盆行事
盆行事(ぼんぎょうじ)
区分:記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財(昭和52年6月 国選択)
概要:
盆行事は、日本の年中行事において、正月行事とならんで最も重要な節目とされてきました。
仏教の影響を強く受けてはいるものの、祖霊(それい ※1)を祀(まつ)って供養するという、日本固有の先祖祭りや魂祭(たままつり)の性格が伝えられています。お盆に祖霊を迎えて祀り、そして送りだすというこの行事は、日本の基層文化(※2)を理解するために極めて貴重な無形の民俗資料です。
このような家単位で行われる行事は、近年の家族構成の変化や家屋の改築に伴って、著しく変化、消滅しています。
- ※1 祖霊:祖先の霊をいい、ホトケサマ、ご先祖さまなどともいわれます。死者は生前の行ないによって極楽や地獄の世界へ生まれ変わると説かれる仏教観に対し、祖霊は子孫のそばにあって守り繁栄をもたらす神様として崇(あが)められています。
- ※2 基層文化:異文化との接触や流行にかかわらず、長期にわたって変わらない地域や民族の文化の固有性の中核となっている文化をいいます。日常的、集団的で、伝承性の強い文化です。
解説:
期間
8月13日から8月16日にかけて主な行事が行われます。本来は旧暦(※3)の7月15日を中心とした行事ですが、現在の飯田下伊那では月遅れ(※4)の8月に行なっています。
実際の期間は家庭や地域によって異なっており、13日より前、8月1日から墓掃除などの準備を始める家庭も多くあります。また、七夕(たなばた)の行事も元々は盆の準備期間であったともいわれており、仏教行事であるお施餓鬼(おせがき)もお盆の法要の一環として行われています。
- ※3 旧暦:地球が太陽を回る365日を一年とする新暦に対し、月の満ち欠けを一月とし、12ヵ月354日または13ヵ月384日を一年とした暦です。
- ※4 月遅れ:新暦は欧州の基準で1月1日が決められており、日本の旧暦とは約1~1.5ヵ月のずれがあります。もともと旧暦の年中行事を新暦で行なうと、約一月の季節のずれがあるため、新暦では翌月の同日に行なうことを月遅れといいます。飯田下伊那では七夕(旧暦7月7日)も月遅れで行なう家庭が多くあります。新暦7月7日は梅雨の季節ですから、星空が見えません。月遅れの8月7日は梅雨が明けており、天の川も高い位置に見えます。
お施餓鬼(おせがき)
本来は一年中行われている施食会(せじきえ)と呼ばれる仏教行事ですが、お盆の法要として行われることが多く、飯田下伊那ではお施餓鬼と呼ばれます。7月末から8月上旬に仏教寺院で行われ、毎年参加する檀家・宗派や、新盆(後述)の年だけの参加や、この年だけ入念に行うところがあります。
七夕(たなばた)
天の川を挟んで織姫と彦星が年に一回逢うというロマンチックな話は、古代中国の伝説が日本に伝わったものです。いろいろな説がありますが、日本古来の祖先崇拝の信仰や行事と、古代中国から伝わった七夕(しちせき)の節句(※5)が混ざり合い、現在の七夕(たなばた)となったと考えられています。祖霊を迎える盆棚と旗から、古くは棚幡(たなばた)と書かれていました。
飯田下伊那の家庭、特に農村部では月遅れの8月に行う家庭が多いようです。
8月6日あるいは7日の朝、里芋の葉から朝露を集めます。
朝露で墨を摺り、短冊に「天の川」や「星祭」、願い事、句や歌などを筆書きします。
笹竹を伐ってきて適当な長さに切り、縁側や軒の前に立て、先の短冊や、色紙や包装紙で切った紙で飾り付けます。笹竹は1本の家庭と、1対(2本)の家庭もあります。
縁側には、季節の野菜や果物などの農作物を台の上に供え、硯(すずり)と筆、大小の枡(ます ※6)、箕(み ※7)を並べます。筆や枡は、おさなぶり(※8)の苗で洗ってから供える家庭、笹を川に流す際に洗う家庭など、様々です。農作物の豊穣(ほうじょう)や、習字や成績の上達を願ったもので、新しく仕立てた子どもの浴衣を供える家庭・地域もあります。
昼食は小豆飯、夕食にうどんを作って供えた後に食べる地域や、8日の朝にお墓の掃除を行い(※9)、その後、先に供えたかぼちゃを煮物にして食す地域など、家庭や地域ごとに行事食があります。
笹は、7日の夕方や8日の朝に、付近の川や谷へ持っていき、流します(※10)。
- ※5 節句:伝統的な行事を行う季節の節目となる日で、奇数月の月と同じ日です(3月3日・5月5日等)。ただし、1月は7日で、11月にはありません。
