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名勝 天龍峡(天竜峡)

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年7月5日更新
外観

天龍峡(てんりゅうきょう ※1) 1区域

区 分:名勝(昭和9年1月22日 国指定)

所在地:飯田市龍江・川路(龍江7574番1、川路4992番地1 他)

所有者:飯田市他

概 要:

天竜川の浸食によって造りだされた、南北約2kmにわたる峡谷の美しい景観です。

奇岩断崖、アカマツやカエデ、サクラなど峡谷を彩る木々、天竜川の流れと川下り舟が水墨画のような峡谷美を織りなしています。

遊歩道を散策すると、四季折々の峡谷美を手軽に楽しむことができます。そして、天龍峡を余すことなく鑑賞するには、川下り舟が最適です。

天龍峡の名は、江戸時代の弘化4年(1847)4月29日、儒学者(※2)の阪谷朗廬(さかたにろうろ)が、岩を砕く激流と高い断崖の景観をほをほめたたえ、峡谷を流れる大河の名をとって命名しました。

※1 報道等では常用漢字の「竜」が用いられますが、指定時の名称は旧字体の「龍」が用いられています。文化財(名勝)の固有名詞としては「天龍峡」が正しい名称となり、本件の表題は検索用に記載しているものです。一方、JR駅名等では「天竜峡」が固有名詞として用いられています。

※2 儒学者:儒教について学び、研究し、実践する人をいいます。儒教とは古代中国の思想家孔子(こうし)の考え方を中心とした思想で、仁(他人に対する優しさ)による政治・道徳を説きました。

官報の記載

その内容について、官報では以下のとおり記載しています(固有名詞を除き、旧字体は新字体へ、片仮名は平仮名へ改め、句読点を加えています)。

天龍川の諏訪湖より南流して飯田町の南西約五キロメートル、川路、龍江両村の間を過くる処に片麻花崗岩より成れる最高約五十七メートルの懸崖相対峙して長さ約二キロメートル幅最広八メートルの峡谷をなせり。左岸西涯山上に坂谷朗廬の探勝記を刻せる碑あり。姑射橋の上流には右岸にさぶり岩、烏帽子岩、鷹待涯あり、下流には右岸にてらてら淵、千疊敷岩、廂岩、冨士巻狩岩あり、左岸に吊し岩花立岩あり後者を一名龍角峯とし涯の最高処たり。世に橋を合せて十勝を算す。廂岩の上方赤松林の一帯を公園となし龍角峯の背後に接続せる林の平地をも亦公園とし峡谷を隔てて相対す。橋の上流二キロメートルなる処より龍角峯の下流に至る間に舟を上下せしむるを例とし、天龍峡下りといいて前者と区別す。峡上一帯に互りて赤松茂生し山桜、楓樹、躑躅其の間に点綴す。」

この中で、花崗岩からなる峡谷であり、天龍峡碑、十勝、公園、舟下り、アカマツやサクラ・カエデ・ツツジなどについて述べています。官報を基に、名勝天龍峡について解説します。

解 説:

1 見どころ

 峡谷の深さ・荒々しさ四季の移ろい天龍峡十勝

2 天龍峡を見てみよう

 川下り舟から遊歩道を散策主なビューポイント天龍峡を彩る草木散策等にあたり(注意事項)

3 峡谷の成り立ちと歴史

4 アクセス

5 参考施設・サイト・文献など

見どころ

峡谷の深さ(高さ)・荒々しさ

jisshou 奇岩・断崖と松が水墨画のような景観をなす 天龍峡北部

fall 白い花崗岩の断崖に、植生が四季の変化をもたらす 峡谷北部(龍角峯頂上より)

summer 川面付近からみると、迫りくる峡谷によって空が切り取られ、川と対になる(つつじ橋より

りゅうかくほう 龍角峯 特徴的な奇岩や淵など10ヶ所に漢詩になぞらえた名が付され、十勝(じっしょう)と呼ばれている

四季の移ろい

ゆきやなぎ 岸壁に白く咲くユキヤナギ(雪柳) 樵廂洞付近

spring ツツジが咲く天龍峡第一公園

summer 緑深まる天龍峡 姑射橋より

natu 夏は川下り舟の水しぶきが心地よい

aki 峡谷が錦絵となるのは11月中旬頃(龍角峯頂上より)

yuuhodou 落葉と朝もやの天龍峡第3公園

冬は草木の葉が落ち、色彩は消えますが、奇岩とマツの姿がより際立ちます。

ふゆ 降雪後は水墨画の世界。飯田で積雪するのは2・3月に1・2回あるかないか(つつじ橋より)

