鎧塚古墳 (飯田古墳群)
鎧塚古墳(よろいづかこふん)
区 分:史跡(平成28年10月3日 国指定「飯田古墳群」)
所在地:飯田市桐林2875-1 他
所有者:個人
時 代:古墳時代(5世紀後半)
構 造:帆立貝形墳(※1)
- ※1 帆立貝形古墳(ほたてがいがたこふん):前方後円墳の四角い部分を短くした、帆立貝のような形の古墳です。
規模等:
墳丘測量図(水色線は墳丘推定線・破線は周溝推定線)
○墳丘;全長45m(推定)・主軸N39°E(※2)
○埋葬施設;不明(竪穴式石室(※3)か)
- ※2 遺構の中心線が、北(North)から39度東(East)へ傾いているという意味です。西へ傾く時はW(West)を用います。
- ※3 竪穴式石室:古墳時代の石室には、縦方向に掘られ、蓋(ふた)をした竪穴式石室と、横穴を設けて出入り口とした横穴式石室があります。5世紀代は竪穴式石室、6世紀以降は横穴式石室が用いられました。竪穴式石室が個人を埋葬したのに対し、横穴式石室は入口を開ければ数代にわたり埋葬できます。
概 要:
墳丘
史跡 飯田古墳群に指定された13基のうちの1基で、帆立貝形古墳です。短甲が出土したことから鎧塚と呼ばれています。本古墳の埋葬施設は確認されていませんが、竪穴式石室で5世紀後半の築造と考えられており、周辺では葺石(ふきいし ※4)や周溝(しゅうこう ※5)が確認されています。
- ※4 葺石:墳丘の斜面を覆う川原石です。
- ※5 周溝:墳丘の周囲にある溝をいい、区画や墳丘を大き見せる効果、墳丘の土の供給などの役割がありました。
墳丘
周辺には1基の前方後円墳と、本古墳を含め3基の帆立貝形古墳と12基の円墳が存在し、塚原古墳群と呼ばれています。大小の墳墓が現在も残っており、大半が農地で工作物も少なく、古墳群を見渡すことができます。帆立貝形古墳は、塚原二子塚古墳築造に先立ち存在していたと考えられています。
塚原古墳群は5世紀代の古墳群ですが、この一段下の段丘面にも、1基の前方後円墳(金山二子塚古墳)と8基の円墳からなる金山古墳群が形成されており、塚原古墳群に続く古墳群と考えられています。
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出土遺物
四獣鏡(※6)1・鉄刀2・横矧板鋲留短甲(※7)1・馬鐸(※8)1
埴輪片
短甲が出土したことから鎧塚と呼ばれています。
- ※6 四獣鏡(しじゅうきょう):空想上の霊獣が4体彫られた鏡です。
- ※7 横矧板鋲留短甲(よこはぎいたびょうどめたんこう):短甲とは古代の鎧のことで、横長の板を何枚も繋ぎ合わせたものです。
- ※8 馬鐸(ばたく):鞍(くら)を馬に固定するベルトにつけた装飾品で、大型の鈴です。
鎧塚古墳出土短甲
竜丘地区の様相
竜丘地区は、天竜川支流の毛賀沢(けがさわ)川から久米(くめ)川までの間ですが、新川(しんかわ)を境に南北のグループに分けられます。
4世紀から5世紀前半にかけては、葺石を貼るものもありますが、弥生時代以来の方形周溝墓(※9)につながる小型の方墳が造られて続けています。
5世紀中頃に兼清塚古墳が造られたと考えられており、兼清塚古墳の後には丸山古墳、大塚古墳と5世紀後半まで造られます。小河川を挟んで兼清塚古墳の南側では、兼清塚古墳にやや遅れて内山塚古墳(円墳)、鏡塚古墳・鎧塚古墳(帆立貝形古墳)、塚原二子塚古墳などが築かれ、塚原古墳群を形成します。なお、発掘調査事例が多くないことも考慮しなければなりませんが、竜丘地区から馬の埋葬事例は確認されていません。
6世紀になると、兼清塚古墳の一群は途絶えますが、塚原二子塚古墳の前方後円墳の系譜は金山二子塚古墳と続き、やや距離は離れますが、6世紀中頃の御猿堂古墳、6世紀終末の馬背塚古墳へと続いていきます。
一方、新川の北側では5世紀後半に権現堂1号古墳が築かれ、しばしの空白があり6世紀後半に塚越1号古墳が築かれています。
6世紀終末の馬背塚古墳を最後に、飯田下伊那では前方後円墳は築かれていません。
竜丘地区は、飯田古墳群の中でも最も古墳が密集する地区で、5世紀中頃から6世紀末まで前方後円墳の系譜が途絶えることなく続きます。飯田古墳群は、最終的に竜丘地区に集約していく様子がうかがえます。横穴式石室の特徴からみれば、東海地方と畿内との関わりが強い地域であったと考えられます。
その後の7世紀の様相は不明ですが、竜丘地区南部の上川路には、白鳳時代(※10)の瓦が出土している頃から、寺院が建立されたと考えられています。竜丘地区は古墳築造が終わったも、仏教文化を受け入れることで地域を治めていた集団が存続したと考えられています。
- ※9 方形周溝墓:周囲に四角い溝を掘った墓をいいます。弥生時代以来の方形周溝墓は、古墳に比べ盛土の高さが低いことが特徴の一つです。
- ※10 白鳳時代:飛鳥時代と奈良時代の間、645年から710年までのことをいいますが、年代については諸説あります。仏教文化が栄えた時代です。
書籍等案内:
- 史跡 飯田古墳群
- 『飯田は古墳の博物館 古墳ガイドブック』 飯田市上郷考古博物館 2017
- 国指定史跡飯田古墳群パンフレット (PDFファイル/7.29MB)
- 特集国指定史跡飯田古墳群(広報いいだ平成29年1月1日号より部分転載) (PDFファイル/12.71MB)
- 『飯田における古墳の出現と展開』 飯田市教育委員会 2007
- 『飯田古墳群』 飯田市教育委員会 2012
- 『飯田古墳群 -論考編-』 飯田市教育委員会 2013
- 『黄金の世紀』 飯田市美術博物館 2011
- 『下伊那史』第二巻 下伊那誌編纂会 1955
アクセス・見学・注意事項:
- 三遠南信自動車天龍峡IC 車7分
- 飯田市考古博物館 車20分
- JR飯田線「時又」駅 徒歩12分
- 信南交通 市民バス 久堅線 「駒沢橋」 「嶋」徒歩5分
- 耕作地への立ち入りはご遠慮下さい。