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旧飯田城の桜丸西門(雲彩寺山門)

ページID:0045627 印刷用ページを表示する 掲載日:2024年1月19日更新

旧飯田城の桜丸西門(雲彩寺山門)(きゅういいだじょうのさくらのまるにしもん・うんさいじさんもん) 1棟

区 分:飯田市有形文化財(平成22年8月20日 市指定)

所在地:飯田市上郷飯沼3335

所有者:雲彩寺

時 代:江戸時代(18世紀前半)

構 造:一間薬医門(いっけんやくいもん ※1・2)、切妻造(きりつまづくり ※3)、桟瓦葺(さんがわらぶき ※4)

規 模:桁行(けたゆき ※5)2.55m、梁間(はりま ※5)1.75m

※1 間:建物の柱と柱のあいだのことをいい、建物の規模をいう時に用いられます。1間は約1.82mが現在一般的ですが、建物や場所によっても異なります。

※2 薬医門:門の種類を表すもので、2本の本柱の後に控柱を1本づつ配置し(合計4本)、本柱と控え柱の間に切妻造りの屋根を乗せた門をいいます。

※3 切妻造:本を伏せたような三角形の屋根を切妻といいます。

※4 桟瓦:「~」形をした一般的な波形の瓦のことです。

※5 本を伏せたような三角形の屋根(切妻)の場合、背表紙にあたる屋根の平な尾根(棟)と同じ方向が桁行、三角形にみえる方向が梁間です。

外観

概 要

飯田城の桜丸(さくらのまる ※6)の西側にあった門といわれています。明治4年(1871)に飯田藩が廃藩となり、飯田城の城門などが払い下げられた際、旧上郷村の斉藤氏が買い受けましたが、大正10年(1921)頃に旧上郷村の吉川氏が買い受け、雲彩寺へ寄付し、山門(※7)となりました。

飯田城の数少ない建築遺構で、江戸時代中頃の18世紀(1700年代)前半の建築と考えられています。

向かって左側に潜門(くぐりもん ※8)の扉が残り、右側に塀のついた痕跡があります。

※6 桜丸:現在の長野県飯田合同庁舎が建つあたりをいい、江戸時代初期の城主脇坂安元が桜を多く植えたため名付けられたといいます。

※7 山門:仏教寺院の正門をいいます。

※8 潜門:正門に対して脇や裏の出入口などとして設けられる、もぐって出入りするような小さな門をいいます。

きりつま
かしらぬき

飯田城の数少ない建築遺構

飯田城は明治維新の後に徹底的に破壊されてしまったため、残されている遺構は多くありません。

二の丸の御門(旧飯田城の八間門)、桜丸の御門(赤門経蔵寺山門)、桜丸西門(雲彩寺山門)、馬場調練場の門(脇坂門)が残されているだけで、いずれも文化財に指定されています。

飯田城の歴史

飯田城は、室町時代に当地の豪族坂西(ばんざい)氏が築城したのが始まりといわれ、武田氏や徳川氏、豊臣氏ら戦国大名によって、伊那谷支配の拠点として整備されました。特に、現在の飯田城の形を造ったのは、豊臣家臣の毛利秀頼・京極高知らによる整備といわれています。

くわしくは、飯田城の歴史をご覧ください

見 学

お寺の行事の妨げにならないようご配慮をお願いします。境内へ立ち入る場合は、お寺へ声をかけて下さい。

交通・アクセス

○JR飯田線「下山村」駅 徒歩16分、「伊那上郷」駅 徒歩18分

○信南交通 市内循環線「加賀沢橋」「城東」 徒歩11分

 書籍等案内 ~もっと知りたい方へ~

『飯田城ガイドブック -飯田城と城下町を探ろう-』 飯田市美術博物館 2005

飯田市立図書館(外部リンク)でご覧いただけます

 


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