ふゆ 冬の川下りはコタツ付となる 

天龍峡十勝 (じゅっしょう)

十勝とは、峡谷の特徴的な奇岩や淵などのことで、漢詩風の名前がつけられています。明治の書聖と呼ばれた書道家日下部鳴鶴は、奇岩などからイメージされる場景を漢詩に詠み、名をつけ、鑑賞のガイドとしました。

十勝には、その付近の岩肌にその名が彫られています。岩彫は日下部の書の写しを元にしたもので、素晴らしい筆跡です。それ自体も鑑賞の対象ですが、十勝の本体は奇岩や淵などで、岩彫ではありません。

ryukakuho 龍角峯の岩彫。「峯」は高さ5尺(約1.5m)に近い大きさです。

垂竿磯 (すいかんき)  旧称:さぶり岩

すいかんき

川路側の北側、舟下りのコースよりも上流にあり、遊歩道から少し外れています。水位の上昇により水没したものを引き上げています。

漢詩意訳:

《太公望(たいこうぼう ※1)の釣した渭水(いすい ※2)のほとりはどんなところだったのか。あの厳陵(げんりょう ※3)の釣した瀬はどんな瀬であったのか。世には無数の釣の場所はあろうが、仙者(※4)はどんな所を求めて釣をするのだろうか。》

※1 太公望:古代中国の周の建国の功臣で、名は呂尚(りょしょう)といいます。周の文王が渭水のほとりで出会い、これが先君太公の待ち望んだ賢人であるといったところから太公望といわれます。文王に召されて周に仕え、武王のときに殷を滅ぼし周を建国する際に武功を挙げたとされます。

※2 渭水:中国の大河、黄河の支流の一つです。

※3 厳陵:古代中国の漢の人物、厳光(げんこう)のことです。若いころに後漢の光武帝となる劉秀とともに学び、劉秀が皇帝となると隠居し、畑を耕し釣をして暮らしたといい、厳光が釣りをした場所は厳陵瀬といわれています。

※4 仙者:仙人のことです。

烏帽石 (うぼうせき)  旧称:烏帽子岩(えぼしいわ)

ebosi

川路側の北にあり、舟下りのコースから外れていますが、遊歩道で付近まで近づくことができます。烏帽子とは、平安時代から近代にかけて男子がかぶっていた帽子です。

漢詩意訳:

《賑々(にぎにぎ)しい春の峡谷、この神仙境に春風が和やかに香っている。山桜の花びらが烏帽石を彩(いろど)っている。さながら、仙人たちの粧(よそおい)のようである。》

姑射橋 (こやきょう)

川路地区と龍江地区を結ぶ橋です。明治10年(1877)に龍江村戸長の澤柳善十郎らの尽力によって橋が架けられ、善十郎の居住地名から「大田橋」と呼ばれていました。日下部鳴鶴によって新たに命名された姑射橋は、奇岩断崖と並ぶ景観の一要素として価値が付けられました。現在の姑射橋は4代目のもので、命名当時の橋は残っていません。

漢詩意訳:

《姑射橋の上にやってくると、俗地上から隔たっていて、心が自然と休まってくる。どうしてあちこち尋ねまわる必要があろうか。この人間の世にも、不老不死の仙境はあるものだ。》

歸鷹崖 (きようがい)  旧称:鷹待崖(崖は山かんむりがない字)

tutuji

「歸」は「帰」の旧字体です。川路側の姑射橋のすぐ南側にあり、姑射橋の歩道から見ることができます。

漢詩意訳:

《突風が夕煙(ゆうけむり ※)を巻きおさめて過ぎる。西日が静かに木立を照らしている。立派な鷹がどこからか突然巣に戻ってきた。この山中には小鳥の姿などはほとんど見られない。》

※ 夕煙:夕方に立つ煙、夕食の準備で立ち上る煙をいいます。

浴鶴巌 (よくかくがん)

龍江側の姑射橋南側、遊歩道沿いにありましたが、もともとの岩彫は崩落してしまい、現在は近い位置の岸壁に改めて文字が彫られています。

漢詩意訳:

《澄んだ流れには塵(ちり)ひとつ見られない。明るい月が流水の水底深く照らしている。時々見かけることである。鶴が飛んできて大きな岩のほとりで純白の羽毛を洗っているのを。》

