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菱田春草筆「富嶽」

印刷用ページを表示する 掲載日:2019年7月18日更新

菱田春草筆「富嶽」(ひしだしゅんそうひつ ふがく) 1幅

 明治時代、日本画の発展に力を尽くした飯田出身の画家、菱田春草の作品です。

区 分:飯田市有形文化財(令和元年6月12日 指定) 第105号

所在地:飯田市美術博物館

所有者:飯田市

年 代:明治41年(1908)

規模等:縦108.5cm、横41.1cm、絹本著色(けんぽんちゃくしょく ※1)、軸装(じくそう ※2)、落款(らっかん ※3)『春草』、印「春艸」(※4)、箱書 百瀬武史(菱田唯蔵義父)による

※1 絹本著色:東洋の絵画で、絹(きぬ)に色が塗られている絵画をいいます。

※2 軸装:掛け軸の形に仕上げられた書画をいいます。

※3 落款:作品に筆者自身が書いた名前や日付、印などをいいます。

※4 春艸:明治26~43年にかけて春草が用いた画号(文人・画家・書家などが本名以外に用いる名、雅号とも)の印です。

ふがく

概 要:

春の穏やかな気配のなかに、凛と立つ富士の姿が描かれ、下方には松の生じる砂州を配しており、三保の松原と富士を描いた伝統的な画題です。

明治30年代前半、日本画の中に空間性を取り入れようとしていた春草は、横山大観(よこやまたいかん ※5)、下村観山(しもむらかんざん ※6)らとともに朦朧体(もうろうたい ※7)と呼ばれる画法を試みていました。本作品中央にある霞の描写は朦朧体の典型的な表現ですが、「富嶽」には初期の朦朧体特有の色彩の混濁がみられず、海面には点描風の彩りを施し、松原の一部には鮮烈な緑を用いています。このような傾向は明治30年代後半からみられるようになりますが、これは朦朧体批判を受けた後、欧米遊学を経て帰国し、色彩の研究に邁進していた頃の作品です。

春草は明治37年から38年にかけて岡倉天心(おかくらてんしん ※8)、横山大観らと共に米欧を遊学しており、印象派(※9)などの画風から大きな影響を受けました。帰国後には色彩研究を重要課題とし、色彩の調和や対比の研究を重ね、点描表現や鮮やかな色彩の使用を試みていきます。本作品の海面や松原はこの研究の成果であると言えます。朦朧体の画風でありながら、上空の朱などでははっきりとした彩りの傾向が窺えます。これらのことから、本作品は春草が朦朧体から装飾性重視の画風へと向かい始める移行期の傾向をよく伝えている作品の一つであると言えます。

また本作品の箱書は、春草の弟・唯蔵(ただぞう)の義父である百瀬武策(ももせたけさく)が記したものですが、それによると「富嶽」は春草が弟の唯蔵に結婚祝いとして贈ったものであることが確認できます。唯蔵の結婚が明治41年の春頃であることから、本作品もその頃に制作されたものと考えられます。唯蔵は上京して東京帝国大学へと進学しますが、その学生時代は春草が唯蔵を同居させ、学費も一部負担していました。春草は唯蔵の面倒を良く見ていたようです。これらの背景から、菱田家や春草兄弟の絆を伝える資料としても、とても重要な作品です。

 

※5 横山大観:近代日本の美術家・日本画家の巨匠です。東京美術学校では春草と同期(天心の門下生)で、春草とともに朦朧体を完成させました。代表作に「無我」、「屈原」などが挙げられます。

※6 下村観山:近代日本画の巨匠です。東京美術学校の春草の同期(天心の門下生)で、大観・春草らとともに朦朧体の完成に尽力しました代表作に「小倉山」、「弱法師」などが挙げられます。

※7 朦朧体:伝統的な日本画に欠かせない輪郭線(りんかくせん)をなくした没線描法という描き方です。明治時代、菱田春草らによって確立されましたが、当時はぼやけてはっきりしない手法であると、悪意を持って朦朧体と呼ばれました。

※8 岡倉天心:近代日本美術の先駆者。美術行政家、美術思想家として大きな功績を遺しました。フェノロサと共に日本美術を調査し、東京美術学校の初代校長に就任します。のちに東京美術学校内から排斥され、日本美術院を設立しました。

※9 印象派:19世紀後半にフランス・パリの画家たちを起源として発した、絵画を中心とする芸術運動です。代表的な画家に、モネ、マネ、ルノワール、ドガなどが挙げられます。

春草の画風の変遷

1 東京美術学校時代 (明治23~28年〈1890~1895〉・16~20歳)

狩野派・円山四条派・大和絵や西洋絵画の写実法を学び、それらを用いて描いていた頃です。指導者岡倉天心と、それぞれの段階で学んでいた画風に影響を受けています。

代表作:「秋景山水」(東京藝術大学蔵) 「牧童」(飯田市美術博物館蔵) 倉時代闘牛図」(飯田市有形文化財・飯田市美術博物館蔵) 武具の図(飯田市有形文化財・春草会蔵)

