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白山社里宮拝殿「旧護摩堂」

ページID:0060139 印刷用ページを表示する 掲載日:2024年1月17日更新
旧護摩堂

白山社里宮拝殿「旧護摩堂」(はくさんしゃさとみやはいでん「きゅうごまどう」) 1棟

区 分:飯田市有形文化財(平成20年11月18日 市指定) 

所在地:飯田市滝の沢6684

所有者:白山社

時 代:江戸時代 享保18年(1733)

構 造:入母屋造妻入(いりもやづくり ※1)(つまいり ※2)、桟瓦葺(さんがわらぶき ※3)

規 模:桁行(けたゆき ※4)4(けん ※5)、梁間(はりま ※4)3

※1 入母屋造:屋根の形のことです。本を伏せたような三角形の屋根(切妻)の妻側(三角形の部分)の下方に屋根を足した構造です。妻側は、上部が三角形の壁、下部は台形の屋根となります。

※2 妻入:本を伏せたような三角形の屋根の建物で、出入り口が妻側にある構造のことをいいます。

※3 桟瓦葺:「~」形をした一般的な形の瓦のことです。

※4 桁行・梁間:本を伏せたような三角形の屋根の場合、本の背表紙に当たる平らな方向(棟)が桁行、三角形に見える方向が梁間です。

※5 :建物の柱と柱の間のことをいい、1間は約1.82mです。

概 要:

護摩堂とは、密教において仏前で護摩を焚き、祈祷を行う仏堂のことです。護摩堂は、『白山寺歴代記』(はくさんじれきだいき ※6)からは正保4年(1647)に建立されたと考えられますが、享保18年(1733)に大工棟梁宮下半助尉氏によって再建されたことを記す棟札も発見されていることから、本件はこのとき完成したと考えられます。

現在は奥に本殿が設けられ、白山社里宮の拝殿になっています。

ごまどう 写真左手奥が神社の本殿

※6 白山寺歴代記:文政10年(1827)に越後の水原定静という人物によって撰述された、白山社の記録です。内容は、養老2年(718)の泰澄(※7)による開創伝承からはじまり、文政10年の仁王門(白山社里宮随身門)の再建に至るまでの様子が記されています。干支(暦や時間などを示す時に使われた、60を周期とする数詞)はすべて正確で、年号も現存する棟札などと一致するため、信憑性が高い史料と言えます。

解 説:

大棟と降棟(くだりむね ※8)の先端には鬼瓦(おにがわら ※9)が取り付けられており、鬼瓦の上部に付けられている三個の筒形の飾りは、その形から「経の巻」と呼ばれます。正面に向けられた破風(はふ ※10)には懸魚(げぎょ ※11)が取り付けられ、妻飾りは狐格子(きつねごうし ※12)により仕上げられています。

護摩堂 軒下の意匠

軒は上下二段(二軒)の繁垂木で(しげだるき ※13)です。正面の軒下は向拝(ごはい ※14)となっており、左右に廻縁を設けて高欄(こうらん ※15)が設置されています。軒下に目を向けると、深い軒を支えるための二手先(にてさき ※16)の組物を見ることができます。組物の奥に等間隔に並ぶのは、壁と桁のつなぎを美しく見せるために取り付けられる、蛇腹支輪(じゃばらしりん)と呼ばれる弧状の部材です。頭貫(かしらぬき ※17)や虹梁(こうりょう ※18)など、向拝の高い位置には植物の蔓や水の流れの模様が刻まれています。虹梁には蟇股(かえるまた ※19)が載せられています。

組み物 組み物と木鼻の意匠

組物の形式や軒廻りの蛇腹支輪、蟇股を用いるなど、和様(わよう ※20)の技法が主体となっていますが、柱の粽(ちまき ※21)や頭貫、木鼻(きばな ※22)を用いるなど、禅宗様(ぜんしゅうよう ※23)の技法もいたるところに取り入れられています。

※7 泰澄:生年682年、没年787年。奈良時代の山岳修験者であり、加賀国(現在の石川県)で白山信仰を開創しました。

※8 降棟:大棟から屋根勾配に沿って軒に向かって降下する棟のことです。本を伏せたような三角形の屋根(切妻)の、妻に近い部分ににあります。

※9 鬼瓦:瓦葺き屋根の大棟(本を伏せたような構造の屋根の、背表紙にあたる部分)の両端を納める瓦のことです。ここに鬼面や家紋、縁起物の文様、火事にならないようにとの願いを込め「水」の漢字を入れたものもあります。

※10 破風:本を伏せたような三角形の屋根(切妻造り)の小口の部分であり、合掌型の部材です。

※11 懸魚:切妻造りの頂点(三角形)に取り付ける建築部材一つです。風雨にさらされる場所であるとともに、遠くからでも目に付く場所であるため、「構造」と「飾り」の工夫が凝らされており、見どころの一つです。

※12 狐格子:入母屋造の妻部分に施す、格子状の仕上げのことです。もとは「木連格子(きづれごうし)」と呼ばれていたものが訛って「狐格子」と呼ばれるようになったとの説もあります。

※13 繁垂木:垂木の並べ方の一種で、繁垂木は垂木と垂木の間隔が狭い並べ方です。

※14 向拝:こうはい、とも呼ばれます。社殿や仏堂の正面につくられた構造物で、切妻の正面側の屋根を伸ばしたり(流造)、母屋とは別の屋根を付けて参詣人の礼拝の位置とした所です。

