白山社随身門
白山社随身門(はくさんしゃずいじんもん) 1棟
区 分:飯田市有形文化財(昭和60年11月20日 市指定)
所在地:飯田市滝の沢6684
所有者:白山社
時 代:江戸時代 文政11年(1828)
構 造:入母屋造(いりもやづくり ※1)、唐破風三間楼門造(からはふさんげんろうもんづくり ※2)、総けやき造
規 模:高さ36尺(約11m)、間口32尺(約7m)、奥行13尺(約4m)
概要:
随身門とは、随身と呼ばれる警護の官人姿の守護神を両脇に配置した門のことをいいます。本件は白木で絢爛(けんらん)な彫刻が施されている山門(寺院の正門)で、江戸時代後期の特徴をよく表しています。
この門の創建時期は明らかになっていませんが、寛政6年(1794)1月14日にどんど焼きの火が飛び火して焼失、文政11年(1828)4月1日に再建されたことがわかっています。
まず目を引くのは、大きくせり出した桟瓦葺(さんがわらぶき ※3)の屋根です。正面には本瓦葺(ほんがわらぶき ※4)の軒唐破風(のきからはふ ※5)が付き、左右には鯱をかたどった棟飾りが置かれています。
大棟の両端と降棟(くだりむね ※6)、軒唐破風中央部には鬼瓦(おにがわら ※7)が取り付けられています。鬼瓦の上部に付けられている三個の筒形の飾りは、その形から「経の巻」と呼ばれます。
軒は上下二段(二軒)の繁垂木(しげだるき ※8)です。
※1 入母屋造:屋根の形のことです。本を伏せたような三角形の屋根(切妻)の妻側(三角形の部分)の下方に屋根を足した構造です。妻側は、上部が三角形の壁、下部は台形の屋根となります。
※2 唐破風三間楼門造:唐破風とは、破風(切妻造などの屋根の妻側にある三角形の部分、またそこに打ち付けた板)の一種です。通奥部は弓形で、左右両端が反り返った曲線状の破風のことです。楼門は、社寺の入り口にある二階造の門のことです。下層に屋根のないものを楼門、屋根のあるものを二重門といって区別します。
※3 桟瓦葺:「~」型をした一般的な波型の瓦を並べた屋根の葺き方のことです。
※4 本瓦葺:平型と丸型の二種類の瓦を交互に組み合わせて並べる屋根の葺き方のことです。
※5 軒唐破風:軒の屋根そのものの形を変えた唐破風のこと。他に、軒の屋根とは別に出窓のように設けられた構造のものもあります(=向唐破風)。
※6 降棟:大棟から屋根勾配に沿って軒に向かって降下する棟のことです。本を伏せたような三角形の屋根(切妻)の、妻に近い部分ににあります。
※7 鬼瓦:瓦葺き屋根の大棟(本を伏せたような構造の屋根の、背表紙にあたる部分)の両端を納める瓦のことです。ここに鬼面や家紋、縁起物の文様、火事にならないようにとの願いを込め「水」の漢字を入れたものもあります。
※8 繁垂木:垂木の並べ方の一種で、繁垂木は垂木と垂木の間隔が狭い並べ方です。
正面の中央部には「翠涛閣」(すいじゅかく)と書かれた額が掲げられ、これは飯田城主堀親義(ほり ちかのり)が書いたものです。
また、門の裏側には風越山に向けて黄檗山(おうばくざん ※9)の高僧(こうそう ※10)即非如一(そくひにょいつ ※9)が書いたとされる「第一峰」の額が掲げられています。
※9 黄檗山の即非如一:黄檗山とは中国福建省にある山名であり、唐時代最盛期にそこに開かれた寺院が万福寺です。後に臨済宗の代表的な道場となります。江戸時代にこの寺の僧侶が日本に来て宇治に黄檗山万福寺を開き、日本黄檗宗の祖山となります。即非如一は隠元(いんげん)、木庵性瑫(もくあんしょうとう)と並び「黄檗の三筆」と呼ばれるほどの筆の腕前でした。
※10 高僧:位の高い僧侶のことです。
額の下に見える手すりは高欄(こうらん ※11)と呼ばれます。この門の高欄は先端が上に反っており、これは江戸時代の木造建築の特徴です。
※11 高欄:勾欄とも書きます。本来は落下防止のための柵ですが、塔の上層や一階建ての門などに装飾として取り付けられる例もあります。現存するもっとも古い高欄は京都府宇治市の法界寺阿弥陀堂の高欄ですが、これの先端はほぼ一直線であり、白山社随身門のように先端が上に反るのは江戸時代の特徴です。
欄間はすべて彫刻で埋め尽くされ(後述)、中央通路の左右には随身像が納められています。
ここに注目!
