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塚原二子塚古墳 (飯田古墳群)

ページID:0050141 印刷用ページを表示する 掲載日:2022年5月27日更新

塚原二子塚古墳(つかばらふたごづかこふん)

区 分:史跡(平成28年10月3日 国指定「飯田古墳群」)

所在地:飯田市桐林3046-1 他

所有者:個人

時 代:古墳時代(5世紀後半)

構 造:前方後円墳

規模等:

墳丘測量図 墳丘測量図(水色線は墳丘推定線・破線は周溝推定線)

 ○墳丘;全長73m(後円部径37.5m・前方部幅41m)・主軸N29°E(※1)

 ○埋葬施設;不明(竪穴式石室(※2)か)

  • ※1 遺構の中心線が、北(North)から30度東(East)へ傾いているという意味です。西へ傾く時はW(West)を用います。
  • ※2 竪穴式石室:古墳時代の石室には、縦方向に掘られ、蓋(ふた)をした竪穴式石室と、横穴を設けて出入り口とした横穴式石室があります。5世紀代は竪穴式石室、6世紀以降は横穴式石室が用いられました。竪穴式石室が個人を埋葬したのに対し、横穴式石室は入口を開ければ数代にわたり埋葬できます。

概 要:

塚原二子塚古墳

本古墳の埋葬施設は確認されていませんが、竪穴式石室で5世紀後半の築造と考えられています。周辺の発掘調査から、周溝(※3)を含めた全長は86m、前方部の幅は61mを測り、周溝の外側にもこれを区画する溝が確認されています。

墳丘 左側が後円部、右側が前方部

後円部 前方部からみた後円部

周辺には3基の帆立貝形古墳と12基の円墳が存在し、塚原古墳群と呼ばれており、本古墳はその中心となる前方後円墳です。

塚原古墳群 塚原古墳群

塚原古墳群は5世紀代の古墳群ですが、この一段下の段丘面にも、1基の前方後円墳(金山二子塚古墳)と8基の円墳からなる金山古墳群が形成されており、塚原古墳群に続く古墳群と考えられています。

塚原古墳群は大小の墳墓が現在も残っており、大半が農地で工作物も少なく、古墳群を見渡すことができます。

発掘調査により、本古墳の葺石が斜面に沿って重ねられたものではなく、階段状に平場と急斜面を繰り返す、類例がない珍しい構造であることが分かりました。

  • ※3 周溝:墳丘の周囲にある溝をいい、区画や墳丘を大き見せる効果、墳丘の土の供給などの役割がありました。

出土遺物

円筒埴輪・形象埴輪・冑(かぶと)・土師器(※4)・須恵器(※5)

  • ※4 土師器(はじき):古墳時代から平安時代にかけての素焼きの焼き物です。
  • ※5 須恵器(すえき):古墳時代に朝鮮半島から伝わった焼き物で、ロクロで形を作り高温の窯で焼いたものです。

はにわ 円筒埴輪

竜丘地区の様相

竜丘地区は、天竜川支流の毛賀沢(けがさわ)川から久米(くめ)川までの間ですが、新川(しんかわ)を境に南北のグループに分けられます。

4世紀から5世紀前半にかけては、葺石を貼るものもありますが、弥生時代以来の方形周溝墓(※6)につながる小型の方墳が造られて続けています。

5世紀中頃に兼清塚古墳が造られたと考えられており、兼清塚古墳の後には丸山古墳、大塚古墳と5世紀後半まで造られます。小河川を挟んで兼清塚古墳の南側では、兼清塚古墳にやや遅れて内山塚古墳(円墳)、鏡塚古墳・鎧塚古墳(帆立貝形古墳)、塚原二子塚古墳などが築かれ、塚原古墳群を形成します。なお、発掘調査事例が多くないことも考慮しなければなりませんが、竜丘地区から馬の埋葬事例は確認されていません。

6世紀になると、兼清塚古墳の一群は途絶えますが、塚原二子塚古墳の前方後円墳の系譜は金山二子塚古墳と続き、やや距離は離れますが、6世紀中頃の御猿堂古墳、6世紀終末の馬背塚古墳へと続いていきます。

一方、新川の北側では5世紀後半に権現堂1号古墳が築かれ、しばしの空白があり6世紀後半に塚越1号古墳が築かれています。

6世紀終末の馬背塚古墳を最後に、飯田下伊那では前方後円墳は築かれていません。

竜丘地区は、飯田古墳群の中でも最も古墳が密集する地区で、5世紀中頃から6世紀末まで前方後円墳の系譜が途絶えることなく続きます。飯田古墳群は、最終的に竜丘地区に集約していく様子がうかがえます。横穴式石室の特徴からみれば、東海地方と畿内との関わりが強い地域であったと考えられます。

その後の7世紀の様相は不明ですが、竜丘地区南部の上川路には、白鳳時代(※7)の瓦が出土している頃から、寺院が建立されたと考えられています。竜丘地区は古墳築造が終わったも、仏教文化を受け入れることで地域を治めていた集団が存続したと考えられています。

  • ※6 方形周溝墓:周囲に四角い溝を掘った墓をいいます。弥生時代以来の方形周溝墓は、古墳に比べ盛土の高さが低いことが特徴の一つです。
  • ※7 白鳳時代:飛鳥時代と奈良時代の間、645年から710年までのことをいいますが、年代については諸説あります。仏教文化が栄えた時代です。

書籍等案内

アクセス・見学・注意事項:

  • 三遠南信自動車天龍峡IC 車7分
  • 飯田市考古博物館 車20分
  • JR飯田線「時又」駅 徒歩12分
  • 信南交通 市民バス 久堅線 「駒沢橋」 「嶋」徒歩5分
  • 所有者・近隣の方へご配慮をお願いします。

周辺の古墳等:

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