- ※6 枡:穀物などの量を測る、主に四角い木製の容器です。
- ※7 箕:穀物をふるって、ゴミや殻などを振り分ける農具です。
- ※8 おさなぶり:田植えが終わった後に豊作を祈る農家の行事です。田の水の取り入れ口付近に自然石の「田の神」様を祀り(まつり)、余った稲苗の束を洗い、きな粉をまぶして米俵に見立てたぼた餅とイワシの煮干し(田作り)を供え、後に食します。苗の束は、おいべっさま(恵比寿様:福の神)などにも供えます。
- ※9 七夕に墓掃除をする家庭、8月1日に墓掃除をする家庭、七夕までにする家庭と様々です。
- ※10 近年は衛生問題の観点から、ほとんどが各家庭内で処分しています。
盆棚(ぼんだな)
ススキやハギでゴザを作り、お座敷の棚の上に敷きます。仏壇から出した位牌(いはい)や仏画などを花とともに飾り、季節の果物やお菓子、天ぷらなどのごちそうを供えます。13日までに設置し、16日の朝に片付けます。
お盆の年取り・盆年(ぼんどし)
13日の夜、お年取りを行う地域・家庭があります。
松尾地区 2022年
献立は焼きサバと天ぷら、年取りの汁などです。汁は、豆腐・里いも・大根・ごぼう・人参・こんにゃく・糸昆布の7品を醤油で煮込んだもので、正月のお年取りで食されるものと同じですが、焼き麩(ふ)が入ります。年取りの汁にかわり、醤油のだし汁にナスやミョウガなどの夏野菜を入れたものをおつゆにして、そうめんをいただく家庭もあります。
棚経(たなきょう)
期間中、僧侶が訪れお経をあげます。
精霊馬(しょうりょうま)
なすやきゅうりに割り箸(ばし)やススキの茎(くき)などを刺して牛と馬に見立てます。うどんをかけて手綱(たづな)を、トウモロコシの髭(ひげ)で牛馬の尾を表現する家庭もあります。
祖霊の乗り物で、馬はご先祖様が早く来てくれるように、牛はゆっくり帰られるように、との思いが込められているともいわれます。一方、両者ともに15日の送り日の際に作ることから、このような説明が当てはまらない家庭もあります。
迎え火・送り火(むかえび・おくりび)
期間中、松の割木(アカシ)やワラ、豆ガラなどを家の門(かど)や墓地で野火を焚(た)きます。13日から16日まで毎日焚く家庭や、迎え火は13日だけ、送り火は16日あるいは15日だけ、というように、家庭ごとにやり方が異なります。
祖霊が帰ってくるときに、火が目印になるとも、煙に乗ってくるともいわれます。
16日、祖霊を送ります。ゴザにお供えしたものを包んで、墓地に置いたり、川に流したりします。現在は衛生に配慮した方法へ変化しています。時又や高森町市田の灯篭流し(とうろうながし)は、こうした盆行事の流れをくんだものです。
盆踊り
15日の午後に行われる下栗掛踊り(かけおどり)は雨乞い(あまごい)行事ともいわれますが、祖霊を供養するためともいわれます。
祖霊を供養する盆踊り・念仏踊り・かけ踊は、下栗のほか、阿南町の新野地区や和合地区に良く残っています。
新盆(しんぼん)
仏教では四九日の忌明け後に初めて迎えるお盆を新盆といいます。
宗派によっても異なりますが、期間中に法要などを行います。期間中、家の前に家紋の入った提灯を灯し、法要の当日はロウソクや線香を玄関前で焚きます。
お盆と食文化
飯田下伊那の特色ある食べ物に、天ぷらまんじゅうがあります。霊前にお供えして時間が経ったものを、もう一度おいしくいただく工夫といわれています。
酢鯖(スビテ・スブテとも)は、生臭く仏様が嫌うといわれ、お盆の終わりや法事などで食されます。
また、そばで有名な信州ですが、うどんやそうめんなど、小麦由来の麺類が飯田下伊那では多く食べられました。
盆行事は、こうした地域の食文化とも関わりがあります。
コラム -ユネスコ無形文化遺産 「和食;日本人の伝統的な食文化」-
和食は、平成25年にユネスコ無形文化遺産に登録されましたが、”寿司”や”天ぷら”など具体的なメニューが登録されたわけではありません。正確には、和食を巡る日本人の伝統的な食文化が認められたのであり、次の4つの特徴があります。
(1)多様で新鮮な食材とその持ち味の尊重
(2)健康的な食生活を支える栄養バランス
(3)自然の美しさや季節の移ろいの表現
(4)正月などの年中行事との密接な関わり
こうしてみると、飯田の郷土食は正月行事や盆行事などと密接な関係にあり、まさにユネスコ無形文化遺産に登録された食文化ということができるでしょう。
詳しくは、農林水産省のHP(外部リンク)をご覧ください。