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畦地1号古墳

ページID:0050200 印刷用ページを表示する 掲載日:2022年6月24日更新

畦地1号古墳(あぜちいちごうこふん) 1基

区 分:飯田市史跡(平成20年11月18日 市指定)

所在地:飯田市座光寺3296-4

所有者:個人

時 代:古墳時代(6世紀前半)

構 造:円墳

規模等:

○墳丘;東西15m、南北19.8m

○埋葬施設;横穴式石室(※1) 全長7.2m 幅1.8~2.5m 高さ1.4m

  • ※1 横穴式石室:古墳時代の石室には、縦方向に掘られ、蓋(ふた)をした竪穴式石室と、横穴を設けて出入り口とした横穴式石室があります。5世紀代は竪穴式石室、6世紀以降は横穴式石室が用いられました。竪穴式石室が個人を埋葬したのに対し、横穴式石室は入口を開ければ数代にわたり埋葬できます。

概 要:

横穴式石室が残る6世紀前半の築造と考えられる円墳で、石室の特徴から九州地方や朝鮮半島との関わりが、副葬品から朝鮮半島との関連が指摘されています。

本古墳は、高岡第1号古墳、北本城古墳の石室と共に、飯田下伊那地方でも座光寺地域だけにみられる特徴の石室を持っています。

墳丘 墳丘

竪穴系横口式石室

竪穴系横口式石室とは、竪穴式石室の横(小口)から入り込むような入口を設けたもので、竪穴式石室から横穴式石室へ変化する過程の北部九州地方などでみられます。

本古墳の埋葬施設は入口よりも玄室(げんしつ ※2)の床面がかなり低くなっていることから、竪穴系横口式石室と呼ぶ研究者もいます。

  • ※2 玄室:石室のうち遺体を安置する空間を玄室といい、玄室へ通ずる通路を羨道(せんどう・えんどう)といいます。

入口に門柱石

石室は、後円部の斜面の中腹に開口しており、開口部の両脇に門柱状の石が立てられています。

入口 石室開口部

平石を立てている

石室の一番下の段は、平たい面を立てて内側に向けるという、一見不安定に思える構造をしており、2段目以上は立てずに積み重ねています。

石室 石室内部

なお、玄室の奥が西側のみ0.7mほど広がった、L字形の平面形をしています。この平面形は座光寺地域内でもみられず、本古墳独自の特徴です。

出土遺物

埴輪(円筒形・朝顔形・人物など)片、武器〈挂甲(※3)刀剣類・鉄鏃〉、馬具、装身具〈銀製長鎖式垂飾付耳飾(※4)・金環(※5)銀環・玉類〉、須恵器(※6)片、土師器(※7)片が採集されています。

  • ※3 挂甲(けいこう):挂甲とは鎧のことで、小札という金属・鹿角・木などの小さな板を繋ぎ合わせて造られたものです。日本では6世紀以降に普及しました。
  • ※4 銀製長鎖式垂飾付耳飾(げいんせいちょうさしきすいしょくつきみみかざり):朝鮮半島からもたらされた銀製の耳飾りで、全国でも50例あまりしか出土していない貴重なものです。

耳飾

  • ※5 金環(きんかん):直径1~3cm程度の金属製の耳飾りで、銅製で金メッキを施したものです。銀メッキを施したものを銀環といいます。
  • ※6 須恵器(すえき):古墳時代に朝鮮半島から伝わった焼き物で、ロクロで形を作り高温の窯で焼いたものです。
  • ※7 土師器(はじき):古墳時代から平安時代にかけての素焼きの焼き物です。

座光寺地域の様相

弥生時代から続く集落はありますが、4世紀から5世紀前半の確実な古墳は確認されていません。

市内の他地区と同様、5世紀中頃に古墳が築造され始めます。この頃の新井原2号古墳(円墳)・高岡4号古墳(円墳)の周溝(しゅうこう ※8)からは、馬を埋葬した穴が見つかっており、5世紀後半には帆立貝形古墳(新井原12号古墳)が築かれています。

6世紀初めには、現在の座光寺小学校の位置に、北本城古墳(前方後円墳)が築かれました。6世紀前半には畦地1号古墳(円墳)が築かれ、その後に本古墳が築かれたと考えられています。北本城古墳・畦地1号古墳・高岡第1号古墳史跡 飯田古墳群)は立地や規模が異なりますが、石室の類似点が多く、市内でもここにしかみられない特徴です。北本城古墳の石室は、小学校中庭に移されています。

高岡第1号古墳の後、座光寺に前方後円墳は築かれておらず、前方後円墳が造られ続ける松尾・竜丘地区と比べれば勢力が衰えたと考えられます。替わって円墳の石塚1号古墳などが造られますが、石室の特徴も市内で一般的なものに変わっています。

7世紀末になると、座光寺には豪族の館などとみられる施設が建てられ、律令時代(※9)になると伊那郡を治めた伊那郡衙(ぐんが ※10)が設置され、伊那谷の政治的中心地となりました。

  • ※8 周溝:墳丘の外側にある溝をいい、古墳を区画したり、大きく見せたり、墳丘の盛り土の材料となったりします。
  • ※9 律令時代:7世紀後半から10世紀頃までの、律令(古代国家の法律)によって国が人々を支配していた時代をいいます。およそ奈良時代から平安時代前半に該当します。
  • ※10 伊那郡衙:官衙とは役所を意味し、郡衙とは郡役所のことです。伊那郡衙は、7世紀後半から10世紀前半にかけて営まれており、正倉院を構成する建物址、館・厨とみられる建物址などが見つかっています。国史跡。

アクセス・見学・注意事項:

  • JR飯田線「元善光寺」 徒歩6分
  • 信南交通 広域バス阿島線「元善光寺前」 徒歩6分
  • 所有者・近隣へお住まいの方へご配慮の上見学してください。
  • 通行の妨げになる場所への駐車はお止めください。

周辺の古墳:

書籍等案内:

  • 史跡 飯田古墳群
  • 『飯田は古墳の博物館 古墳ガイドブック』 飯田市上郷考古博物館 2017
  • 『飯田における古墳の出現と展開』 飯田市教育委員会 2007
  • 『飯田古墳群』 飯田市教育委員会 2012
  • 『飯田古墳群 -論考編-』 飯田市教育委員会 2013
  • 『黄金の世紀』 飯田市美術博物館 2011
  • 『私たちのふるさと 座光寺』 「私たちのふるさと 座光寺」編集委員会 2009
  • 『下伊那史』第二巻 下伊那誌編纂会 1955