2 日本絵画協会(※10)時代 (明治29~31年〈1896~1898〉・21~23歳頃)

東京美術学校を卒業し、日本絵画協会(※10)に参加して制作をしていた時代で、輪郭線を重視しつつ、空間性や写実性を意識した制作姿勢に特徴がみられます。

※10 日本絵画協会:明治時代に存在した日本の美術家の団体です。

代表作:「寡婦と孤児」「水鏡」(共に東京藝術大学蔵) 「拈華微笑」(東京国立博物館蔵) 

3 日本美術院(※11)時代前期 (明治31~35年〈1898~1902〉・23~27歳頃)

日本美術院(※11)結成後、西洋絵画の空間性や写実性を日本画に導入しようとし始めていた時期です。輪郭線を廃止して色彩のみで画面を構成しようとしています。その画風は「朦朧体」と批判されました。この時期には空間性の造成が追求されています。

※11 日本美術院:明治31年(1898)、東京美術学校を辞めた岡倉天心・菱田春草・横山大観・下村観山らが創立した美術団体です。

代表作:「秋景」(島根県立美術館蔵) 「菊慈童」(長野県宝・飯田市美術博物館蔵) 「釣帰」(山種美術館蔵) 「白き猫」(飯田市有形文化財・春草会蔵)

4 日本美術院時代後期 (明治35~37年〈1902~1904〉・27~28歳頃)

朦朧体の画風には、色彩の暗濁化がみられたことから、その純化(※12)を目指していく時期です。空間性よりも、描写対象の立体感や写実性を重視する姿勢がみられます。

※12 純化:混じり気のない状態にすることをいいます。

代表作:「王昭君」(重要文化財・善寶寺蔵) 「霊昭女」「鹿」(共に飯田市有形文化財・飯田市美術博物館蔵)

5 外遊(※13)・五浦(※14)時代 (明治37~41年〈1904~1908〉頃・28~33歳頃)

国内では朦朧体と批判されていた春草と横山大観は、明治37年、岡倉天心とともにアメリカ、続いてヨーロッパへ渡り、展覧会を開いています。春草らは海外では高く評価され、これにより国内での評価も上がってきました。

外遊(※13)によって色彩の重要性を再認識した春草は、朦朧体の空間性を求めつつも、澄んだ色彩による作画を試み、朦朧体画風を完成させます。また、色彩をより重視するようになり、点描表現なども試みています。

※13 外遊:研究や視察などを目的に海外を旅行することをいいます。

※14 五浦(いずら):茨城県北茨城市にある海岸の景勝地です。日本美術院は五浦に別荘を建てて、絵画部門はそちらへ移動しました。

代表作:夕の森」「夜桜」「帰樵」「富嶽」(共に飯田市有形文化財・飯田市美術博物館蔵) 「賢首菩薩」(重要文化財・東京国立近代美術館蔵)

6 代々木時代前期 (明治42年〈1909〉頃・34歳頃)

眼病を患った春草は、五浦から東京の代々木へ移り住みます。一時的に回復した春草は、空間性よりも「絵の面白味」を重視するようになり、輪郭線も復活して装飾的な作例を手がけるようになります。装飾性と写実性が一体となった画風に特徴がみられます。代表作「落葉」は、代々木の雑木林にイメージを得た作品です。

代表作:「秋木立」(東京国立近代美術館蔵) 「落葉(重要文化財・永青文庫蔵)

7 代々木時代後期 (明治43年〈1910〉頃・35歳頃)

「落葉」に増して装飾性が進み、背景の空間は空白のままで残されるようになります。また、装飾性と写実性が対置(※15)されるようになります。

※15 対置:対照的な位置に置くことをいいます。

代表作:「雀に鴉」(東京国立近代美術館蔵) 「かけす」(個人蔵) 「黒き猫」(重要文化財・永青文庫蔵) 「春秋」(飯田市有形文化財・飯田市美術博物館蔵)

8 最晩年期 (明治44年〈1911〉頃・36歳)

「黒き猫」以降、より装飾性に傾き、琳派(りんぱ ※16)の強い影響を受けるようになります。金地に濃い色彩の作例が多くなっていきます。

※16 琳派:桃山時代後期から近代まで活躍した芸術上の流派で、「風神雷神図」(俵屋宗達)などで知られます。背景に金銀箔を用いたり、大胆な構図、繰り返すパターンなどが特徴です。

代表作:「猫に鳥」(茨城県近代美術館蔵) 「早春」(個人蔵)

こちらもご覧ください

菱田春草の足跡 (飯田市のウェブサイト)

春草作品の紹介1 (飯田市美術博物館のウェブサイト)(外部リンク)

春草作品の見学 (日程・交通アクセス等 飯田市美術博物館のウェブサイト)(外部リンク)

春草作品の紹介2 (文化遺産オンライン 文化庁のウェブサイト) (外部リンク)

書籍 『菱田春草 鑑賞ガイド』 飯田市美術博物館

書籍は飯田市立図書館(外部リンク)でご覧いただけます