門に近づいて見上げた時、目を引くのは繊細な彫刻の数々です。
唐破風の懸魚(げぎょ ※12)にあたる兎の毛通し(うのけどおし ※13)部分には天女が、唐破風内部には碁盤と仙人の彫刻が施されています。
貫(ぬき ※14)・尾垂木などには地紋彫を、また、虹梁(こうりょう ※15)には菊水模様の彫刻が施されています。
高欄の下の組物間や欄間に目を移すと、松・竜・唐獅子・鷹などの彫刻で埋められています。
欄間部分の彫刻
中央通路の左右の木鼻(きばな ※16)にはそれぞれ、私たちを見下ろし、市街地を眺める仙人がいます。琴高(きんこう‐琴の名手で、鯉に乗って現れる)と、王子喬(おうしきょう‐白鶴に乗り笙を吹く)という人物で、どちらも中国故事に登場する仙人です。
通路に足を踏み入れたところで上を見上げると、格子天井には十二支の彫刻が施されています。
白木を用いた過剰ともいえる装飾は、江戸時代末期の木造建築の特徴ともいえ、先述した高欄の形式も併せて、当時の建築の様子を表す門です。
※12 懸魚:切妻造りの頂点(三角形)に取り付ける建築部材一つです。風雨にさらされる場所であるとともに、遠くからでも目に付く場所であるため、「構造」と「飾り」の工夫が凝らされており、見どころの一つです。
※13 兎の毛通し:唐破風は門や玄関など正面に取り付けられるため、懸魚も繊細で複雑な透かし彫りのデザインとなり、兎の毛ほどに細いということで「兎の毛通し」と呼ばれます。
※14 貫:文字通り柱を貫通させて、柱どおしを水平に繋げる部材です。
※15 虹梁:やや上に反った梁のことで、虹のような形をしていることから虹梁と呼ばれます。
※16 木鼻:木端の意味で、頭貫などの横木が柱を貫通して突出した部分のことです。ここに雲や植物の蔓の絵様が施されるようになり、後に象や獅子などの霊獣の形へと発展していきました。
廃仏毀釈と白山寺
現在の白山社里宮は、元は白山寺と呼ばれる寺院でした。この寺院の僧侶が、風越山の上にある白山妙理大権現(現在の奥宮)の神事を取り仕切っており、白山寺はいわば神仏習合(しんぶつしゅうごう ※17)の寺社でした。
慶応4年(1868)、明治政府から神仏分離令が出されました。神仏分離令の主な内容は、
・これまで神事を行ってきた僧侶は還俗(げんぞく ※18)して、これからは神主として神事を行うこと
・仏像をご神体にすることを禁止
・社地に仏具・経典・法服などの仏教に関する道具を置くことを禁止
というものでした。
これによって全国で沸き起こった廃仏毀釈(はいぶつきしゃく ※19)運動により、仏教は排斥され、多くの価値ある寺院施設や仏教美術は失われました。それまでおよそ千年にわたって紡がれてきた、カミとホトケが混在する神仏習合の歴史やそれによって醸成された文化はここで幕を閉じました。
白山寺も廃仏毀釈の時勢には抗えず、明治2年(1869)に廃寺となりました。残された道は神社になることのみであり、白山寺が所有していた仏具や像、鐘楼、堂など、仏教に関するものはそのほとんどが解体され、売却され、破棄されていきました。このときに残された建造物がこの随身門と拝殿(旧護摩堂)でした。本件は、白山寺時代を伝える数少ない遺構です。
随身門は神仏分離令が出される前は仁王門(におうもん ※20)でした。現在随身像を納めている間には仁王像が、後面には風神・雷神像が安置されていましたが、仁王像は長源寺(飯田市箕瀬)の随身像と交換、また、風神・雷神像は願王寺(飯田市鼎上山)に売却されました。残念ながら、仁王像は焼失しており、風神・雷神像は現在寺にあるものは二代目であるといわれ、旧白山寺にあったものは所在不明となっています。
※17 神仏習合:日本固有の神の信仰と外来の仏教信仰とを調和するために唱えられた教説です。奈良時代には神社に併設して神宮寺が作られるなど、その歴史は古く、明治政府が神仏分離令を発令するまで国民に親しまれてきました。
※18 還俗:一度出家した者が一般人に戻ることです。
※19 廃仏毀釈:神仏分離令は、明治政府の神道国教化政策に基づいて発令されました。これにより活発化した、仏教を排除しようとする運動が廃仏毀釈です。この運動のために、各地にあった、神社と一体化していた寺院の仏堂、仏像、仏具の多くは破壊・撤去されてしまいました。
※20 仁王門:寺院を守護する金剛力士像を安置した、寺院の門のことです。
見学・アクセス
見学について
・見学は自由ですが、神社の行事等都合に配慮してください。
アクセス
・JR飯田線 飯田駅から徒歩で約24分
・バス停「砂払」、「西中入り口」から徒歩で約7分
・神社に駐車場あり
関連情報~もっと知りたい方へ~
参考書籍
『社寺建築を読み解く』 相原 文哉著、長野県神社庁協力、2012年
『日本建築辞彙〔新訂〕』 中村 達太郎著、2011年
『飯田・上飯田の歴史』上巻 飯田市歴史研究所、2012年
『描かれた上飯田―明治初期の地引絵図をよむ―』 飯田市歴史研究所、2014年
特別展図録『カミとホトケの交渉史―廃仏毀釈の爪痕―』 飯田市美術博物館、2013年
・・・飯田市立図書館(外部リンク)でご覧いただけます
周辺の文化財
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