烱烱潭 (けいけいたん)  旧称:てらてら淵・てらが淵

kktan

「烱」は「あきらか」とも読み、光り輝いて遠くからも見えることで、「潭」は淵のことです。姑射橋南側の淵をいい、文字の印刻は川路側にあります。

漢詩意訳:

《どこまでも碧(みどり)に澄んでいるが、深いので底を窺(うかが)うことはできない。美しい淵は夜空に明るく見えている。誰がここに月がないからといって、他の場所に親しむことだろうか。星影がきらきらと輝いて照らしているだけで充分である。》

樵廡洞 (しょうぶどう)  旧称:廂岩(ひさしいわ)

shoubudou

「樵」は「きこり」と読み、「廡」は庇(ひさし)のことです。天龍峡第三公園付近にあります。つつじ橋などから見ることができます。

漢詩意訳:

《両岸の切り立った岩は高い庇のようである。ここには酷暑の夏にも涼風が吹いている。どんな生活よりも、ここで樵の人となろう。この山中でみる夢の何と清らかなことか。》

仙牀磐 (せんじょうばん)  旧称:千畳敷岩

せんじょうばん

仙とは仙人を意味する字ですが、ここでは数の千をあらわしたもので、広く平な岩という意味でしょう。川路側の天龍峡第二公園付近の崖下にありますが、現在は近づけません。

漢詩意訳:

《この大岩で一体誰が遊び休むのだろうか。ここは千人もの人が座ることができよう。私も家をひっさげてここに移り、猿や鶴を友として暮らそうと思う。》

芙蓉峒 (ふようどう)  旧称:富士巻狩岩、富士の巻狩

芙蓉とは富士山のことで、その容姿から、富士に例えられたのでしょう。つつじ橋のやや上流にありますが、現在は大半が水没しています。

漢詩意訳:

《遠い諏訪湖や高い山々の白雪、その清水や白雪が天竜に流れ入っている。何千年もこの冷たく澄んだ流水によって、この大岩は磨かれて白い芙蓉のようにここに存在している。》

龍角峯 (りゅうかくほう)  旧称:花立岩

ryukakuho

谷底から垂直にそそり立つ塔状の巨岩で、天龍峡を代表する奇岩です。つつじ橋の少し上流、龍江側にあります。遊歩道が岩の頂部を通っており、峡谷の北半分を眺望できる休息所にもなっています。

漢詩意訳:

《筆を揮(ふる)って切立った岸壁に文字をなすと、淵の底から雲烟(煙)が湧きおこってきた。すると、たちまち不可思議なことがあらわれて、龍角のような巨岩が中天高くそそり立った。》

天龍峡を鑑賞してみよう

川下り舟から

川下り舟からの景色は、遊歩道から見る景色とは全く異なるものです。

断崖は川面から見上げるものとなり、峡谷の深さを実感することができます。十勝をはじめとする奇岩や水流、崖にしかみられない植物を間近にみることができ、天竜川の太い流れにもまれながら、刻々と変化する景色を楽しむのは、川下り舟ならではの楽しみです。峡谷の合間に残された空が川のようであり、激流を下るスリルも楽しめます。

また、舟に乗ることで自身も名勝の景観の一部になることができ、飯田市無形文化財に指定されている操船技術も見どころです。

天龍峡観光は川下り舟と共に発達してきた歴史があり、天龍峡の景色を鑑賞するには最適の方法です。

その歴史は、明治時代の時又港から浜松市までの定期客船に始まり、大正時代には天龍峡の遊覧を目的とする舟下り舟として定着しました。

詳しくは、下記へお問合せ下さい。

天竜川ライン遊舟有限会社(外部リンク)

遊歩道を散策

天龍峡 遊歩道マップ (PDFファイル/353KB)

aki 秋の竜東道

遊歩道の散策は手軽に名勝を鑑賞することができます。断崖を見下ろす形になり、高度感を味わいたい方、植物などの姿をご自身のペースで楽しみたい方、写真を撮りたい方に適しています。

つつじばし 峡谷の中央部を横断するつつじ橋

峡谷の東西にそれぞれ遊歩道を設けており、両岸は2本の橋(平成30年〈2018〉現在)によってつながっています。

峡谷北部は姑射橋とつつじ橋を渡るコースで、約1時間かかります。峡谷南部は現在整備中です。

主な視点場

姑射橋 (こやきょう)

kiyougai 峡谷北部を一望できる

峡谷の北部を見下ろすことができます。

JR駅から徒歩1分、第一公園駐車場から徒歩3分で行くことができます。

天龍峡第二公園

公園内はツツジ・アジサイ・モミジなどが季節ごとに彩りを与えています。川岸寄りの一段高い小山の上に、天龍峡を命名した経過を記した天龍峡碑が建てられています。天龍峡碑は、文学的にも優れており、峡谷美を世に知らしめた最初の作品でもあります。

tenryuukyou 高さ約4.2m、幅約0.9m

天龍峡碑(漢文) (PDFファイル/139KB)

