唯一の大正期の測候所の建物で、我が国の気象観測の歴史を知るうえで貴重な建築です。
木造の測風塔だった頃の写真(昭和10年か)
鉄筋コンクリートの測風塔に変更後(昭和36年頃)
窓は現在の引き窓と異なり、上げ下げ窓となっています
観覧
内部の展示室には、気象観測用の機器の展示や測候所の歴史の解説があります。
観覧時間:土曜日・日曜日・祝祭日 午前9時~午後4時30分
※観覧の際は、入口で声をかけて下さい。
※平日に観覧をご希望される場合は、下記連絡先まで事前にご予約をお願いします。
12月29日~1月3日までの間は、観覧できません。
連絡先:飯田市教育委員会 文化財保護活用課 電話0265-53-3755
旧飯田測候所の歴史
下伊那はかつて全国有数の養蚕(ようさん 桑を育てカイコを飼い絹を生産すること)地でした。
農業、特に養蚕と気象との間に密接な関係があるとして、明治28年(1895)頃から地方測候所の設立を要望しており、明治30年8月に上飯田村東野(現飯田市東野)に県営として発足しました。
大正8年(1919)に伊那電気鉄道の線路が接したことにより、地震観測ができなくなったため、この地に移転しました。
大正11年(1922)12月に竣工、翌年1月1日より観測が開始され、昭和22年(1947)に発生した飯田大火の延焼を免(まぬが)れています。
平成14年5月に市内高羽町へ移転するまで観測が行われ、上下伊那郡及び諏訪郡の観測が飯田測候所に集められ、地域の気象通報が行われました。
敷地内にはソメイヨシノの大木があり、飯田下伊那地方の桜の開花宣言の基準木となっていました。
平成18年に測候所が無人化されると、開花宣言は廃止となっています。
平成25・26年に耐震改修工事が実施されました。