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菱田春草の「白き猫」

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年8月7日更新

菱田春草の「白き猫」(ひしだしゅんそうひつのしろきねこ) 1幅

 明治時代、日本画の発展に力を尽くした飯田出身の画家、菱田春草の作品です。

区 分:飯田市有形文化財(昭和43年11月19日 指定)

所在地:飯田市美術博物館

所有者:春草会

年 代:明治34年(1901)

規模等:縦109.6cm、横38.2cm、絹本著色(けんぽんちゃくしょく ※1)、軸装(じくそう ※2)

※1 絹本著色:東洋の絵画で、絹(きぬ)に色が塗られている絵画をいいます。

※2 軸装:額に収める形に仕上げられた書画をいいます。

しろきねこ

所蔵:春草会 ※画像の無断転載を禁じます

概 要:

梅の樹の下にたたずむ、端正(たんせい)な表情の猫を描いています。

春草は生涯を通じてさまざまな猫を描いたことが知られています。本作品は朦朧体(もうろうたい ※3)初期の頃の作品ですが、朦朧体特有の色彩混濁(しきさいこんだく)は見られず、色彩純化を試みはじめた時期の作例です。

春草は明治34年9月4日から16日にかけて飯田へ帰省しています。その際に飯田学校同窓会に作品の制作を約束しており、帰京後に描いて同窓会へ寄贈した作品です。昭和24年に同窓会から春草会へ寄贈されました。

 

本作品は、飯田市指定文化財の第1号です。

※3 朦朧体:伝統的な日本画に欠かせない輪郭線(りんかくせん)をなくした没線描法という描き方です。明治時代、菱田春草らによって確立されましたが、当時はぼやけてはっきりしない手法であると、悪意を持って朦朧体と呼ばれました。

春草の画風の変遷

1 東京美術学校時代 (明治23~28年〈1890~1895〉・16~20歳)

狩野派・円山四条派・大和絵や西洋絵画の写実法を学び、それらを用いて描いていた頃です。指導者岡倉天心と、それぞれの段階で学んでいた画風に影響を受けています。

代表作:「秋景山水」(東京藝術大学蔵) 倉時代闘牛図」(個人蔵) 「牧童」(飯田市美術博物館蔵) 武具の図(市文化財・春草会蔵)

2 日本絵画協会(※9)時代 (明治29~31年〈1896~1898〉・21~23歳頃)

東京美術学校を卒業し、日本絵画協会に参加して制作をしていた時代で、輪郭線を重視しつつ、空間性や写実性を意識した制作姿勢に特徴がみられます。

※9 日本絵画協会:明治時代に存在した日本の美術家の団体です。

代表作:「寡婦と孤児」「水鏡」(共に東京藝術大学蔵) 「拈華微笑」(東京国立博物館蔵) 

3 日本美術院(※10)時代前期 (明治31~35年〈1898~1902〉・23~27歳頃)

日本美術院結成後、西洋絵画の空間性や写実性を日本画に導入しようとし始めていた時期です。輪郭線を廃止して色彩のみで画面を構成しようとしています。その画風は「朦朧体」と批判されました。この時期には空間性の造成が追求されています。

※10 日本美術院:明治31年(1898)、東京美術学校を辞めた岡倉天心・菱田春草・横山大観(よこやまたいかん ※11)らが創立した美術団体です。

※11 横山大観:近代日本の美術家・日本画家の巨匠です。東京美術学校では春草と同期で、春草ととも朦朧体を完成させました。

代表作:「秋景」(島根県立美術館蔵) 「菊慈童」(県宝・飯田市美術博物館蔵) 「釣帰」(山種美術館蔵) 「白き猫」(市文化財・春草会蔵)

4 日本美術院時代後期 (明治35~37年〈1902~1904〉・27~28歳頃)

朦朧体の画風には、色彩の暗濁化がみられたことから、その純化(※12)を目指していく時期です。空間性よりも、描写対象の立体感や写実性を重視する姿勢がみられます。

※12 純化:混じり気のない状態にすることをいいます。

代表作:「王昭君」(重要文化財・善寶寺蔵) 「霊昭女」「鹿」(共に市文化財・飯田市美術博物館蔵)

5 外遊(※13)・五浦(※14)時代 (明治37~41年〈1904~1908〉頃・28~33歳頃)

国内では朦朧体と批判されていた春草と横山大観は、明治37年、岡倉天心とともにアメリカ、続いてヨーロッパへ渡り、展覧会を開いています。春草らは海外では高く評価され、これにより国内での評価も上がってきました。

外遊によって色彩の重要性を再認識した春草は、朦朧体の空間性を求めつつも、澄んだ色彩による作画を試み、朦朧体画風を完成させます。また、色彩をより重視するようになり、点描表現なども試みています。

※13 外遊:研究や視察などを目的に海外を旅行することをいいます。

※14 五浦(いずら):茨城県北茨城市にある海岸の景勝地です。日本美術院は五浦に別荘を建てて、絵画部門はそちらへ移動しました。

代表作:夕の森」「夜桜」「帰樵」(共に市文化財・飯田市美術博物館蔵) 「賢首菩薩」(重要文化財・東京国立近代美術館蔵)

6 代々木時代前期 (明治42年〈1909〉頃・34歳頃)

眼病を患った春草は、五浦から東京の代々木へ移り住みます。一時的に回復した春草は、空間性よりも「絵の面白味」を重視するようになり、輪郭線も復活して装飾的な作例を手がけるようになります。装飾性と写実性が一体となった画風に特徴がみられます。代表作「落葉」は、代々木の雑木林にイメージを得た作品です。

代表作:「秋木立」(東京国立近代美術館蔵) 「落葉(重要文化財・永青文庫蔵)

7 代々木時代後期 (明治43年〈1910〉頃・35歳頃)

「落葉」に増して装飾性が進み、背景の空間は空白のままで残されるようになります。また、装飾性と写実性が対置(※15)されるようになります。

※15 対置:対照的な位置に置くことをいいます。

代表作:「雀に鴉」(東京国立近代美術館蔵) 「かけす」(個人蔵) 「黒き猫」(重要文化財・永青文庫蔵) 「春秋」(市文化財・飯田市美術博物館蔵)

8 最晩年期 (明治44年〈1911〉頃・36歳)

「黒き猫」以降、より装飾性に傾き、琳派(りんぱ ※16)の強い影響を受けるようになります。金地に濃い色彩の作例が多くなっていきます。

※16 琳派:桃山時代後期から近代まで活躍した芸術上の流派で、「風神雷神図」(俵屋宗達)などで知られます。背景に金銀箔を用いたり、大胆な構図、繰り返すパターンなどが特徴です。

代表作:「猫に鳥」(茨城県近代美術館蔵) 「早春」(個人蔵)

こちらもご覧ください

菱田春草の足跡 (飯田市のウェブサイト)

春草作品の紹介1 (飯田市美術博物館のウェブサイト)(外部リンク)

春草作品の見学 (日程・交通アクセス等 飯田市美術博物館のウェブサイト)(外部リンク)

春草作品の紹介2 (文化遺産オンライン 文化庁のウェブサイト) (外部リンク)

書籍 『菱田春草 鑑賞ガイド』 飯田市美術博物館

書籍は飯田市立図書館(外部リンク)でご覧いただけます