天龍峡碑(書下し文) (PDFファイル/143KB)

小山のさらに一段高い位置にあり、現地で碑文を読みにくいほどの場所ですが、天竜川の対岸から見るとその存在感に気付かされます。

江戸時代の弘化4年(1847)、学友である飯田藩出身の丸山仲肅を訪ねた阪谷朗廬(さかたにろうろ ※)は、関島松泉(下川路村郷医・文人)の案内で、まだ無名の天龍峡を訪れました。

関島松泉との文学談義の中で峡谷が未命名であることを知ると、これを「天龍峡」と命名し、峡谷を賛美した『遊天龍峡記』を残しました。

文中で阪谷朗廬は、峡谷の深く険しい姿とその間を流れ下る天竜川の激流を詠(よ)み、峡谷内の木々(松竹)や、水の青さをたたえ、峡谷から見上げた空を川の流れに対比させ、その美しさを述べています。

また、ツツジの赤い花が崖面に点在する様や、老松を頂く龍角峯の雄大さを描写しています。

天龍峡第三公園南側遊歩道

ryuukakuhou 龍角峯を正面から見ることができる

つつじ橋

aki 峡谷北部

峡谷中部の吊り橋で、空中から峡谷北部と南部、すぐ近くに龍角峯をみることができます。

揺れますのでご注意下さい。JR駅から徒歩10分、天龍峡温泉交流館ご湯っくりから徒歩2分。

龍角峯 頂上

nanbu 峡谷南部 眼下の吊り橋がつつじ橋

左岸にある十勝の一つ、龍角峯の頂上です。峡谷の北部と南部を見下ろすことができます。

対岸の天龍峡第2公園に遊天龍峡記をみることができます。

峡谷北端部

sakura 近年遊歩道が整備された峡谷の入口。サクラやモミジが遊歩道沿いに生えている

宿泊施設

名勝天龍峡は観光地として発達してきたため、峡谷内に民間の観光施設が存在します。これらの施設は断崖上に設けられているため、入浴施設や飲食施設から絶景を楽しむことができます。

天龍峡大橋 添架歩廊(仮称)

2019年開通予定です。

天龍峡を彩る草木

やまざくら 4月上旬 ヤマザクラ 天龍峡第三公園

やまざくら ソメイヨシノは花が先に咲くが、ヤマザクラは葉が先あるいは同時に出る

yukiyanagi 4月中旬 ユキヤナギ(雪柳) 河川付近断崖

tutuji 4月中旬 ミツバツツジ(三つ葉躑躅) 第一公園

yamatutuji 4月下旬 ヤマツツジ(山躑躅) 第一公園付近

さつき 6月上旬 サツキ 烏帽石付近。サツキは旧暦の5月、現在の6月頃に咲きます。

satuki 6月上旬 サツキ 姑射橋付近

ajisai 梅雨(6・7月) アジサイ 天龍峡第三公園

sasayuri 7月中旬 ヤマユリ つつじ橋右岸

imamurakouen 11月中旬 紅葉したドウダンツツジ 今村公園入口

momiji 11月中下旬 モミジ類 天龍峡第三公園

散策等にあたり

雨後は遊歩道が滑りやすのでご注意下さい。

倒木や崩落により、遊歩道が通行止めとなる場合があります。

以下の行為は禁止します。

○許可なく動植物や岩石や土砂を採取する、または傷つける行為

 ※草刈りや枝払い、道普請など、日常的な管理は禁止されていません※

○柵を越えて公園や遊歩道から外れる行為、柵に登る行為

○吊り橋を意図的に揺らす行為

○ロッククライミング・マウンテンバイク・オフロードバイク

○花火・バーベキュー

○私有地への無断立ち入り・無断駐車・路上駐車

○その他、景観と景観を構成する要素を棄損する行為、地域住民の迷惑となる行為

天龍峡の現状を変更する場合には、許可が必要です。

峡谷の成り立ちと歴史

峡谷の誕生

天龍峡周辺は、天竜峡花崗岩・生田花崗岩(※1)と呼ばれる硬い岩盤で出来ています。

天竜川が約500万年前に流れ始め、三河高原(※2)が約175万年前に隆起を始めると、天竜川は台地を掘りながら太平洋へ流れ続けました。

約10万年前に、断層によって天龍峡より南が隆起して、天竜川が堰き止められて天然ダムが誕生しました(※3)

