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高岡第1号古墳 (飯田古墳群)

ページID:0049686 印刷用ページを表示する 掲載日:2022年5月27日更新

高岡第1号古墳(たかおかだいいちごうこふん)

区 分:史跡(平成28年10月3日 国指定「飯田古墳群」)

所在地:飯田市座光寺3338-1 他

所有者:高岡神社 他

時 代:古墳時代(6世紀前半)

構 造:前方後円墳

規模等:

墳丘測量 墳丘測量図(水色線は墳丘推定線・破線は周溝推定線)

○墳丘;全長72.3m(後円部径約35.2m 前方部幅約35.7m)・主軸N83°E(※1)

○埋葬施設;横穴式石室(※2) 全長5.6m (奥壁幅2.0m 開口部幅1.85m)・主軸N41°E

  • ※1 遺構の中心線が、北(North)から83度東(East)へ傾いているという意味です。西へ傾く時はW(West)を用います。
  • ※2 横穴式石室:古墳時代の石室には、縦方向に掘られ、蓋(ふた)をした竪穴式石室と、横穴を設けて出入り口とした横穴式石室があります。5世紀代は竪穴式石室、6世紀以降は横穴式石室が用いられました。竪穴式石室が個人を埋葬したのに対し、横穴式石室は入口を開ければ数代にわたり埋葬できます。

概 要:

座光寺地域で現存する唯一の前方後円墳で、飯田古墳群では飯沼天神塚古墳に次ぐ規模の古墳です。

ふんきゅう 左手前が前方部、右側奥が後円部と石室

こうえんぶ 前方部からみた後円部

本古墳をはじめ、座光寺地域の石室にはいくつかの特徴があり、朝鮮半島や九州地方との関わりが指摘されています。

竪穴系横口式石室

竪穴系横口式石室とは、竪穴式石室の横(小口)から入り込むような入口を設けたもので、竪穴式石室から横穴式石室へ変化する過程の北部九州地方などでみられます。

本古墳の埋葬施設は墳丘の中腹に設けられており、入口よりも玄室(げんしつ ※3)の床面がかなり低くなっていることから、竪穴系横口式石室ともいわれます。

  • ※3 玄室:石室のうち遺体を安置する空間を玄室といい、玄室へ通ずる通路を羨道(せんどう・えんどう)といいます。

入口に門柱石

いりぐち 入口部

石室は、後円部の斜面の中腹に開口しており、開口部の両脇に門柱状の石が立てられています。この立石は一部崩れていたものを復元したといわれていますが、北本城古墳や畦地1号古墳にも似た構造がみられることから、もともと門柱として立てられていたものとみられます。

平石を立てている

石室の一番下の段は、平たい面を立てて内側に向けるという、一見不安定に思える構造をしており、2段目以上は立てずに積み重ねています。北本城古墳や畦地1号古墳も同様の造り方をしており、座光寺地域の一つの特徴となっています。類似した手法は、朝鮮半島や九州地方にあるといわれています。

せきしつ 玄室奥壁

なお、石室の奥の一部は、穴が開けられていますが、近代に蚕の卵を管理する部屋が作られたためです。

また、写真ではわかりにくいですが、石室内には赤く塗られた痕跡が残っています。


高岡の杜(もり)

後円部の頂上に高岡神社が鎮座(ちんざ)しており、古墳は神社の境内地となっています。墳丘は老杉が並ぶ神社の社叢(しゃそう ※4)となっており、高岡の杜として地域から親しまれています。

  • ※4 社叢:神社や参道を取り囲む樹々や森で、鎮守(ちんじゅ)の森などといわれています。

出土遺物

はにわ 人物埴輪等

埴輪(円筒形・朝顔形・人物など)片、馬具、金環(きんかん ※5)、玉類、須恵器片、土師器片が採集されています。

  • ※5 金環:直径1~3cm程度の金属製の耳飾りで、銅製で金メッキを施したものです。銀メッキを施したものを銀環といいます。

座光寺地域の様相

弥生時代から続く集落はありますが、4世紀から5世紀前半の確実な古墳は確認されていません。

市内の他地区と同様、5世紀中頃に古墳が築造され始めます。この頃の新井原2号古墳(円墳)・高岡4号古墳(円墳)の周溝(しゅうこう ※6)からは、馬を埋葬した穴が見つかっており、5世紀後半には帆立貝形古墳(新井原12号古墳)が築かれています。

6世紀初めには、現在の座光寺小学校の位置に、北本城古墳(前方後円墳)が築かれました。6世紀前半には畦地1号古墳(円墳)が築かれ、その後に本古墳が築かれたと考えられています。北本城古墳・畦地1号古墳・高岡第1号古墳は立地や規模が異なりますが、石室の類似点が多く、市内でもここにしかみられない特徴です。北本城古墳の石室は、小学校中庭に移されています。

高岡第1号古墳の後、座光寺に前方後円墳は築かれておらず、前方後円墳が造られ続ける松尾・竜丘地区と比べれば勢力が衰えたと考えられます。替わって円墳の石塚1号古墳などが造られますが、石室の特徴も市内で一般的なものに変わっています。

7世紀末になると、座光寺には豪族の館などとみられる施設が建てられ、律令時代(※7)になると伊那郡を治めた伊那郡衙(ぐんが ※8)が設置され、伊那谷の政治的中心地となりました。

  • ※6 周溝:墳丘の外側にある溝をいい、古墳を区画したり、大きく見せたり、墳丘の盛り土の材料となったりします。
  • ※7 律令時代:7世紀後半から10世紀頃までの、律令(古代国家の法律)によって国が人々を支配していた時代をいいます。およそ奈良時代から平安時代前半に該当します。
  • ※8 伊那郡衙:官衙とは役所を意味し、郡衙とは郡役所のことです。伊那郡衙は、7世紀後半から10世紀前半にかけて営まれており、正倉院を構成する建物址、館・厨とみられる建物址などが見つかっています。国史跡。

書籍等案内:

アクセス・見学・注意事項:

  • 駐車場あり(古墳南東側) 飯田市考古博物館から車で10分

  ※高岡第1号古墳南東側に隣接する「飯田市座光寺 古墳ひろば」をご利用の際は、下記の規程をご確認ください。

   飯田市座光寺 古墳ひろば利用規程 (PDFファイル/533KB)

  • JR飯田線「元善光寺」 徒歩2分
  • 信南交通 広域バス阿島線「元善光寺前」 徒歩2分
  • 所有者・近隣へお住まいの方へご配慮の上見学してください。
  • 石室は古代の土木技術で造られており、現在の技術で安全が確保されているものではありません。特に地震や大雨の後は状況をよく確認してください。

周辺の古墳:

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