※15 高欄:廊下などにつく手すりのことです。勾欄とも書きます。

※16 二手先:手先とは、軒を載せている桁を支えるための組物のことです。壁や柱から桁までの段階を数え、建造物の規模が大きくなればなるほど、二手先、三手先、四手先…と組物の段数も増えていきます。

※17 頭貫:文字通り柱を貫通させて、柱と柱を水平に繋げる部材です。

※18 虹梁:やや上に反った梁のことで、虹のような形をしていることから虹梁と呼ばれます。

※19 蟇股:社寺建築に用いられる部材の一つです。下方が広がる形はカエルが足を広げた姿によく似ています。

※20 和様:日本の寺院建築は中国大陸から伝わったものですが、平安時代に日本の風土に合わせ、天井が低く、柱が細く変化しました。柱どおしを補強するために、長押(なげし―柱どうしを水平につなげる材)を打つ、組物の間に蟇股を置くなどの特徴があります。

※21 :柱の上下の細く丸められた部分のことで、禅宗様の特徴です。

※22 木鼻:木端の意味で、頭貫などの横木が柱を貫通して突出した部分のことです。ここに雲や植物の蔓の絵様が施されるようになり、後に象や獅子などの霊獣の形へと発展していきました。

※23 禅宗様:鎌倉時代に中国大陸から禅宗とともに伝えられた建築技術で、禅宗建築に用いられたことから「禅宗様」と呼ばれ、和様などの様式とは区別されます。曲線材や彫刻も多用され、装飾的な様式です。

廃仏毀釈と白山寺

現在の白山社里宮は、元は白山寺と呼ばれる寺院でした。この寺院の僧侶が、風越山の上にある白山妙理大権現(現在の奥宮)の神事を取り仕切っており、白山寺はいわば神仏習合(しんぶつしゅうごう ※24)の寺社でした。

慶応4年(1868)に明治政府から神仏分離令が出されました。神仏分離令の主な内容は、

・これまで神事を行ってきた僧侶は還俗(げんぞく ※25)して、これからは神主として神事を行うこと

・仏像をご神体にすることを禁止

・社地に仏具・経典・法服などの仏教に関する道具を置くことを禁止

というものでした。

これによって全国で沸き起こった廃仏毀釈(はいぶつきしゃく ※26)運動により、仏教は排斥され、多くの価値ある寺院施設や仏教美術は失われました。それまでおよそ千年にわたって紡がれてきた、カミとホトケが混在する神仏習合の歴史やそれによって醸成された文化はここで幕を閉じ、明治2年(1869)、白山寺は廃寺になりました。

残された道は神社になることのみとなり、白山寺が所有していた仏具や像、鐘楼、堂など、仏教に関するものはそのほとんどが少しずつ解体され、破棄されていきました。このときに残された建造物がこの拝殿(旧護摩堂)と随身門でした。護摩堂は本殿と名を改め、昭和9年(1934)の改築で拝殿となりました。このため、建物内部の天井や柱には、護摩を焚いた煤によって黒くすすけている様子が見られます。

護摩堂 拝殿内部(奥が本殿)

現在の拝殿西側は本殿との接続のために吹き放しとなっていますが、板壁の痕跡があり、その前には奥行き約半間の須弥壇(しゅみだん ※27)があった形跡があります。なお、床下は未調査のため、火を焚くのに必要であるはずの炉の痕跡はまだ確認されていません。

この護摩堂は、白山寺時代を伝える数少ない遺構です。

※24 神仏習合:日本固有の神の信仰と外来の仏教信仰とを調和するために唱えられた教説です。奈良時代には神社に併設して神宮寺が作られるなど、その歴史は古く、明治政府が神仏分離令を発令するまで国民に親しまれてきました。

※25 還俗:一度出家した者が一般人に戻ることです。

※26 廃仏毀釈:神仏分離令は、明治政府の神道国教化政策に基づいて発令されました。これにより活発化した、仏教を排除しようとする運動が廃仏毀釈です。この運動のために、各地にあった、神社と一体化していた寺院の仏堂、仏像、仏具の多くは破壊・撤去されてしまいました。

※27 須弥壇:仏像を安置するために、床より高く設けられた壇のことで、須弥山(しゅみせん―仏教やヒンドゥー教で、世界の中心にあって神々が住むと考えられている山)を模しているといわれます。

見学・アクセス:

・見学は自由ですが、神社の行事等都合に配慮してください。

・JR飯田線 飯田駅から徒歩で約24分

・バス停「砂払」、「西中入り口」から徒歩で約7分

・神社に駐車場あり

 

関連情報~もっと知りたい方へ~

参考書籍

『社寺建築を読み解く』 相原 文哉著、長野県神社庁協力、2012年

『日本建築辞彙〔新訂〕』 中村 達太郎著、2011年

『文化財講座日本の建築3 中世2』 文化庁監修、1977年

『伝統木造建築を読み解く』 村田 健一、2006年

『飯田・上飯田の歴史 上巻』 飯田市歴史研究所、2012年

『描かれた上飯田―明治初期の地引絵図をよむ―』 飯田市歴史研究所、2014年

特別展図録『カミとホトケの交渉史―廃仏毀釈の爪痕―』 飯田市美術博物館、2013年

・・・飯田市立図書館(外部リンク)でご覧いただけます

周辺の文化財

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