その後、天然ダムが決壊し、現在の天龍峡の位置に河道が固定されました。一度河道が決まると、固い岩盤であるため河道が移動することはありません。天竜川は岩盤を掘り抜き、高さ70m以上ある峡谷を削り出しました。その中でも特に硬い天龍峡花崗岩の部分が浸食・崩落に耐えて残され、龍角峯をはじめとする奇岩となりました。

なお、峡谷の上流部では川筋が洪水の度に移動しており、峡谷入口付近に昔の河道の痕跡や、天竜川が流れていたことを示すポットホール(※4)が残っています。

ph 第三公園にあるポットホール。現在の河床とは70m前後の比高差がある。天龍峡の周辺にはポットホールが点在し、そこがかつて河床であったことを示しています。

※1 花崗岩:マグマが地下でゆっくり固まった岩石で、一般には御影石と呼ばれています。

i 生田(いくた)花崗岩 白い長石と呼ばれる鉱物が目立つ

t 天竜峡花崗岩 長石(白い部分)がレンズ状に潰れている。一帯では一番硬い岩石

※2 三河高原:木曽山脈から続く、愛知県東北部を中心とした高原状の山地をいいます。

※3 天龍峡以北の広範囲に厚い粘土層の堆積が確認されており、湖水化したことが分かります。その時期は、木曽御岳山の火山灰の存在から約10万年前と考えられており、その原因は天龍峡南側に確認されている断層から、南側が隆起したことが考えられています。

※4 ポットホール:河床や海岸などで、岩盤のすき間に石が入り込み、水流で石が回転することにより、円形に削られた穴をいいます。

天龍峡の命名

天竜川は急流として知られており、舟による運送が知られるのは江戸時代になってからです。これにより峡谷美が知られることとなりますが、当時はまだ名前がありませんでした。

弘化4年(1847)、阪谷朗廬(さかたにろうろ)がこの峡谷に名前をつけました。

彼は江戸時代の儒学者で、知人を尋ねて飯田へ訪れました。この時、下川路村の医師、関島松泉(せきじましょうせん)の案内で天龍峡を訪れますが、峡谷に名がないことを知ります。そこで、天竜川に因みこの峡谷を天龍峡と命名し、峡谷の美しさを褒めた『遊天龍峡記』を残しました。この全文が「天龍峡碑」に記されており、大正4年(1915)に第二公園へ設置されました。

十勝の命名

明治15年(1882)近代書道の父といわれた書家日下部鳴鶴(くさかべめいかく)が訪れ、天龍峡を中国の神仙思想の聖地である藐姑射山(はこやさん)になぞらえ、峡谷の特徴ある奇岩や淵など10ヶ所に名をつけて十勝とし、鑑賞のガイドとしました。十勝は、奇岩などからイメージされる場景を漢詩に詠み、それにちなんだ漢詩風の名前です。

日下部の提案を受け、関島松泉により十勝の名が奇岩に岩彫され、翌年完成しました。

全国に知られる天龍峡

江戸時代に物資運搬として発達した川下り舟は、幕末より客船として利用されました。中部高地から太平洋沿岸へ出るのには、天竜川の舟下りが最短コースです。明治時代に来日した欧米人により利用され、彼らの旅行記により天龍峡が国の内外に知られるようになりました。

『明治日本旅行案内』 アーネスト・M・サトウ

『能登 ~人に知られぬ日本の辺境』 パーシヴァル・ローウェル

『天龍川の激流』 ウォルター・ウェストン

特に大正元年(1912)の英国国王名代のコンノート殿下一行による川下りは新聞を賑わせ、全国的に天龍峡が知られることとなりました。

他にも多くの著名人・文化人が天龍峡を訪れ、また彼らによって天龍峡を題材にした文化や芸術が生まれたのでした。

主な天龍峡来訪者 〔上記以外、( )内の数字は来訪初年(西暦)〕

皇族

東久邇宮稔彦親王(1914)  北白川宮成久王(1916)   皇太子・皇太子妃殿下(当時・1969)

旅行家・登山家

ヘンリー・ギルマール(英国  1882)  小島烏水(1908)  

書家・儒学者

阪谷朗廬(1847)   巌谷一六(1895)

画家・美術作家

 横山大観・菱田春草(1901)  富岡鉄斎(1903)  中村不折(1936)  河合玉堂(1937)

作家・詩人・歌人・作曲家・文学者

・北原白秋(1919) ・巌谷小波(1920) ・白鳥省吾(1924) ・斎藤茂吉(1926) ・中山晋平(1928) ・平林たい子(1931) ・島崎藤村(1933) ・長田幹彦(1934) ・志賀直哉(1945) ・吉川栄治(1952) ・井上靖(1953)

役者・演出家・歌手

・七代目市川團十郎(1841)  ・市丸(1934) ・岸田國士(劇作家 1946) ・三国連太郎(1957)

学者・研究者

・和辻哲郎(1922) ・本多静六(1928) ・新渡戸稲造(1929) ・久松潜一(1932)

政治家・軍人

・尾崎行雄(1899) ・上村彦之丞(1913) ・後藤晋平(1926) ・田中義一(1926)

官僚・報道関係

・徳富蘇峰(1930) ・国府犀東(1932)  

天龍峡と関係の深い文化芸術作品 (上記以外)

紀行文

・『遊行やまざる』市川白猿 1841 ・『遊天龍峡記』阪谷朗廬 1847 ・『天龍下り』ハリ・オウラーク 1906 ・『天龍川』小島烏水 1914 ・『初夏の天龍峡』巌谷小波 1921 ・『天龍川を下る』和辻哲郎 1922

小説

・『天龍河畔より』葉山嘉樹 1934

漢詩

・『十勝』日下部鳴鶴 1883 ・『天龍峡十二絶』巌谷一六 1895 ・『天龍峡歌』国分青崖 1930  ・志賀重昂 ・国分犀東

短歌・俳句

・太田瑞穂 ・島木赤彦 ・斎藤茂吉 ・今井邦子 ・尾上柴舟 ・河合玉堂 ・香取秀真 ・斎藤瀏 ・佐々木信綱 ・中原綾子 ・三木清 ・並木秋人

・萩原井泉水 ・臼田亜浪 ・富安風生 ・松本たかし ・前沢一球 ・北原痴山

歌謡

・『龍峡小唄』作詞:白鳥省吾 作曲:中山晋平 1928

・『天龍下れば』作詞:長田幹彦 作曲:中山晋平 歌手:歌丸 1933

絵画

・『天龍峡図』田能村直入 1892頃 ・『信濃天龍峡図』安藤耕斎 1934

その他

・『天龍峡焼』(陶芸)1902頃~  ・『天龍峡賛辞』(扁額)新渡戸稲造 1929

観光地と名勝指定

地域では、明治41年(1908)に公園が設置され、明治43年(1910)には宿泊施設が開業、大正12年(1923)には遊覧船が運航を開始するなど、観光地として整備されていきました。

全国的には、明治41年に「日本避暑地投票」3位入選、昭和2年(1927)「新日本八景」峡谷の部2位入選など、知名度は上がりました。昭和3年(1928)に伊那電鉄が辰野―天竜峡間で開通したことから、多くの観光客が訪れることとなりました。

こうした大衆の支持に加え、学術的にも峡谷の景観が評価されたことから、昭和9年(1934)に国の名勝に指定されました。

昔の天龍峡に

昭和10年(1935)、天龍峡の6kmあまり下流に泰阜ダムが完成しました。これにより天竜川の水位が徐々に上昇し、奇岩断崖の一部が見られなくなりました。

また戦後、生活様式の変化で里山の資源が使われなくなると、段丘や断崖の植生も変化し、マツに変わって照葉樹やタケなどが繁茂するようになり、やはり花崗岩の岩肌が埋もれてしまいました。

mukasi 水流が荒々しく、岩とマツが目立つ天龍峡の古写真

こうしたことから、飯田市などでは河川堆積物を除去して天竜川の水位を元に戻し、森林を整備してかつての風致景観に戻す事業を行っています。

アクセス

○三遠南信自動車道 天龍峡ICより車で2分(天龍峡第一公園西駐車場まで)

○駐車場あり(天竜峡駐車場〈天龍峡第一公園西〉他)

○JR飯田線「天竜峡駅」 徒歩1分(姑射橋まで)

関連サイト・参考文献など

天龍峡温泉観光協会(外部リンク)

天龍峡温泉交流館 ご湯っくり(外部リンク)

南信州ナビ(外部リンク)

天竜ライン下り(外部リンク)

名勝天龍峡保存管理計画』 飯田市教育委員会 2010

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